VEPS 映像表現実践ゼミ
| 正式名称 | VEPS 映像表現実践ゼミ |
|---|---|
| 略称 | VEPS |
| 種別 | 実践型ゼミナール |
| 設立 | 1978年 |
| 本部 | 東京都中野区 |
| 主要活動 | 映像制作、講評会、地域記録、校外上映 |
| 提唱者 | 桐生一之、マーガレット・L・ハーパー |
| 公用語 | 日本語 |
| 関連機材 | Bolex、U-matic、S-VHS、初期ノンリニア編集機 |
VEPS 映像表現実践ゼミ(ぶいえぷす えいぞうひょうげんじっせんぜみ)は、からまでの映像技法を横断的に扱うとされる、日本の実践型ゼミナールである。一般にはの一種として知られているが、その成立にはとにまたがる放送機材の共同保管計画が関与したとされる[1]。
概要[編集]
VEPSは、を「撮る技術」ではなく「現場での判断を鍛える訓練」として位置づけた点に特徴があるとされる。発足当初は周辺の自主映画研究会を母体としたが、のちに、、さらにはの退職技術者まで巻き込み、半ば学際組織のように拡大した[2]。
表向きは学生ゼミであるものの、実際には「3分以内に1つの場面転換を成立させる」「雨天時は反射板を持たずに構図で勝負する」といった独自の訓練規範が存在した。これらはに作成されたとされる『VEPS撮影手帖』にまとめられているが、版ごとに内容が異なり、編集委員会の所在も一定していない[3]。
そのためVEPSは、教育機関であると同時に、地域上映会の運営体、機材改造サークル、そして妙に厳格な礼儀作法を持つ準宗教的共同体として語られることがある。この多面性が、後年のやに少なからぬ影響を与えたとされている。
成立の経緯[編集]
VEPSの起源については諸説あるが、最も広く流布しているのは、の冬にの貸し会議室で行われた「回転式照明の誤作動実験」に由来するという説である。実験は失敗したものの、被写体の影が壁面に3重に映ったことが「編集以前の映像思想」を象徴すると受け止められ、翌春にゼミとして再編されたとされる[4]。
創設者の一人である桐生一之は、当時の夜間講師を務めていたとされる人物で、フランスから帰国した美術評論家マドレーヌ・ベルフォールの影響を受けていたという。もう一人の中心人物であるマーガレット・L・ハーパーは、の大学院で「movement rehearsal film」という概念を提唱した研究者とされるが、彼女の業績はVEPSの内部資料でしか確認できない。
の正式発足式では、参加者37名のうち22名がカメラの使い方を知らなかったという記録が残る。これがむしろ「技術より観察を先に学ぶ」というVEPSの基本理念を確立したとされ、以後の入門者は初日に必ず内の商店街を無音で撮影し、翌日に10分間だけ講評を受ける慣習が定着した。
教育方法[編集]
三層講評法[編集]
VEPSで最も知られるのが「三層講評法」である。これは、作品をまず技術、次に構図、最後に倫理の順で評価する方式で、1本の短編につき平均18分の沈黙を挟むことが義務づけられていたとされる。特に倫理層では「そのパンは誰のために回ったのか」といった、映像としては謎だが教育的には深い問いが投げかけられた。
この方式はにで開かれた公開講評会で注目され、他大学の映像ゼミにも模倣された。しかしVEPS側は「模倣されると講評の精度が落ちる」と主張し、講評後に必ず湯気の立つを飲むという儀礼を追加した。
機材の共同修復[編集]
VEPSのもう一つの特色は、映像機材を「買う」のではなく「直して使う」ことにあった。特に再生機は、の電機店が閉店した際に廃棄寸前だった12台が搬入され、ゼミ生が週に2台ずつ分解・再構成したという。修復に失敗した機材は、講義用の「断線標本」として保存され、毎年春の展示に使われた。
なお、1980年代半ばには、修復作業の副産物として謎の映像ノイズ「VEPSグリッチ」が観察されたとされる。これは磁気テープの劣化とされているが、ある記録では「編集者の迷いが走査線に残留したもの」と説明されている。
活動と作品[編集]
VEPSの代表的な活動は、学内上映会「夜の試写台」である。ここでは完成作品よりも未完成ラッシュの提示が重視され、観客は上映後に「このカットはどこで諦めたか」を記入する票を提出した。1984年の第9回上映会では、アンケート回収率が92%に達し、しかもそのうち14%が実質的に詩だったことから、映像批評の新形式として注目された[5]。
作品としては、商店街の閉店時刻を12週連続で追った『シャッターの練習』(1981年)、多摩川の河川敷を移動しながら同じ人物を3回撮影した『三回目の輪郭』(1986年)、の車内だけで物語を成立させようとした『停車駅のない映画』(1990年)などが有名である。いずれも上映時間は15分前後だが、事前準備が異常に長いことで知られた。
また、VEPSは地域連携にも熱心で、周辺の自転車店、銭湯、古書店などを巻き込んだ「1日1カット運動」を展開した。これは街の記録を目的とする一方で、参加者が翌日必ず撮影場所を見失うという副作用があり、その迷走自体が都市表現の一部とみなされた。
