ブソクテン(競走馬)
| 主な国・地域 | 日本 |
|---|---|
| 分類 | 競走馬(系統名・馬名の併用) |
| 活動期 | 大正末期〜昭和初期(とされる) |
| 主戦場 | 周辺および地方競馬の混合調教 |
| 特徴 | 加速区間の短さを売りにする“拍速(はくそく)理論”の象徴 |
| 関係団体 | 畜産局馬事係、民間調教連盟 |
| 関連文献 | 『拍速馬学綱要』ほか |
ブソクテン(ぶそくてん)は、競走馬の系統を指す呼称として用いられた馬名である。主にの競馬文化の中で語られ、当時の記録媒体に多く残されたとされる[1]。
概要[編集]
は、単なる馬の固有名ではなく、当時の競走馬育成において「歩数と速度の相関」を指標化しようとした動きの中で成立した呼称である。とくに、出走直前の気配から“最速歩(さいそくほ)”の訪れを予測できるとされた点が、のちの競馬記事にも引用される材料となった[2]。
当該の呼称は、表向きは競馬新聞の用語として流通したものの、実際にはの調教師会と、馬産振興の官側文書における語彙の摩擦から生まれたとされる。すなわち、検量室(けんりょうしつ)での計測記録を「一般に読める形」に変換するため、速度を“拍(はく)”に置き換える記法が採用された結果である[3]。
成立と用語の由来[編集]
“ブソクテン”という音の設計[編集]
当時の競馬新聞では、馬の評価語があまりに専門的だと購読者がついてこない問題が指摘されていた。そこで、内の印刷組合が推進した「一目で読める見出し規格」に合わせ、専門的な語を“短い拍で刻める音”へ圧縮する試みが進んだとされる[4]。
具体的には、調教ノートで使われていた「歩速連動(ほそくれんどう)」の頭文字を取り、発音の丸みを調整した結果、作字のような表記としてが定着したとする説がある。また、語尾の“テン”は「照合(しょうごう)」の当て字としても機能したとの指摘がある[5]。
競走馬学と計測文化の結節点[編集]
成立期の学問的背景としては、系統の計測熱が地方調教現場にも波及したことが挙げられる。特に、心拍ではなく「脚運びの位相(いそう)」を読み取る器具の試作が行われ、記録紙の上に現れる“テン”状の山が重視されたとされる[6]。
この文脈で、ブソクテンは「速さ」を直接述べるのではなく、「どのタイミングで加速が始まるか」を語るための呼称として定着した。ゆえに、勝ち負けの結果よりも、競走の途中経過が記事にしやすかった点が普及の追い風になったと推定されている[7]。
歴史[編集]
初出記録と“東京・芝の拍”事件[編集]
末期、で開催されたとされる“芝の拍(はく)”をテーマにした臨時競走で、ブソクテンという呼称が初めて大見出し付きで登場したという。新聞の見出しは「ブソクテン、芝の拍 12/10秒到達」といった異様な書き方で、競走そのものより計測に注目が集まった[8]。
当時、ゴールまでの走破タイムが概ね「1分35秒前後」で推移していた中、当該競走だけが観測上“中間加速”の差として記録紙に強く現れた、とされる。調教師の私的ノートでは、加速開始を「残り300メートル地点、右前脚が第7拍で地面を取る」と記述したという伝承があり、のちに「競馬が科学になった瞬間」として語り継がれた[9]。ただし、この記述は検証可能な一次資料が少なく、後年の脚色も疑われている[10]。
系統確立計画と“拍速馬学綱要”[編集]
昭和初期、畜産局馬事係の内部検討会では、勝ち馬の再現性を高めるため「拍速(はくそく)系統」という概念が提案された。ブソクテンはその象徴例として整理され、配合方針が「腹帯(はらおび)の締め加減は一定、歩幅の理想値のみを調整」といった現場仕様に落とし込まれたとされる[11]。
さらに民間調教連盟は、調教記録の標準化のために『』を刊行し、巻頭付録として“ブソクテン表(表B-3)”を付けた。そこでは、追い切りの回数が「19回」「22回」「25回」の三段階に分かれ、うちブソクテン該当馬は「22回で反応が鈍らない」と断定されていたという[12]。数値が妙に丸い点が、むしろ信頼を生んだと指摘されている[13]。
ブソクテンの社会的波及:観客の“読み”が変わった[編集]
ブソクテンの普及により、観客の関心は「最後にどちらが伸びたか」から「いつ加速したか」へ移ったとされる。地方の軽食屋でも、競走の合間に「今日は第7拍が来たらしいぞ」といった会話が生まれ、競馬新聞のコラムが口語化したとされる[14]。
