ピク散
| 名称 | ピク散 |
|---|---|
| 読み | ぴくさん |
| 英語表記 | Piku-San |
| 初出 | 1968年頃 |
| 発祥地 | 東京都千代田区 永田町周辺 |
| 提唱者 | 野上 恒一郎 |
| 用途 | 画像断片の分散送信、混線回避、視覚秘匿 |
| 流行期 | 1974年 - 1981年 |
| 関連機関 | 電電公社視覚通信試験班 |
ピク散(ぴくさん、英: Piku-San)は、を中心に普及した、微細な画像片を短時間で分散・回収するための都市型映像処理技法である。元は末の系研究者が試験的に運用した「可搬式視覚断片通信」に由来するとされる[1]。
概要[編集]
ピク散は、や図版を一枚のまま扱わず、数十から数百の微小断片に分けて流通させる運用法である。受け手は専用の受像箱、あるいは改造された端末で断片を再構成し、最終的に元画像へ戻す仕組みが特徴である。
都市部の回線混雑を避けるために考案されたとされるが、実際にはの会議資料を「誰がどこまで見たか」を厳密に管理する目的が大きかったともいわれる。なお、断片の並び替えにはの印刷業者が培った版下管理の発想が転用されたという説が有力である[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
最初期のピク散は、に技術研究所の野上 恒一郎が、の省庁間回線で発生する画像欠損を補うために試作したものとされる。野上は、1枚の図面を送るよりも、17枚から23枚に分けた方が混線時の復元精度が上がることに気づき、これを「散らして見せる」方式としてまとめたという。
この方式は当初、研究所内で「ピクニック分割」と呼ばれていたが、会議資料の略記により次第に「ピク散」と書かれるようになった。もっとも、当時のメモには「P-ku 3案」など意味不明な記載もあり、後年の研究者からは要出典扱いの箇所が多い。
普及と変質[編集]
にはの一部企業で試験導入が行われ、役員会資料や広告原稿のやり取りに用いられた。とくにのある広告会社では、完成前のポスターを意図的に4枚に分散し、競合他社に抜き取られても全体像が分からないようにする「半秘匿ピク散」が流行したとされる。
一方で、分散しすぎた画像が社内で戻らなくなる事故も相次ぎ、の時点で、復元不能率は月平均3.8%に達していたという内部資料が残る。これにより、ピク散は実用技法であると同時に、会議を長引かせる文化装置としても認識されるようになった。
社会的流行[編集]
前後には、の若年層のあいだで、写真を意図的に細分化し、相手に小分けで送る「恋文ピク散」が流行した。これは、1枚の写真を最後まで見せる前に感情の変化を演出できるとして、当時の週刊誌が盛んに取り上げた[3]。
また、の生活情報番組では、冷蔵庫の中身をピク散的に管理する家庭が紹介され、翌週には全国の文具店から透明封筒が品薄になった。これがピク散の大衆化を決定づけたとされるが、実際には単にが余っていたことが原因だったという異説もある。
技術[編集]
ピク散の基本原理は、画像を縦横に均等分割するのではなく、意味の強い部分を先に切り離す点にある。たとえば顔写真であれば、目・口・輪郭・背景を別々の断片として送り、受信側が指定された順番で並べる。これにより、断片の一部が欠落しても「なんとなく本人らしい」復元が可能になるとされた。
標準規格としては、判を12断片に分ける「12面式」と、役所向けの27断片構成である「霞が関式」が知られている。後者は手続き上の確認欄が多すぎたため、復元に平均18分47秒を要し、担当者の集中力が先に尽きることが問題になった[4]。
運用と派生文化[編集]
ピク散の運用には、断片を入れる紙袋、並び順を示す小票、そして「再結合時には私語を慎むこと」と書かれた注意書きが必須とされた。とくにの金融機関では、朝一番の会議前にピク散資料を配布し、資料が揃うまで出席者を立たせたまま待機させる慣行があったという。
これに伴い、断片の欠番を意図的に一つだけ残す「一枚足りない美学」や、完成後にもう一度ばらす「逆ピク散」といった派生文化も生まれた。逆ピク散は、説明責任を回避しやすいとして後半の自治体広報で重宝されたが、住民からは「何を伝えたいのか分からない」との苦情が続出した。
批判と論争[編集]
ピク散は、情報保護と混乱誘発を同時に実現してしまう点で、早くから批判の対象となった。とくにの夕刊では、行政文書のピク散化が「透明性を断片の数でごまかす手法」として論じられ、関係者のあいだで小さな論争を呼んだ[5]。
また、復元装置の品質差が激しく、同じ資料でもでは顔が3つに見え、では背景だけが鮮明になるといった現象が報告された。これについてピク散推進協会は「受け手の想像力を尊重した結果である」と説明したが、会員の半数が2年以内に離脱したとする記録がある。
衰退と再評価[編集]
に入ると、デジタル画像圧縮技術の普及により、ピク散は急速に姿を消した。特にの普及以後は、断片を物理的に持ち歩くよりも、単一ファイルで送る方が圧倒的に速く、役所の担当者ですら「もう散らす意味がない」と認めるようになった。
しかし後半から、匿名性の高い資料共有や、会議の長文化をあえて遅延させる手法として、ピク散が再評価されている。現在では、の一部の古書店や、企業研修のレクリエーションで擬似的に再現されることがあり、特に新人教育で「情報の欠落を前提に読む訓練」として使われる場合がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 野上 恒一郎『分散視覚伝送の試み―ピク散方式の基礎』電気通信学会誌 Vol. 41, No. 3, pp. 112-129, 1969.
- ^ 佐伯 祐介『霞が関における画像断片管理の実際』行政情報研究 第12巻第2号, pp. 44-61, 1973.
- ^ Margaret A. Thornton, “Fragmented Image Relay in Urban Bureaucracies,” Journal of Applied Communication Systems, Vol. 8, No. 1, pp. 17-33, 1976.
- ^ 『ピク散運用要覧 第2版』電電公社視覚通信試験班内部資料, 1977.
- ^ 中村 正義『断片化された会議とその心理的負荷』経営と実務 第19巻第4号, pp. 201-218, 1979.
- ^ Henry J. Wilkes, “Partial Picture Handling and the Tokyo Model,” Proceedings of the International Symposium on Office Media, pp. 88-96, 1980.
- ^ 『朝日新聞』夕刊「資料を散らすという発想」1981年7月14日付.
- ^ 高橋 美沙子『逆ピク散の実務と限界』広報技術研究 第7巻第1号, pp. 5-22, 1984.
- ^ 藤本 典夫『画像復元における欠番美学』日本情報文化学会誌 第15巻第6号, pp. 333-349, 1992.
- ^ L. K. Meredith, “From Scatter to Compression: A Failed Transition,” East Asian Media Review, Vol. 14, No. 2, pp. 77-90, 2003.
外部リンク
- ピク散資料アーカイブ
- 電電公社視覚通信史料室
- 断片通信研究会
- 都市オフィス文化博物館
- 霞が関メディア技術年表