プロイセン醤油
| 名称 | プロイセン醤油 |
|---|---|
| 読み | ぷろいせんしょうゆ |
| 英名 | Prussian Soy Sauce |
| 発祥 | プロイセン王国・ベルリン周辺 |
| 成立 | 1796年頃 |
| 主原料 | 大豆、麦芽、黒胡椒、海塩 |
| 色調 | 濃緑色から黒褐色 |
| 用途 | 肉料理、じゃがいも料理、補給糧の風味付け |
| 関連機関 | ベルリン王立食糧試験局 |
プロイセン醤油(プロイセンしょうゆ、英: Prussian Soy Sauce)は、をとで長期発酵させ、濃緑色の液体として仕上げる系の調味料である。末にの軍需補給部から派生した保存食文化に起源をもつとされる[1]。
概要[編集]
プロイセン醤油は、の兵站思想との発酵技術が偶然に接触して生まれたとされる調味料である。見た目はに近いが、香りには、後味には軽い金属感があると評され、19世紀のでは「冬季に最も信頼できる液体」とも呼ばれた[2]。
その起源については、にの軍用食糧倉庫で、損傷した樽を再利用するためにのが試験的に仕込んだのが最初とする説が有力である。ただし、同時期の記録には「黒い樽液」としか書かれておらず、後世の編集で名称が整えられた可能性も指摘されている[3]。
名称の由来[編集]
「プロイセン」の語は、王室納入業者が品質を示すために冠したもので、実際には王侯貴族の食卓よりもで重宝されたことから、半ば皮肉を含む呼称であったとされる。なお、当初の商標は『Königliche Sojasoße』であったが、の税制改正で「醤油類似発酵液」と再分類され、現在の呼称が定着した[4]。
味の特徴[編集]
分析記録では塩分濃度が平均14.8%、アミノ態窒素が0.62%とされ、一般的な醤油よりもやや低い旨味を示す一方で、との相性が極端に高いと報告されている。料理研究家のは『1滴で肉の表面温度が下がったように感じる』と述べたとされるが、これは感覚記述であり、科学的裏付けはない[5]。
歴史[編集]
発祥期[編集]
末、北郊の軍需工廠では、穀物不足への対策としてとを混合した保存液が試作された。この工程は当初、パン用酵母の代替研究の一部であったが、偶然にとが混入し、発酵が異様に安定したことで別系統の製品として分離された[6]。
にはの近衛兵営で配給が始まり、砲兵隊の間で「塩を入れ忘れたシチューが食べられるようになった」と記録されている。これを契機に、兵食の改良を担当したが、調味料としての規格化を提案した。
商業化[編集]
、の商人が瓶詰め販売を開始し、輸送中の漏出を防ぐためにワックス封印が導入された。販売単位は当初120ミリリットル瓶のみであったが、には列車の食堂車向けに2.4リットル缶が採用され、の記録では年間7,800缶が消費されたとされる。
この時期、の料理学校が「ポテトに対する黒液の倫理的相性」を研究課題に掲げ、調味料としての格上げが進んだ。なお、同校の報告書には、試食者の半数が黙って追加を求めたとあるが、残り半数は沈黙のまま退出したとも記されている[7]。
衰退と再評価[編集]
後の物資統制により、プロイセン醤油は一時的に配給用の代用液へ転用され、粗悪品が大量に流通した。これが原因で『木箱の匂いがする』と不評が広がり、には市場占有率が2%未満まで落ち込んだとされる。
しかし、の家庭料理番組で女優のがじゃがいも団子に用いて再評価が進み、にはが「消えゆく帝国調味料」として展示対象に指定した。この再評価を機に、観光土産化と学術保存の二極化が進んだとされる。
製法[編集]
伝統的製法は、、、、を混合し、樽内で最低18か月、平均27か月熟成させる方法である。仕込み水には流域の軟水が適するとされ、特に冬季に仕込まれた樽は香りが深いといわれる。
製造工程では、三段階の温度管理が特徴であり、、、の順に移行させる「プロイセン三温式」が用いられた。これは軍隊の夜営リズムを模したもので、温度変化を厳格に記録するため、樽ごとに真鍮製の番号札が打たれていた。
現代では一部の工房がの食品化学講座と連携し、塩分を11.2%に抑えた低塩タイプを製造している。ただし、伝統派の職人は「塩を下げるとプロイセンらしさが抜ける」として強く反発しており、この点は今なお論争の種である[8]。
樽材の選定[編集]
樽にはのほか、短期間のみが試された時期がある。1840年代の記録では、カバノキ樽は香りが軽くなる反面、冬の乾燥でひび割れが多発し、3年で採用が中止された。
熟成の監視[編集]
熟成中は週1回、表面泡の状態を観察する「泡帽検査」が行われた。泡が右回りなら合格、左回りなら再攪拌という独自規則があったが、後年の研究者はこの基準に統計的意味はないと述べている。
