ファイアーマミダス
| 名称 | ファイアーマミダス |
|---|---|
| 分類 | 熱変質現象、工業民俗 |
| 初報告 | 1897年(ノルウェー・ベルゲン説) |
| 再発見 | 1934年(東京・向島説) |
| 主な研究者 | カール・E・リンドベリ、渡辺精一郎 |
| 用途 | 耐熱塗膜、鋳造儀礼、非常時保護加工 |
| 関連機関 | 帝国工藝試験所、国際熱象学会 |
| 特徴 | 接触面が金色に光沢化し、表面硬度が平均で12〜18%上昇するとされる |
| 異名 | 火のミダス、黄金熱層 |
| 危険性 | 高温条件下で過剰発現すると、対象物が脆化することがある |
ファイアーマミダス(Fire Midas)は、との境界に現れるとされる、熱源に触れた物体を一時的に「黄金色の耐熱層」に変質させる現象である[1]。主にので最初に観測されたとされ、のちにの工場街で再発見されたという説が流布している[2]。
概要[編集]
ファイアーマミダスは、熱と酸化が複合した条件下で、金属・陶器・一部の木質素材の表面が金色に変化する現象として説明される。一般にはのにちなむ俗称が用いられるが、学術的にはの一種として整理されている。
この現象は後半、の小規模鋳造所で「炉の縁だけが異様に輝く」と報告されたのが嚆矢であるとされる。その後末から初期にかけての工場地帯で断続的に観測され、の技手であった渡辺精一郎が体系化に成功したという説が有力である[3]。
成立の経緯[編集]
ファイアーマミダスの起源には、少なくとも三つの説がある。第一は、港の錆止め塗料に含まれていた微量の黄鉄鉱粉末が、高湿度と煤煙の作用で反応したとする工業起源説である。第二は、の耐火煉瓦商が19世紀後半に流行させた「黄金縁取り」の装飾技法が転用されたとする装飾起源説である。第三は、の秘密試験で偶然生じた副産物が、職人たちの間で「火の神の印」として広まったとする軍需起源説である[4]。
とくに日本では、の鋳物師・松井嘉平がに工場炉の断熱板へ松脂と金属粉を塗布したところ、夜間巡回の警備員が「炎の周囲に金箔の輪ができた」と証言した記録が残る。なおこの証言は後年、当人が「煤で見間違えたのではないか」と述べたため信憑性が揺らいだが、かえって研究者の関心を集める結果となった。
歴史[編集]
前史[編集]
19世紀末のでは、炉や鍋の縁が黄金色に見える現象が「貧しい工房の祝福」として扱われ、職人が開業初日に炉へを投げ入れる習俗があったという。これが後のファイアーマミダスの象徴体系に取り込まれたとされる。
またのでは、会場監督のアンドレアス・ホルムが「照明の反射では説明できない」と日誌に記し、展示炉の一点が三晩にわたり金色に発光したとされる。この記録は後に学会誌で引用され、現象の最初期例として扱われた[5]。
日本での展開[編集]
初期の日本では、の下町工場で金属加工に従事する職工らが、作業効率向上の「縁起技法」としてファイアーマミダスを用いた。特にの釜屋清吉商店は、炉壁に緑青と硫黄を混ぜた特殊下地を塗ることで、冬季の作業中に手袋の摩耗が14%減ったと社内報で報告したとされる。
はから試験的な検証を行い、厚さ0.8ミリの鉄板に3層塗りを施した場合、表面温度が平均2.4度低く観測されたと発表した。ただし同報告書の脚注には「測定器が炉の熱で歪んでいた可能性あり」と記されており、のちに要出典扱いとなった。
国際的普及[編集]
に入ると、ファイアーマミダスはの工業デザイン界で再評価され、耐熱扉やストーブ装飾に応用された。とりわけの展示会で、ルートヴィヒ・クライン博士が「機能美と呪術の境界」と題する講演を行い、聴衆の半数がメモを取り、残りの半数が困惑したと記録されている。
一方ででは、1961年にの若手研究員マーガレット・A・ソーンダースが、熱波で金色化したサンプルを「実用的だが説明不能」と評し、以後ファイアーマミダスは産業化よりもコレクター向け素材として流通することになった。
特徴[編集]
ファイアーマミダスの最大の特徴は、熱源に近接した箇所だけが金色から琥珀色へと遷移し、冷却後も微細な斑紋を残す点にある。表面観察では、結晶粒が平均0.3〜0.7ミクロンほど再配列したように見えるが、実際には測定法によって値が大きくぶれるため、研究者の間でも統一見解はない。
また対象物によっては、香りが微かにに似ることから、食用加工との誤認がしばしば発生した。の港では、輸入ブリキ缶の一部がファイアーマミダス化した結果、税関職員が高級菓子缶と間違えて保税倉庫に回したという逸話が残る。
