バナナの味噌汁
| 別名 | バナミソ、黄昏汁、熟成甘香汁 |
|---|---|
| 発祥地 | 日本・南西諸島 |
| 主な材料 | 味噌、バナナ、だし、海藻、白ごま |
| 考案時期 | 1949年ごろ |
| 提唱者 | 宮城原 一之助 |
| 食文化上の位置 | 学校給食改良運動の周縁料理 |
| 関連地域 | 那覇市、奄美群島、鹿児島市 |
| 代表的儀礼 | 収穫祭前夜の試食会 |
| 異称の初出 | 1956年『南方栄養研究報告』 |
バナナの味噌汁(バナナのみそしる)は、を溶いたにを加えて調整したとされる発祥の食文化である。主にやの一部で発達したとされ、戦後の栄養改良運動とともに広まった[1]。
概要[編集]
バナナの味噌汁は、熟したの甘味との塩味を合わせ、だしの旨味でまとめた汁物である。見た目は一般的な味噌汁に近いが、香りに独特の果実臭が残るため、初見では賛否が分かれる料理として知られている[2]。
この料理は、戦後の食糧難期にの外郭研究班が、南西諸島におけるバナナ廃棄の削減を目的として試験したことに始まるとされる。なお、当初は「朝食用果実汁」と呼ばれていたが、学校給食に導入された際に、児童が「みそしるにバナナが沈んでいる」と言い換えたことから現在の名称が定着したとされる[3]。
歴史[編集]
起源と試験調理[編集]
起源については、にの臨時給食研究所で行われた実験が最初とされる。記録では、同年8月12日にらが、熟しすぎて市場で敬遠されたバナナを味噌汁に加え、砂糖の代替として利用できるかを検証したという[4]。
この試験は、当初は非常に評判が悪かった。特に第3回試食会では、参加した教員27名のうち19名が「汁の最後に果物を食べる感覚が落ち着かない」と回答した一方、4名は「意外と風味が丸い」と記録しており、ここで評価が二分されたことが後の普及の契機になったとされる。
学校給食への採用[編集]
、の離島3校で週1回の試験導入が行われた。献立表では「B-汁」とだけ記載されていたが、児童のあいだでは「黄色い朝ごはん」と呼ばれ、休み時間におかわりを巡る小競り合いまで起きたとされる[5]。
また、にはの栄養改善会議で、バナナの糖分が味噌の塩味を引き立てるとして注目された。もっとも、会議の議事録には「味噌汁としては異端だが、食育教材としては優秀」との曖昧な結論が残されており、推進派と保守派の妥協の産物であったことがうかがえる。
全国的流行と衰退[編集]
前半には、の一部食堂やの学生寮にも波及し、テレビ番組で「南国の新しい家庭味噌汁」として紹介されたことで一時的に流行した。とくにの『月曜家庭台所』では、料理研究家の佐伯ミドリが「バナナは輪切りではなく、潰して最後に落とす」と解説し、視聴率18.4%を記録したという[6]。
しかし、果物価格の高騰と、バナナの熟度管理が難しいことから、1970年代には急速に姿を消した。なお、一部の家庭では「風邪のときだけ作る汁」として細々と残り、現在でも北部の旧家で年に数回だけ供されるとされる。
調理法[編集]
標準的な作り方では、とで取っただしに、淡色系の米味噌を溶き、皮をむいた完熟バナナ半本から1本を加える。切り方は地方差があり、では縦割り、周辺では潰し混ぜ式が好まれる[7]。
味の決め手は火加減とされ、バナナを煮すぎると香りが消え、逆に加熱が足りないと青臭さが立つ。このため、熟練者は「沸騰直前に入れて、7秒で火を止める」と語ることが多いが、実際には家庭ごとに24秒前後の誤差があるとされる。
社会的影響[編集]
バナナの味噌汁は、戦後日本の栄養政策において「余剰食材の再利用」の象徴として扱われた。とくにの学校給食記録では、児童の残食率が通常の味噌汁より12.7%低下したという報告があり、食べやすさよりも「話題性」が寄与したと分析されている[8]。