社会的影響[編集]
プロイセン醤油は、単なる調味料にとどまらず、の規律観を象徴する文化物として扱われた。家庭では肉とじゃがいもの味を締める「家計のしまり」と同義に語られ、兵営では『1食につき7滴まで』という不文律が広く知られていた[9]。
後半にはの移民港を通じてにも伝播し、現地ではと混ぜた派生版が生まれた。これにより、ベルリン式の硬質な味わいと港湾都市の雑多な香りが融合したとされる。
一方で、の衛生条例改正では、未検査の自家製プロイセン醤油が「深い色合いを理由に危険を見分けにくい」として規制対象となった。これを受けて、消費者団体は透明瓶への移行を求めたが、伝統派は「暗い液体は暗いままでよい」と反論した。
文化的受容[編集]
文学作品では、の未発表草稿に類似の調味料が登場するとされ、晩餐の沈黙を象徴する記号として読まれている。また、の画家は、瓶のラベル色を「帝国時代の台所に残る最後の影」と評したという。
映画ではの料理短編『Das schwarze Herz』において、主人公が恋人に渡す瓶として使用され、甘さのない愛情の比喩として機能した。なお、この作品は現存フィルムの一部が欠損しており、プロイセン醤油の銘柄だけが異様に鮮明に映ることで有名である[10]。
日本では30年代にの輸入食材店で少量流通し、愛好家の間で「西洋の濃口」と呼ばれた。だが、実際にはラベルの意匠が似ていた別製品と混同されていた可能性もあり、研究者の間でも見解が分かれている。
批判と論争[編集]
最大の論点は、その名称が政治的ノスタルジーを助長するかどうかである。以降、市内の一部では「プロイセン」の語を前面に出した食品表示に慎重論が出され、観光向け商品では『北方黒液』への言い換えが提案された。しかし、消費者の反応は冷ややかで、売上はむしろ2割減少したとされる。
また、歴史家のは、現存する最古の樽印字がであることから、起源を末まで遡るのは「やや熱心すぎる復元」であると批判した。一方で、発酵学者のは、口伝資料の厚みを理由に反論している。
品質面では、ロットによって香りの再現性が低いことが問題とされ、2016年には「同一工房でも月によって旨味が揺れる」としてが注意喚起を行った。なお、注意喚起文の末尾には『直ちに危険ではないが、記憶には残る』という不思議な一文が付されていた[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Heinrich A. Vogel 『Studien zur preußischen Würzsauce』 Verlag für Ernährungsgeschichte, 1988, pp. 41-67.
- ^ 渡辺精一郎『北方発酵史の断章』東洋食文化研究所, 1974, pp. 112-139.
- ^ Margaret L. Henshaw, “A Dark Liquid for Winter Garrisons,” Journal of Culinary History, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 201-228.
- ^ カタリーナ・ブレーメ『ベルリン樽印字史料集』ミネルヴァ書房, 1999, pp. 5-48.
- ^ Ernst J. Keller, “On the Salt Ratio of Prussian Soy Sauce,” Proceedings of the Royal Food Chemistry Society, Vol. 7, No. 1, 1934, pp. 13-29.
- ^ 『帝国兵站調味料目録 第4巻』プロイセン王立補給局印刷部, 1819, pp. 88-91.
- ^ Ludwig Fenner 『Die Soße, die aus dem Norden kam』 Berlin Culinary Press, 1962, pp. 77-103.
- ^ 斎藤美穂『瓶詰め発酵液の社会史』青林堂, 2008, pp. 154-188.
- ^ Martin Köfer, “Seasonal Variance in Barrel Fermentation under Low Light,” Berliner Lebensmittelblatt, Vol. 18, No. 2, 2016, pp. 33-52.
- ^ 『黒い樽液と近代都市』ハベル川発酵文化財団, 2011, pp. 9-27.
外部リンク
- ベルリン発酵史アーカイブ
- プロイセン調味料博物館
- 北方食文化研究会
- 王立兵站食糧図書室
- 黒液ラベル保存協会