エセポルノ
| 名称 | エセポルノ |
|---|---|
| 分類 | 準ポルノ表現、擬装映像、地下流通文化 |
| 発祥 | 日本・東京都新宿区周辺 |
| 成立 | 1978年ごろ |
| 提唱者 | 白石修二郎、斎藤ミナ、ほか |
| 主な媒体 | 8ミリフィルム、VHS、成人向け雑誌付録 |
| 関連機関 | 日本映像倫理研究会、首都圏自主流通協議会 |
| 派生分野 | 広告パロディ、疑似教育映像、逆輸入AV |
| 代表的事件 | 歌舞伎町回収騒動(1983年) |
| 特徴 | 露骨さよりも露骨さの振る舞いを演出する点 |
エセポルノとは、後半のを中心に成立した、真正のを模倣しつつも、意図的に制作手法や流通経路をずらした準ポルノ表現の総称である。表向きは成人向け作品の一種として扱われるが、実際には、、の交差点に位置づけられている[1]。
概要[編集]
エセポルノは、の都市部で発達した映像・印刷混成の表現様式であり、外形上はに見えるが、実際には「それらしく見せること」自体を目的とする点に特徴がある。完成品よりも、完成品に見えるための梱包、文言、配役、撮影現場の空気づくりに重きが置かれたとされる[2]。
初期の関係者は、これを単なる下品な模倣ではなく、検閲と市場の隙間を突く高度な演出技法とみなしていた。一方で、一般消費者の間では「妙にまじめで、妙に安っぽい」作品群として受け取られ、やがての中古ビデオ店やの深夜雑誌売り場を中心に、半ば都市伝説化していった。
歴史[編集]
成立以前の前史[編集]
起源は前半のにあった小規模な印刷所と、系の自主制作サークルに求められる。ここで使われた「見えてはいけないものを、いかに見えたように誤認させるか」という撮影技法が、後のエセポルノの基礎になったとされる[3]。
当時の編集記録によれば、ある技師が誤って期の商標広告を参考にしたところ、被写体の配置や活字の抜き方がかえって艶めかしく見えたことが発端であったという。この逸話はしばしば創作と疑われるが、の『首都圏小型印刷機通信』第12号に類似記述があるため、完全否定はされていない。
1978年の命名と流通網の形成[編集]
、の喫茶店「ル・フォルテ」で開かれた非公開会合において、編集者の白石修二郎が「これはポルノではなく、ポルノのふりをした何かだ」と述べ、同席の斎藤ミナが「エセポルノ」と紙ナプキンに書いたことが命名の由来であるとされる[4]。この会合では、作品本編よりもパッケージの煽り文句を精緻化する方針が決定された。
翌年にはの倉庫街に「首都圏自主流通協議会」が設立され、都内14か所の古書店と11か所のレンタル店を結ぶ私設流通網が構築された。出荷伝票の記載が妙に丁寧であったため、税務署が一時的に「成人向け教材」と誤認したという記録がある。
1980年代の拡大と歌舞伎町回収騒動[編集]
、の倉庫に保管されていた約3,200本のVHSが、都の青少年対策部署によって一斉回収される事件が起きた。ところが回収後に判明したのは、その半数以上が実際にはポルノではなく、空調の効いた撮影現場を延々と映した「現場紹介編」であったことである[5]。
この事件を契機として、エセポルノは「過激さを売るのではなく、過激そうに見える無害さ」を売る分野として再定義された。以後、作品には無意味な専門用語、過剰に丁寧な字幕、そしての所在地を1秒だけ映すような行政的演出が流行した。
VHS末期からデジタル初期への転換[編集]
後半になると、エセポルノはVHSの物理的な偽装から、デジタルファイル名やサムネイル設計へと重心を移した。たとえば『保健指導用ビデオ 第3版』というタイトルで流通しながら、実際にはスタッフの弁当の開封音だけが27分続く作品があったという[6]。
この時期の中心人物として、映像作家のと、パッケージデザイナーのが知られる。木村は「露骨なものを作るのではなく、露骨に見える余白を作る」と述べ、北沢は実在しない認証印を30種類以上設計したとされる。
特徴[編集]
エセポルノの最大の特徴は、表現内容そのものよりも「そう見せるための周辺記号」にある。具体的には、官公庁風の書体、異様に真面目な注意書き、学会誌を思わせる奥付、そして無関係な地図情報がしばしば用いられた。
また、作品の多くは、視聴者に「実在の裏社会を覗いている」と錯覚させる一方、内容は極めて無害であった。ある調査では、対象作品42本のうち31本に「制作協力:首都圏青少年健全育成推進会議」とあるが、実際にその団体は存在しないとされる。
なお、エセポルノの愛好家の間では、真に過激な作品よりも、ラベルだけが過激で中身が異常に慎重な作品が高く評価された。この傾向は後年のネット文化における釣りタイトルや偽装サムネイルに影響を与えたとする説がある。
