パパロン
| 名称 | パパロン |
|---|---|
| 別名 | パパロン・ダ・バルバロ(Paparon da Barbaro) |
| 発祥国 | イタリア |
| 地域 | エミリア=ロマーニャ州・ボローニャ周縁 |
| 種類 | 発酵乳ベースの甘香スープ寄せ料理 |
| 主な材料 | 発酵バター、白米の甘糀粉、黒胡椒、洋ナシ酢 |
| 派生料理 | パパロン・イン・テンポ(冷製)、パパロン・ヴェルデ(青葉仕立て) |
パパロン(よみ)は、をしたのである[1]。
概要[編集]
パパロンは、発酵バターを低温で焦がし糖化してから、白米の甘糀粉と薄い乳酸ブイヨンでのばした、甘香スープ寄せ料理である。一般に「食べる香り」と評されるように、香りの立ち上がりが主役とされる。
現在では家庭料理としても定着しているが、元来は祭礼の余り食材を「保存」から「再創造」へ切り替えるために考案されたと説明される。とくにボローニャ周縁では、提供温度が料理の格を決めるとされ、提供前に器を回しながら計時する作法が伝えられている。
語源/名称[編集]
「パパロン」は、方言で「父(パパ)の輪(ロン)」を意味するという伝承に由来するとされる。実際には、祭礼の厨房担当が交代する合図として鳴らしていた銅製の鐘の音「パ・パ・ロン」が、後に料理名へ転用されたとする説が有力である。
また、別名としてパパロン・ダ・バルバロが挙げられる。これは、保存用の壺を“バルバロ(厚い口)”と呼んだ地方職人が、発酵バターの熟成工程を標準化したことに由来するとされる。
なお、文献では「Paparon」が早い時期から見られるが、音写ゆれも多く、同一料理を指す表記として「パパローネ」「パパロンヌ」が併記される例がある。
歴史(時代別)[編集]
起源期(15世紀後半)[編集]
パパロンは、15世紀後半に農繁期の家内厨房で誕生したとされる。具体的には、ボローニャ周縁の郊外農家が、乳脂を飛ばした残り香のあるバターを廃棄しないために、壺内で乳酸発酵させてから加熱糖化する手順を編み出したのが端緒とされる。伝承では、壺の内壁を湿らせるために「洋ナシ酢」を数滴垂らしたところ、香りが“甘く焦げる”方向へ転じたと語られている。
この時期のレシピは口伝であったとされ、記録に残るのは「焦がし糖化は合計9分、攪拌は51回」といった場当たり的な数え方である。もっとも、51回は人が数を間違えにくいよう、鍋の深さに合わせて決められたという小話も残っている。
祭礼制度化期(16世紀〜17世紀)[編集]
16世紀に入ると、パパロンは市の巡礼祭で供されるようになったとされる。ボローニャ市参事会の台帳に、配給として「発酵バターの輪替(りんたい)分」が記載されたことが根拠とされるが、実際の料理が同名で登録されたかは、史料の断片から推定されているにとどまる。
17世紀になると、祭礼厨房の責任者が手順を“測定可能な工程”へ落とし込んだことで、低温焦がし糖化の温度が「87〜92℃」の範囲で管理されたとされる。さらに、乳酸ブイヨンの濃度を「湯量に対して甘糀粉を0.7%」に固定したことで、香りの立ち上がりが均一になったと説明される。この時期、香りを引き立てるために黒胡椒を先に“乾燥焼き”する工夫が流行した。
近代・外食拡大期(19世紀〜20世紀前半)[編集]
19世紀には、駅馬車の旅人向けに“携帯できる甘香スープ”として工夫されたとされる。濃度を上げすぎると冷めたときに固まるため、パパロンでは逆に米由来の糀粉を増やし、湯でのばした瞬間に香りが戻るよう調整されたとされる。
20世紀前半には、ボローニャの老舗厨房が、提供直前に器の縁を洋ナシ酢で拭く新手順を導入した。これは香りの揮発を抑える目的だったとされるが、同時に客の“最後の一口”の印象を強めたため、店の評判が雪だるま式に広がったと語られている。
種類・分類[編集]
パパロンは、提供温度と香りの制御方法で大きく分類される。一般に、温めて提供する「パパロン・イン・カルド」が基本形とされる。
現在では、冷製に寄せた「パパロン・イン・テンポ」が人気を得ている。冷製では焦がし糖化の後に空冷工程を挟み、香りが“甘く残る”設計に変わると説明される。
また、緑の香味を足す「パパロン・ヴェルデ」も代表的である。青葉(バジリコ系)を粉末化して最後に散らすため、見た目の印象が強く、祭礼の写真撮影向けに採用されたとされる。
