ヘッドホン
| 名称 | ヘッドホン |
|---|---|
| 分類 | 個人用聴覚端末 |
| 起源 | 1920年代末の東京通信試験所 |
| 発明者 | 斎藤 恒一郎ほか |
| 用途 | 放送監視、軍事通信、私的鑑賞 |
| 主要方式 | 密閉式・開放式・骨伝導式 |
| 普及地域 | 日本、英国、米国 |
| 関連規格 | JH-14、NRC-2、IEC 581準拠 |
| 別名 | 頭載聴音器 |
ヘッドホンは、耳を覆うか耳穴に当てることで音声を個人向けに再生する装置である。一般にはの放送試験施設で試作されたの系譜に属するとされ、のちにとの接点から普及した[1]。
概要[編集]
ヘッドホンは、左右の耳に独立した音声を届けることを目的として発展した装置である。現代ではの一種として扱われるが、初期にはの監視員が、雑音の多い局舎で送信音を聴き分けるための実用具として用いたとされる[2]。
その語源は、頭部(head)に装着する聴音器(phone)という素朴な説明が広く流通している。しかし、古い技師の日誌には「人が外界から離れる装置」とも記されており、単なる再生機器ではなく、都市生活における半ば儀礼的な孤立装置として理解されていた節がある。
歴史[編集]
試作期[編集]
起源は、にあった試験室で、放送検波器の音量を下げるためにが革製の耳当てを取り付けた改造品を作成したことにあるとされる。これが「頭部補聴機第1号」と呼ばれ、当初は片耳用で、重さが約640グラムあったという。
同年秋には、耳当てを左右一対にした「双耳型」が試作されたが、配線が長すぎて作業椅子に巻き付く事故が3件続き、試験所内では「首が伸びる」と揶揄された。なお、当時の記録では、試作品の音質よりも「着用した者が無言になる時間」が測定されていた[3]。
軍需通信への転用[編集]
、陸軍通信学校がヘッドホンの静音性に注目し、無線暗号の聞き取り訓練に採用したことで、装置は急速に洗練された。とくにの臨時試験では、波音と砲撃音が混ざる環境下でも母音識別率が87.4%に達したとされる。
この時期、イヤーパッドに馬革を使う案が有力であったが、湿度の高い環境では「海軍帽より蒸れる」との苦情が出て、結局、京都の老舗鞣し工場によるセーム革が採用された。軍用化の過程で、片側のみ音量を上げる独立調整機構が生まれ、のちのステレオ思想の雛形になったとする説がある。
家庭への浸透[編集]
、が深夜実験放送の受信確認用として簡易ヘッドホンを一般頒布したことから、家庭用としての認知が広がった。初期の広告では「家族に迷惑をかけぬ音楽」として売り出されたが、実際には若年層が深夜にや朗読劇を聴くために購入し、結果として「居間における静かな反抗」の象徴となった。
にはの前夜祭に関連して、片側だけ赤いケーブルを用いた限定版が配布され、これが「左右識別」の習慣を一般化させたとされる。もっとも、当時の販売員は左右を逆に装着して説明していた例も多く、カタログの図解には要出典の注記が付くことがある。
高機能化と社会的拡張[編集]
後半には、系の下請け工場で開発された超軽量フレームにより、長時間装着でも頭頂部の圧迫が問題になりにくくなった。これに伴い、ヘッドホンは単なる再生機器から、録音編集、通訳、スポーツ観戦、さらには睡眠補助にまで用途を拡大した。
とりわけの「三重遮音モデル」は、の雑踏を模した試験で平均騒音38デシベル相当の減衰を記録し、通勤者の支持を集めた。一方で、遮音性が高すぎて改札の警告音を聞き逃す事故が相次ぎ、が一時的に装着角度の指針を出したこともある。
構造[編集]
ヘッドホンは一般に、、ハウジング、ヘッドバンド、イヤーパッド、および接続部から構成される。初期機種ではドライバーが木枠に固定され、温湿度変化で共鳴が変わるという欠点があったため、技術者たちは内部に新聞紙を詰めて調整したと伝えられる[4]。
また、密閉式は都市の騒音を遮断する思想から、開放式は「室内楽を室内楽のまま聴く」理念から、それぞれ発展したとされる。骨伝導式については、にの雪上測定隊が、耳当てが凍結する問題を避けるために頬骨へ振動板を当てたのが始まりであるという異説が有力である。
文化史[編集]
若者文化と私語の発明[編集]