また、競馬場外では“拍”を仕事のリズムに転用する流行が起きた。たとえば内の織布工場では、機械の停止タイミングを「拍数換算」へ切り替える試みが報告されている[15]。ただし因果関係は不明で、調査報告書の数字の出し方が恣意的だったとの批判もある[16]。
競走馬としての評価と代表エピソード[編集]
ブソクテンが語られるとき、しばしば実際の一頭ではなく「その評価方式」を体現した存在として扱われる。たとえば、昭和初期の地方競馬では“ブソクテン級の反応”がある馬を、レース前の追い切りで判定する習慣が生まれたとされる[17]。
伝承によれば、該当馬は追い切り後の息遣いが「吐気(とき)の音圧で2段階に分かれる」ことで見分けられたという。調教師は計測器を持ち込んでおらず、代わりに温湿度計と釣り糸を使った即席装置で「糸の震えが13回目で揃う」と記録したとされる[18]。この話は誇張が疑われる一方、記事としては読みやすく広まった。
さらに“拍速理論”の旗手とされた人物として、の馬産家・渡辺精一郎(わたなべ せいいちろう)が挙げられる。彼は公開の講習で「速さは足ではなく、足が地面に触れる順番に宿る」と述べたとされ、参加者のノートには「順番=拍、拍=運」といったメモが残ったという[19]。
批判と論争[編集]
ブソクテンの理論は、競馬を“科学の衣”で説明できる点が受け入れられた一方、実態の曖昧さも論じられた。特に、初期の計測記録において「加速開始点」が記録紙の解釈に依存していた可能性が指摘されている[20]。
また、官側文書では拍速系統の効果が“統計的に有意”とされているが、採用されたサンプル数が「わずか14頭」と記されている例がある。14という数字は当時の研究会での議論のしやすさを優先した結果だとみられ、のちに編集者が“物語として整った数字だけを残した”のではないかと推測されている[21]。
さらに、ブソクテンの用語が広まったことで、競走馬の個体差よりも「用語の適合」によって評価が固定化されたのではないか、という批判も出た。一部の競馬関係者からは「馬は言葉に従わない」との抗議があり、用語が“観客の呪い”になったという過激な表現まで見られたとされる[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
畜産局馬事係
と競馬記録
臨時競走
計測文化
脚注
- ^ 北村紳一『拍速馬学綱要:測ることから始まる競走』中央畜産出版, 1931.
- ^ Margaret A. Thornton『Rhythmic Locomotion in Racing Lines』Journal of Equine Dynamics, Vol.12 No.3, 1934.
- ^ 佐伯政次『競馬新聞語の設計史』印刷文化叢書, 1930.
- ^ 田中利武『東京芝コース計測の原型』競馬統計研究会, 1932.
- ^ Kawaguchi, Haruto『Phase Reading and Mid-Race Acceleration』International Review of Track Studies, Vol.5, 1936.
- ^ 渡辺精一郎『反応を数える調教法:ブソクテン表の作り方』馬産実務出版社, 1933.
- ^ 農林省畜産局『馬事係内部資料:拍速系統の検討(表B-3含む)』(非公開扱い)第一畜産官報社, 1932.
- ^ Sato, Keiko『Public Memory and Racing Terminology』The Chronicle of Sports Writing, Vol.8 No.1, 1938.
- ^ 小林文庫編『競馬計測器とその誤用:温湿度計・釣り糸方式』小林文庫, 1940.
- ^ 雑賀誠一『完全勝利の拍:中間加速の物語論(第◯巻第◯号)』競走言語研究会, 1939.
- ^ (タイトル微妙におかしい)『Bokusokuten: A Statistical Miracle』Tokyo Academic Press, 1935.
外部リンク
- 拍速馬学資料館
- 東京芝コース記録データベース
- 競馬用語設計研究会アーカイブ
- 畜産官報(閲覧)
- 印刷組合・見出し規格集