社会的影響[編集]
エセポルノは、成人向け市場の周縁に小さな経済圏を形成しただけでなく、広告、検閲、図書館分類法にまで影響を及ぼしたとされる。ではに一時、同類の資料が「視聴覚資料・要再評価」として別置された記録があるが、これは館内の分類担当者が作品名にだまされたためであるという。
また、テレビ局の深夜番組においても、エセポルノ的手法は「画面の手前に無意味な注意テロップを重ねる」「出演者を学術肩書で紹介する」といった形で輸入された。結果として、バラエティ番組の一部が妙に堅苦しくなった時期があり、制作現場ではこれを「新宿式の過剰整文」と呼んでいたという。
一方で、青少年保護団体からは、実態のわかりにくさがかえって有害であるとの批判もあった。ただし批判文書の末尾に「内容確認のため3回視聴した」と記されていたため、後年しばしば揶揄の対象となった。
批判と論争[編集]
エセポルノをめぐる最も大きな論争は、それが本当にポルノなのか、それともポルノを装った広告芸術なのか、という点にあった。のでは、約5時間にわたる討議の末、「視覚的効果に依存する点で準ポルノに分類しうるが、内容の希薄さゆえに教材ともいえる」とする折衷的な見解が採択された[7]。
また、いくつかの作品では、あまりに巧妙な偽装により、販売店自身が成人向け棚に置くべきか教育棚に置くべきか判断できず、最終的に「その他」という棚が新設された。これは一部の書店員にとって便利であったが、分類学としては不完全であるとの批判がある。
なお、に公開された『極私的保健映像・東京臨海版』は、タイトルのわりに湾岸倉庫の換気ダクトしか映らず、消費者センターに32件の問い合わせが寄せられた。これに対し制作側は「ダクトもまた身体の一部である」と回答したと伝えられる。
代表的な作品[編集]
エセポルノの代表作としては、『夜間衛生講習録』(1981年)、『大人のための静物学』(1984年)、『港区保安手引き』(1986年)などが挙げられる。いずれもタイトルは公的文書を装っているが、内容は撮影機材の置き方、照明の点灯手順、出演者の待機時間などを淡々と記録したものである。
特に『大人のための静物学』は、リンゴと白布しか出てこないにもかかわらず、パッケージ裏面の文言が過剰に扇情的であったため、の一部書店で8日間にわたり最も売れた成人向け作品となった。この記録は現在でも業界関係者の間で半ば伝説視されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白石修二郎『準ポルノ表現の周辺記号』日本映像学会誌 第14巻第2号, 1984, pp. 33-51.
- ^ 斎藤ミナ『新宿地下流通網における成人向け擬装の研究』都市文化研究所紀要 Vol. 7, 1986, pp. 88-104.
- ^ 木村篤史『VHS末期の偽装タイトルと販売心理』映像産業評論 第22巻第1号, 1999, pp. 11-29.
- ^ Margaret L. Haversham, “Packaging Desire: The Rise of Pseudo-Adult Media in Tokyo,” Journal of Media Anthropology, Vol. 18, No. 4, 2003, pp. 201-225.
- ^ 中村邦雄『歌舞伎町回収騒動と行政分類の迷走』社会史評論 第31巻第3号, 1991, pp. 140-158.
- ^ Madoka Kisaragi, “The Ethics of Almost-Obscene Design,” East Asian Visual Studies, Vol. 9, No. 1, 2007, pp. 5-27.
- ^ 首都圏自主流通協議会編『配本記録と偽装奥付の実際』内部資料集 第5巻, 1982, pp. 1-66.
- ^ 山崎精吾『成人向け市場における「無害性」の商品化』広告史研究 第12巻第4号, 1995, pp. 77-93.
- ^ 藤堂イサム『ダクトは身体の一部である:2001年の視聴覚抗議記録』現代風俗論集 Vol. 3, 2002, pp. 55-60.
- ^ Hiroko T. Lane, “When Nothing Happens: Blankness and Arousal in Late PseudoPorn,” Cultural Interfaces Review, Vol. 6, No. 2, 2011, pp. 99-118.
外部リンク
- 日本映像倫理研究会アーカイブ
- 首都圏自主流通協議会デジタル目録
- 新宿地下出版史資料室
- 東京サブカルチャー口述記録館
- 偽装広告デザイン年表