ビキニブラジャー解き作法
| 名称 | ビキニブラジャー解き作法 |
|---|---|
| 別名 | 解き礼法、二重ホック式所作 |
| 成立 | 1962年頃 |
| 提唱者 | 木原澄江、松浦一之助 |
| 主な地域 | 日本、香港、パリの洋装業界 |
| 目的 | 衣服損傷の回避、視線統制、試着補助 |
| 関連機関 | 日本服飾礼法協会 |
| 影響 | 礼法講習、映画美術、下着設計 |
| 象徴的所作 | 右手親指先行解除 |
| 禁則 | 一息で両側を外すこと |
ビキニブラジャー解き作法(ビキニブラジャーときさほう、英: Bikini Brassiere Unfastening Etiquette)は、前半にの洋装店街で体系化された、ビキニ型ブラジャーの留め具を礼儀正しく解除するための所作体系である[1]。もともとはの試着室での事故防止策として考案されたが、のちに社交場の身だしなみ教育やの演出作法にも影響を与えたとされる[2]。
概要[編集]
ビキニブラジャー解き作法は、ビキニ型ブラジャーの背面または側面に設けられた留め具を、相手の衣服や心理的緊張を損なわずに解除するための一連の所作を指す。一般には下着文化の周縁に位置づけられるが、中期の都市礼法研究では、茶道や洋装マナーと並ぶ「手元の美学」の一種として扱われた。
この作法は、単なる脱衣の技術ではなく、会話の間、手首の角度、視線の置き方まで含むとされた点に特徴がある。とりわけが1964年にまとめた『薄布礼儀指針』では、解除に際して「沈黙は3拍、確認は1語、笑いは遅らせるべし」と記されており、当時の女性誌で妙に真面目に取り上げられた[3]。
歴史[編集]
試着室起源説[編集]
最も広く知られる説では、起源は中央区の四丁目にあった老舗百貨店の試着室整備にある。1961年、同店で輸入水着の試着が相次いだ際、若手販売員の木原澄江が「留め具を急いで外すと生地がねじれる」と指摘し、販売員向けの手順書を作成したのが始まりとされる[4]。
木原は後に、解除の手順を「導入・把持・静置・解放」の4段に分け、展示会の実演で用いたと伝えられる。もっとも、同年の社内報には彼女の名前が見当たらず、後年の聞き書きで創作された可能性もあるとされるが、なぜかこの話だけは業界史として定着した[5]。
港町伝播期[編集]
1960年代半ばになると、作法はとの輸入下着商を通じて全国へ広がった。特に香港経由の欧州製ビキニが流入したことで、前留め・後留め・側面留めの3系統が混在し、解除手順が複雑化したため、講習会が頻繁に開かれたという。
1966年には吹田市の万博関連施設で行われた非公開の制服研究会において、1回あたり平均47秒で解除する「標準解き」が採択されたとされる。ただし、この数値は当時の資料では42秒と記されており、どちらが正式値かは今も争点である。
理論化と衰退[編集]
1968年頃になると、の分科会が作法を理論化し、留め具の位置ごとに「近接型」「遠隔型」「心理的遠隔型」に分類した。これにより、単純な身支度の技術だったものが、ほとんど触覚心理学のような様相を帯びることになった。
しかしに入ると、ワンピース型水着や前開き式ブラの普及により、作法は急速に実用性を失ったとされる。それでも礼法教室では「消えゆく技術の保存」として教えられ、1983年にはの古美術会館で「衣紋解きと現代下着」展が開催され、来場者の約3割が目録だけを買って帰ったという記録が残る[6]。
作法の分類[編集]
右手主導型[編集]
右手の親指と人差し指でホックの外縁を押さえ、左手は相手の背面布を支える方式である。最も古典的とされ、百貨店教育では「最初に音を立てないこと」が重視された。熟達者は解除時に衣擦れをほとんど生じさせず、これを「無音解き」と呼んだ。
この型は、視線が自然に上方へ逃げるため、相手に警戒感を与えにくいと説明されている。ただし、雨の日に背面が湿っている場合は滑りやすく、手順を誤ると留め具が衣服の内側で反転するため、講師は必ず予備のハンカチを携帯したという。
左手回避型[編集]
右肩に負傷がある場合や、着用者が左側に壁を背負っている場合に用いられた変則法である。解除の前に一度だけ小さく会釈し、作業の開始を明示するのが特徴で、礼法書では「意図を隠さぬ勇気」が評価された。
もっとも、この方式は習得難度が高く、の講習記録では受講者18名中、最後まで成功した者が4名しかいなかった。残りは結局、講師が最初からやり直したとあり、教育効果については疑問も呈されている。