材料[編集]
パパロンの主な材料として、発酵バター、白米の甘糀粉、黒胡椒、洋ナシ酢、薄い乳酸ブイヨンが用いられる。発酵バターは、常温熟成を避け、冷暗所で管理するのが望ましいとされる。
甘糀粉は、米の粘り成分を残しつつ香りを吸着させる役割を持つとされ、配合は「バターに対して1:0.18」が目安と説明されることが多い。ただし、店によっては甘糀粉を“目視で匙一杯”とする場合もあり、同じ味が再現されない原因として語られることもある。
黒胡椒は通常の混入ではなく、乾燥焼きしてから投入されることがある。これにより、香りが“甘香の縁取り”になるとされ、料理人の間で「胡椒の輪郭」と呼ばれる。
食べ方[編集]
パパロンは、スプーンで中心からすくい上げた後、器を軽く一回転させて香りを戻す食べ方が推奨される。これは、低温焦がし糖化で生まれた香気が表層に集まりやすいためと説明される。
一般に、最初の一口は無添加で香りを確認し、二口目から洋ナシ酢を数滴落として味を締める。さらに、胡椒の余韻が残りやすいよう、食べる途中で塩味のパンを挟む習慣があるとされる。
また、祭礼では「3口で終えると縁が切れ、4口で続く」という迷信めいた言い伝えも存在し、実際に客の行動を観察してレシピを微調整したという厨房長の逸話が残る。
文化[編集]
パパロンは、ボローニャ周縁の家庭で“余り乳の再利用”を象徴する料理として位置づけられている。とくに、乳製品の在庫が偏った月には、余ったバターの香りを中心に組み立てるよう教えられるとされる。
社会的には、食の継承を家族単位から地域単位へ拡張した例として語られる。市の料理教室では、同一配合でも香りの立ち上がりが変わる理由を説明し、手順の違いを“性格”として許容する教育が行われたとされる。
ただし、近年では香りが強いことから、敏感な人には合わないとして苦情が出た時期もある。このため、配合を「甘糀粉0.12%減らす」方式が提案され、行政が掲示する簡易ガイドに採用されたとする報告も見られる(ただし出典の記載は薄い)。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Giovanni Bellini『L’Enciclopedia delle Salse Dolci』Editoriale Aurora, 1932.
- ^ マルチェッロ・ファッブリ『香りの工程表:低温焦がし糖化の実務』ボローニャ厨房研究会, 1968.
- ^ Hannah K. Wexler『Fermented Fats and Flavor Encoding』Cambridge Culinary Press, 1994.
- ^ Luca Sarti『Ricette Rituali di Bologna』Tipografia del Portico, 1881.
- ^ Elena Rinaldi『Industria del Latte Minore』Nuova Stampa Alimentare, 1919.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『Sensory Timekeeping in Domestic Cooking』Journal of Kitchen Measurement, Vol.12 No.3, 2007, pp.44-63.
- ^ Paolo Vignati『Il Pane e le Ultime Gocce』Società Storica Emiliana, 第2巻第1号, 1976, pp.101-118.
- ^ Sofia Moretti『Archivio delle Spezie Arrostite』Rivista di Gastronomia, Vol.7, 2010, pp.9-27.
- ^ (出典に揺れがあるとされる)『Bologna City Ledger of 1549』Bologna Municipal Archives, 1549, pp.3-7.
外部リンク
- Paparon研究所
- エミリア祭礼レシピ保存会
- 香気工学キッチンノート
- ボローニャ家庭料理アーカイブ
- 発酵バター工程図ギャラリー