ヘッドホンの普及は、家族共有のラジオ文化を徐々に個人化した。とくにの学生運動期には、駅のベンチでヘッドホンを着けたまま新聞を読むことが「会話を拒むのではなく、会話を先送りする態度」と解釈され、都市型の身振りとして定着した。
の文化人類学ゼミでは、ヘッドホン装着者が周囲の呼びかけに気づくまでの平均時間を調べ、金曜夜の構内では応答遅延が通常の1.8倍になると報告した。もっとも、この調査は被験者の半数が実験内容を最後まで知らされていなかったため、後年しばしば批判された。
ファッション化[編集]
以降、ヘッドホンはを中心に巨大化し、頭部の半分を覆う装飾品として認識されるようになった。特に限定色「群青」と「灰桜」は、発売初日に約4,200台が完売し、雑誌『Audio Street』はこれを「耳のための腕時計」と評した。
なお、当時の若者は片側だけ外して会話する習慣を持ち、これが「半分だけ世界を聴く」態度として美学化された。都市伝説として、片耳だけで聴くと恋愛成就率が上がるとされたが、実証はされていない。
規格と安全性[編集]
では、ヘッドホンの耐久試験において、1万回の折り曲げおよび30kgの圧力を目安にした検査が行われるとされる。特にの改定では、冬季の乾燥環境で発生する静電気を抑えるため、イヤーパッド表面の導電率が細かく定められた。
一方で、安全性をめぐっては、長時間使用による「外音認知の遅れ」が議論の中心であった。の報告書によれば、2時間以上の連続装着で周囲確認の回数が平均23%減少したという。もっとも、この数値は試験参加者が全員クラシック音楽を聴かされていたため、条件設定に偏りがあるとの指摘もある。
批判と論争[編集]
ヘッドホンは、個人の没入を促す一方で、公共空間からの撤退を助長する装置として批判されてきた。特にのの調査では、車内放送を聞き逃した乗客のうち、約36%が「音楽が流れていたためではなく、気分がよすぎた」と回答し、識者の間で議論を呼んだ。
また、原音忠実性をめぐる論争も根強い。開放式愛好家は密閉式を「箱の中のオーケストラ」と批判し、逆に密閉式側は開放式を「通風のよすぎる音響玩具」と呼んだ。なお、にで開かれた国際音響会議では、両陣営の討論が予定時間を47分超過し、議長が会場のヘッドホンを全員没収したという逸話が残る。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 斎藤 恒一郎『頭部補聴機試作記』東京通信試験所資料室, 1930年.
- ^ 田辺 由紀子『個人聴取の成立とその都市史』音響文化研究会, 1984年.
- ^ M. A. Thornton, "On the Social Silence of Head-Worn Receivers", Journal of Applied Acoustics, Vol. 12, No. 3, pp. 145-172, 1962.
- ^ 黒田 恒一『軍需通信と耳覆い装置』防衛技術叢書, 1941年.
- ^ H. W. Ellison, "Portable Listening Apparatus in Urban Japan", British Acoustic Review, Vol. 8, No. 1, pp. 11-39, 1971.
- ^ 佐伯 美砂『ヘッドホン広告史 1950-1990』電波出版, 1997年.
- ^ 国立保健衛生院『装着型音響端末の疲労評価報告』第3巻第2号, pp. 88-104, 2004年.
- ^ 松浦 直樹『音を隔てる技術:密閉式と開放式の分岐』工学社, 2011年.
- ^ P. L. Henderson, "Headphones and the Politics of Near-Silence", Proceedings of the 5th International Sound Congress, pp. 201-219, 2012.
- ^ 『ヘッドホンの歴史 という名の研究』日本音響史学会誌, 第9巻第4号, pp. 1-27, 2018年.
外部リンク
- 日本頭載音響学会
- 東京個人聴取アーカイブ
- 国際静寂機器連盟
- Audio Street Digital
- 耳と都市研究センター