なお、過剰な加熱により金色化が黒褐色へ転じる「逆ミダス化」が起こることがあり、これは職人の間で最も嫌われた。ある工場では、この逆反応を抑えるために炉の横へを吊るし、1時間ごとに3回鳴らすという独自の管理法が採用されていた。
社会的影響[編集]
ファイアーマミダスは、工業製品の耐熱性向上という実利よりも、むしろ「火を扱う者の威信」を可視化する文化的記号として広まった。昭和30年代には、の新装祝いに金色化した鉄片を配る習慣が一部地域で見られ、商工会議所が「安全基準と混同しないこと」と注意喚起した記録がある[6]。
またの分野では、陶板、ストーブ、ランプシェードに応用され、の蒔絵師たちが「熱で生じる偶然の文様」を取り入れた作品を発表した。これにより、伝統工芸の側からも評価を受けた一方、現代的な工業規格とは相性が悪く、量産品では「見た目は豪華だが検品で弾かれる」現象が頻発した。
のオイルショック時には、節電のため低温炉への転用が試みられたが、必要な煤成分が不足し、全国の試験場で「思ったほど黄金にならない」という苦情が相次いだ。これが逆にファイアーマミダスを「景気に左右される現象」として有名にした。
批判と論争[編集]
ファイアーマミダスをめぐっては、当初から「観測者の思い込みではないか」という批判が絶えなかった。の金属学講座では、同一条件下での再現率が27%から81%まで乱高下したため、研究室ごとに説明が異なり、学会では半ば笑い話として扱われたという。
さらに、の『熱変質現象年報』に掲載された論文では、著者の一人が「夜勤明けの目撃証言は統計から除外すべきである」と主張し、別の著者が「むしろ夜勤明けこそ真理に近い」と反論したことで、誌面上で小競り合いが起きた。これはファイアーマミダス論争の象徴的事件として引用される。
ただし一部の保存修復家は、古い鉄器や器物の表面保護において本現象が有用であると主張しており、完全な否定には至っていない。なおは2011年の総会で「説明不能であることと無価値であることは同義ではない」と採択文をまとめたが、賛成票の中に誤って投票機のテスト票が1票含まれていたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『熱彩変質論序説』帝国工藝試験所報告 第12巻第4号, 1938, pp. 41-79.
- ^ Karl E. Lindberg, “On the Bergen Furnace Luster,” Scandinavian Journal of Applied Metallurgy, Vol. 7, No. 2, 1901, pp. 113-128.
- ^ 松井嘉平『向島鋳物場日録』下町工業史料刊行会, 1941.
- ^ Margaret A. Thorne, “Fire-Midas Effects in Low-oxygen Chambers,” Proceedings of the Massachusetts Institute of Thermal Studies, Vol. 18, No. 1, 1961, pp. 9-34.
- ^ ルートヴィヒ・クライン『機能美と呪術の境界』デュッセルドルフ工業美学協会, 1958.
- ^ 小山田静子「金色化皮膜の民俗学的再検討」『熱と工芸』第5巻第3号, 1975, pp. 201-219.
- ^ Andreas Holm, “Notes from the Bergen Industrial Exposition of 1898,” Norwegian Industrial Archives Review, Vol. 2, No. 4, 1904, pp. 55-61.
- ^ 佐伯隆一『逆ミダス化の防止法』日本炉材研究会誌 第21巻第2号, 1983, pp. 17-46.
- ^ Hiroshi Kanda, “A Quantitative Index for Golden Surface Anomalies,” Journal of Thermal Folklore, Vol. 9, No. 3, 1994, pp. 77-95.
- ^ 国際熱象学会編『熱象学会議事録 2011年度総会』国際熱象学会出版部, 2012, pp. 3-12.
外部リンク
- 国際熱象学会アーカイブ
- 帝国工藝試験所デジタル資料館
- 下町工業史研究センター
- 金色化皮膜保存協会
- 熱象民俗年表オンライン