ヒョ音記号
| 名称 | ヒョ音記号 |
|---|---|
| 別名 | 拗音補助符、ひょがけ記号 |
| 分野 | 音韻学、速記術、教育記号 |
| 成立 | 1898年頃 |
| 主な提唱者 | 渡辺精一郎、マルグリット・R・ソーン |
| 使用地域 | 東京、横浜、函館など |
| 廃止時期 | 1957年頃 |
| 記号数 | 12種から18種程度 |
| 関連機関 | 帝国国語標準化院 |
| 派生 | 学童用かな補助図表 |
ヒョ音記号(ひょおんきごう、英: Hyoon Sign)は、におけるおよびの揺れを可視化するために用いられた、特殊なである。主として末期から初期にかけて、との境界領域で整備されたとされる[1]。
概要[編集]
ヒョ音記号は、のような拗音を単独のかなではなく、口蓋化の度合いまで含めて示そうとした補助記号体系である。一般にはの私塾やの通訳養成所で用いられたとされ、板書の省略と発音指導の両立を目的としていた[2]。
この記号は、平仮名の右肩に小さな曲線や点を付す簡易版と、に近い活字に埋め込む活字版が並立していた。なお、記号の形は校舎の湿度によって微妙に変形し、これを「生きたヒョ」と呼んだという記録があるが、真偽は定かでない[3]。
成立の経緯[編集]
速記術からの分岐[編集]
起源は後半、の公文書を短時間で転記する必要から生まれたとされる。特に、の速記研究会で渡辺精一郎が「ひ」と「ょ」の間に生じる微弱な呼気を記号化すべきだと主張し、これが最初の試案になったという[4]。
当初は単なる補助点であったが、転写精度を争ううちに記号が増殖し、1899年には「弱ヒョ」「標準ヒョ」「強ヒョ」の三段階が導入された。会議の議事録によれば、強ヒョはしばしば「怒っている鳩のようだ」と評されたという。
帝国国語標準化院の介入[編集]
、がこの分野に参入し、学校教育での利用価値を調査した。調査班にはマルグリット・R・ソーンが招かれ、彼女はの借家で三か月にわたり、86名の児童と14名の書記を対象に発音再現実験を行ったとされる[5]。
報告書は「ヒョ音記号は教室での誤読を18%減少させた」と結論づけたが、同時に「児童が語頭に不必要な自信を持つ」との副作用も記している。このため、文部当局は全面採用を見送り、限定導入にとどめた。
記号の分類[編集]
ヒョ音記号は、形状によって大きく、、、に分けられた。最も普及したのは点型であり、時点で教材流通数の約62%を占めたと推定されている[6]。
曲線型はの商業学校で好まれ、寒冷地でもかすれにくいとして重宝された。一方、返り棒型は書写速度が速い反面、しばしばと混同され、教師が答案の上で小さくため息をつく原因になったという。
教育現場での普及[編集]
小学校国語読本への挿入[編集]
版の試作では、全部で217箇所にヒョ音記号が付された。これにより、児童の朗読速度は平均で毎分11.4音節から13.2音節へ向上したとされるが、同時に「ヒョ」にだけ過剰な抑揚をつける癖が広まった[7]。
とりわけの一部学校では、朝礼で児童が一斉に「ヒョ」を唱える儀式が行われたという逸話が残る。地域誌『北奥の学び舎』には、冬期にはその発声で窓の霜がずれるほどだったと記されている。
書家と活版工の対立[編集]
記号の定着は界から強い反発を受けた。書家の三浦梧舟は「文字に音価を縫い付けるのは、鯉に羽根を生やすようなものだ」と批判した一方、の活版工場では微小記号の鋳造需要が急増した[8]。
その結果、1917年には記号の一部が金属活字では再現しきれず、印刷所ごとに形が異なる「方言ヒョ」が生じた。編集者のあいだでは、どの版が正統かをめぐり深夜まで議論が続いたという。
社会的影響[編集]
ヒョ音記号は、単なる教育補助を超えて、都市の会話作法にまで影響を与えたとされる。の電話交換手は、感情の揺れを抑えるため、受話メモにヒョ音記号を手書きしていたという。また、放送黎明期には、アナウンサーの発音を整える訓練素材として採用され、収録室に「ヒョがきれいに鳴れば、他の音はだいたい整う」と書かれた札が掲げられていた[9]。
一方で、1920年代後半には「ヒョ音記号を読める者は上流階級である」という風潮が一部に生まれ、塾の月謝がからに上昇した。これにより、地方の若年層には事実上の文化的障壁として作用したとの指摘がある。
衰退と再評価[編集]
に入ると、と標準かな教育の普及により、ヒョ音記号は急速に姿を消した。1957年の『教育記号整理通達』では、全国の採用率が0.8%まで低下したとされ、以後は研究用符号としてのみ残存した[10]。
ただしにの古書店で見つかった「ヒョ音記号練習帖」一式を契機に再評価が始まり、の研究者らがその教育効果と滑稽さを同時に分析した。現在では、言語史の周辺資料として扱われるほか、一部の速記愛好家の間で復刻運動が続いている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、記号が音韻を正確に示すという理念に比して、実際の運用がきわめて属人的であった点にある。特にの『国語教育時報』は、同一学校内でヒョの形が7種類確認されたとして、制度としての統一性を疑問視した[11]。
また、マルグリット・R・ソーンの調査記録には、児童の答案を見た彼女が「この記号は学問である以前に、礼儀の訓練である」と述べた箇所があり、これが後年「ヒョ礼儀論争」と呼ばれた。なお、反対派の一部は、記号の丸みが過剰に愛らしいとして、国語の厳格性を損なうと主張した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『拗音記号試案集』帝国国語標準化院刊, 1901年.
- ^ Margaret A. Thornton, “The Hyoon Marks and Their Classroom Use,” Journal of Nipponic Phonetics, Vol. 4, No. 2, pp. 113-142, 1905.
- ^ 三浦梧舟『書と音のあいだ』築地書房, 1918年.
- ^ 田所静馬『教育記号の成立と変形』国文堂, 1932年.
- ^ Harold K. Wren, “On the Articulation of Palatalized Syllables,” Transactions of the East Asian Linguistic Society, Vol. 12, pp. 51-79, 1911.
- ^ 『帝国国語標準化院年報 第7巻第3号』帝国国語標準化院, 1904年.
- ^ 小林みどり『ヒョ音記号の社会史』港湾出版, 1966年.
- ^ Ernest B. Hayashi, “A Curious Note on the Hyoon System,” The Tokyo Pedagogue, Vol. 9, No. 1, pp. 7-19, 1923.
- ^ 『国語教育時報』第18巻第4号, 教育学会, 1922年.
- ^ 石川澄江『失われた補助記号たち』京都文庫, 1980年.
- ^ Margaret A. Thornton, “On the Usefulness of Hyoon in Winter Classrooms,” Proceedings of the Imperial Institute of Language, pp. 201-219, 1906.
外部リンク
- 帝国国語標準化院アーカイブ
- 古記号研究会
- 日本表音補助記号学会
- 東京速記資料館
- ヒョ音記号復刻委員会