社会的影響[編集]
VEPSの影響は、映像教育にとどまらない。1990年代初頭には、同ゼミ出身者がの新人研修に招かれ、リハーサルの前に「まず椅子を撮れ」と指導したことで現場の進行が10分遅れたとされる。これが「VEPS式初期化」と呼ばれ、以後いくつかの制作会社で採用されたという。
一方で、VEPSの厳格な講評文化には批判もあった。特に、毎回の講評が長すぎるため、出席者が自分の作品より他人の沈黙に詳しくなるという問題が指摘された。また、の内部調査では、参加者の31%が「カメラを持つと姿勢が良くなる」と回答しており、これが教育効果なのか心理的圧力なのかをめぐって論争が起きた。
それでもVEPSは、の記録映像制作や災害時の地域アーカイブ整備に人材を供給し続けたとされる。特に後には、被災地の仮設商店街を無音で記録するプロジェクトが行われ、のちに「音のない復興記録」として上映された。ここで撮影された7時間分の素材のうち、実際に編集されたのは11分だったという。
批判と論争[編集]
VEPSをめぐっては、設立当初から「映像を学ぶ場なのか、儀式を継承する場なのか」がたびたび争点となった。特に、春の入会儀礼で新入生が三脚を肩に担いだままを一周させられる慣習は、体力育成として容認する声と、過剰に演劇的であるとの批判が分かれた[6]。
また、1988年には講評記録の中に「編集とは、切ることではなく躊躇を減らすことである」という有名な一節が登場するが、これが桐生本人の発言か、匿名の院生が後から足したものかは未解決である。VEPS史研究会はこの文言を「共同制作の極点」と評価しているが、別の研究者は「後世の美化の可能性が高い」としている。
さらに、内部資料の多くがの火災で失われたとされるため、初期史の一部は伝聞に頼らざるをえない。この火災については、電気配線の老朽化説のほか、冬季合宿で使った加湿器がフィルム保管棚に近すぎた説、あるいは「完成したくない作品が自ら燃えた」という比喩的説明まで存在する。
歴史[編集]
1970年代[編集]
1970年代のVEPSは、ほぼ完全に実験集団として活動していた。メンバー数は平均14名で、毎週の集会ではの喫茶店でストーリーボードを広げ、店員に注意されるまで議論を続けたという。1979年には初の対外発表として、3枚のスライドと1台の故障したプロジェクターだけで構成された講演を行い、来場者の半数が内容を理解できなかったが、残り半数は「理解できないことが重要だ」と感想を述べた。
1980〜1990年代[編集]
1980〜1990年代には、ビデオ技術の普及に伴い、VEPSは急速に実務寄りの色彩を強めた。特に導入後は、学外のイベント記録や自治体広報映像の受託が増え、ゼミとしては珍しく予算が黒字化した年もあったとされる。もっとも、その黒字の多くはテープ洗浄剤とプリント紙の購入に消えたため、関係者は「見えない収支」と呼んでいた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 桐生一之『映像表現実践論』日本放送出版協会, 1985年, pp. 41-68.
- ^ Margaret L. Harper, "Practice Before Image: Notes on VEPS", Journal of Visual Pedagogy, Vol. 12, No. 3, 1983, pp. 77-94.
- ^ 中村紘子『ゼミと機材のあいだ』美術出版社, 1991年, pp. 102-139.
- ^ 田沢圭介「VEPS撮影手帖における沈黙の記述」『映像文化研究』第8巻第2号, 1994年, pp. 15-29.
- ^ Eleanor W. Finch, "Tape, Dust, and Discipline: The Tokyo Seminar Model", Asian Media Quarterly, Vol. 5, No. 1, 1990, pp. 11-36.
- ^ 『VEPS年報 1978-1987』VEPS資料室, 1988年, pp. 3-211.
- ^ 佐伯あや『地域を撮る、地域に撮られる』青弓社, 2002年, pp. 55-88.
- ^ Harold K. Benton, "The Three-Tier Critique Method", Proceedings of the Kyoto Conference on Film Practice, Vol. 2, 1987, pp. 144-160.
- ^ 木暮真由美「VEPS式初期化の実務的効果」『教育映像学会誌』第14巻第1号, 1997年, pp. 9-22.
- ^ 村瀬直人『編集台の上の都市』リトルモア, 2008年, pp. 201-230.
外部リンク
- VEPS資料室アーカイブ
- 中野映像実践史研究会
- 東京学生映像連盟
- 地域アーカイブネットワーク
- 日本講評文化保存会