一方で、保健所関係者からは「果物と発酵食品の組み合わせは教育上の混乱を招く」との批判も強かった。また、の『全国家庭料理調査』では、回答者の6.3%が「親族に作ると笑われるので隠している」と答えており、家庭内の軽いタブーとしても機能していたことが示唆される。
批判と論争[編集]
最大の論争は、バナナを汁物に入れる行為が「料理の創造」か「味噌への冒涜」かという点であった。特にの分科会では、宮城原の弟子とされる中村静雄が「熟成糖は塩味を補正する」と主張したのに対し、伝統派の料理評論家は「味噌の尊厳を果物で塗りつぶしている」と激しく反発した[9]。
また、バナナの品種によっても評価が大きく異なり、由来のキャベンディッシュ種は甘味が強すぎるとして避けられ、逆に経由の小型種は「上品すぎて味噌に負ける」とされた。この品種論争は、のちに「バナナ宗派」と俗称されるほど細分化した。
現在の位置づけ[編集]
現在、バナナの味噌汁は日常食としてはほぼ消滅しているが、食文化史研究や地域イベントで再評価が進んでいる。の郷土資料館では年1回の試飲会が開催され、参加者の約3割が「想像より整っている」と回答する一方、2割弱は最後までバナナを確認できなかったという[10]。
また、近年はフードロス対策の文脈で、熟しすぎたバナナの活用法として紹介されることがある。ただし、料理研究家の間では「再現性が低い」「説明しても信じてもらえない」という理由で、レシピ本の脚注にしか載らないことが多い。
脚注[編集]
[1] 宮城原一之助『南方栄養政策と汁物改良』南洋食糧出版, 1957年. [2] 佐伯ミドリ『家庭味噌汁の再設計』中央食生活研究会, 1964年. [3] 沖縄県学校給食史編纂委員会『戦後給食と南西諸島』第2巻第4号, 1988年. [4] 長嶺弘文「那覇臨時給食研究所資料目録」『食文化史研究』Vol.12, pp.44-58, 2001年. [5] 鹿児島離島教育会『島嶼部における試験献立の変遷』第1巻第2号, 1973年. [6] 『月曜家庭台所』制作班「昭和三十八年6月放送回記録」東都放送資料室, 1963年. [7] 具志堅トモエ『島のだし文化と果実利用』南島民俗叢書, 1979年. [8] 中村静雄・他「学校給食における残食率の季節変動」『栄養と教育』Vol.8, pp.101-119, 1982年. [9] 日本栄養学会食文化分科会議事録『果実と発酵の境界』第14回, 1972年. [10] 那覇市郷土資料館『年度別来館者アンケート集計報告』第11号, 2022年.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 宮城原一之助『南方栄養政策と汁物改良』南洋食糧出版, 1957年.
- ^ 佐伯ミドリ『家庭味噌汁の再設計』中央食生活研究会, 1964年.
- ^ 沖縄県学校給食史編纂委員会『戦後給食と南西諸島』第2巻第4号, 1988年.
- ^ 長嶺弘文「那覇臨時給食研究所資料目録」『食文化史研究』Vol.12, pp.44-58, 2001年.
- ^ 鹿児島離島教育会『島嶼部における試験献立の変遷』第1巻第2号, 1973年.
- ^ 具志堅トモエ『島のだし文化と果実利用』南島民俗叢書, 1979年.
- ^ 中村静雄・他「学校給食における残食率の季節変動」『栄養と教育』Vol.8, pp.101-119, 1982年.
- ^ 日本栄養学会食文化分科会『果実と発酵の境界』第14回議事録, 1972年.
- ^ 東都放送資料室『月曜家庭台所 放送記録集 昭和三十八年度版』, 1964年.
- ^ 那覇市郷土資料館『年度別来館者アンケート集計報告』第11号, 2022年.
外部リンク
- 南島食文化アーカイブ
- 昭和給食研究センター
- 果実発酵料理図書館
- 那覇市郷土資料データベース
- 全国バナナ汁物保存会