二重ホック慎重型[編集]
ビキニブラジャーの両側に留め具がある特異な仕様に対し、左右を同時に外さず、必ず時間差を置く方法である。理由は、生地テンションが急激に解放されると「戻り音」が出て場の雰囲気を損ねるためと説明された。
1967年の『女性服飾月報』によれば、銀座の高級下着店ではこの型の実演用に、ホック部だけをガラスケースで展示していたという。なお、そのケースの鍵をどこで管理していたかについては資料がなく、当時の担当者も「たぶん経理」と証言している[7]。
社会的影響[編集]
本作法は一見すると局地的な下着マナーに過ぎないが、実際にはの都市消費文化における「扱いの丁寧さ」を象徴する概念として流通した。百貨店の販売訓練、写真館のポージング指導、さらには旅館の女将向け接客講習にまで応用されたとされる。
また、一部の映画美術では、登場人物の品位を示すために「解き作法が美しいかどうか」が衣装担当の評価基準になったという。特に系の衣装班では、ホック音の録音を別室で行い、実際の演技よりも1.2秒遅らせて編集する慣習があったと伝えられる。これは当時としては画期的であったが、現場の助監督からは「そんなところまで同期しなくてよい」と苦笑されたという。
批判と論争[編集]
批判の中心は、そもそも作法が実在の必要性をはるかに超えて制度化されていた点にある。特にの『家庭生活評論』では、解き所作の講義が「衣服を外す行為に三段論法を持ち込んだ」と揶揄され、過剰な礼法化への反発が記された[8]。
一方で擁護派は、この作法が単なる技巧ではなく、相手の尊厳を確認するための社会的装置であったと主張した。ただし、同協会の講師が講義中に「ホックは急ぐほど遠ざかる」と述べたのに対し、受講生アンケートの満足度が92%だったのか67%だったのかで資料が割れており、後年の研究者は「数字だけが一人歩きした」と結論づけている。
関連資料に見る逸話[編集]
『薄布礼儀指針』の草稿には、解き作法の練習用として「胡桃二個、細紐二本、机上鏡一枚」を用いる図解があり、実物の衣服を使わずに手順だけを鍛える方式が推奨されていた。これにより、初学者は1日で20回以上の反復訓練を行えたとされる。
また、の洋装学校に残る1974年の授業日誌には、「本日、全員が解除の前に息を止めすぎたため、教室の空気が重かった」とだけ書かれている。記録者が何を重視していたのかは不明であるが、この一文だけが妙に生々しいとして研究者の間で人気が高い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 木原澄江『薄布礼儀指針—解き作法の実際—』日本服飾礼法協会, 1964.
- ^ 松浦一之助『洋装試着と所作統制』東京衣装研究会, 1966.
- ^ 坂口玲子「ビキニブラジャー解き作法の地域差」『服飾文化学報』Vol. 12, No. 3, pp. 41-58, 1971.
- ^ Harrington, E. M. “Etiquette of Fastenings in Postwar Resort Wear” Journal of Applied Costume Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 1969.
- ^ 田辺修三『都市百貨店と身体礼法』青楓社, 1972.
- ^ Moretti, Lucia. “The Semiotics of the Second Clasp” International Review of Dress History, Vol. 5, No. 1, pp. 7-26, 1975.
- ^ 『女性服飾月報』第18巻第4号, pp. 9-14, 1967.
- ^ 小島ミツ『解きの美学とその周辺』みやこ出版, 1984.
- ^ Carter, Norman P. “Unfastening as Social Performance” Fashion and Society Quarterly, Vol. 3, No. 4, pp. 201-219, 1973.
- ^ 『家庭生活評論』第27巻第1号, pp. 66-70, 1971.
外部リンク
- 日本服飾礼法アーカイブ
- 銀座洋装史研究所
- 下着文化資料室
- 昭和礼法データベース
- 衣紋解き研究会