ヘンリー・ダーガー作『非現実の銀河帝国で』
| 作者 | ヘンリー・ダーガー |
|---|---|
| 原題 | In the Unreal Galactic Empire |
| 発表形態 | 未完の挿絵連作・断片詩篇 |
| 成立 | 1912年頃 - 1958年頃 |
| 言語 | 英語 |
| ジャンル | 幻想叙事・宇宙宮廷文学 |
| 舞台 | 非現実銀河域、七重環状星系 |
| 保存先 | シカゴ私設文書庫連盟 |
『非現実の銀河帝国で』(ひげんじつのぎんがていこくで、英: In the Unreal Galactic Empire)は、が独自に構築した連作の中核とされる長編視覚叙事詩である。草稿・挿絵・色紙を含む断片群として知られ、後年のの収集家によって再構成されたとされる[1]。
概要[編集]
『非現実の銀河帝国で』は、がで断続的に制作したとされる、・・が混在する巨大作品群である。一般には単一の作品として扱われるが、実際には「帝国年代記」「星雲税法案」「七王女の帰還図譜」など、少なくとも14の断片系列から成るとされている。
この作品は、の安価な下宿に住んでいたダーガーが、昼は雑役、夜は星図と軍令文を描き続ける中で成立したというのが通説である。ただし一部の研究者は、彼が沿岸の廃倉庫で配布されていた天体広告を収集し、それを帝国年表の雛形にしたと指摘している[2]。
成立史[編集]
下宿室期[編集]
作品の初期層は頃に始まったとされ、当初はと安価なのみで構成されていた。ダーガーはの下宿の天井裏を「第三宙域」と呼び、そこに帝国の徴税台帳を紛れ込ませていたという。
この時期の紙片には、同じ王女名が7種類の綴りで反復される例があり、後年の校訂者はこれを誤記ではなく「帝国の発音制度」と解釈した。なお、彼が使用したインクの一部にはで廃棄された広告インクが再利用されていたとの説もある。
星雲編年期[編集]
に入ると、作品は一気に制度化し、全長42メートル相当の巻物図と、23枚の「銀河租税地図」が作成されたとされる。これにより『非現実の銀河帝国で』は単なる幻想画から、帝国行政を記述する準公文書へと変質した。
特筆すべきは、の「第五星暦改定」である。ここでダーガーは、の満ち欠けではなく「洗濯物の乾き具合」を暦の基準に採用し、帝国市民の勤労規範を一斉に再設計した。この改定は後年、としばしば付されるにもかかわらず、複数の写本に痕跡が残る。
終末補筆期[編集]
晩年のには、作品は終末論的な色彩を帯び、の崩壊と王女たちの離散が執拗に描かれた。とりわけ有名なのが、帝国の最終局面を描いた「雨雲戦役図」であり、ここでは兵士の槍先がすべて傘に置換されている。
頃の最終層では、ダーガー自身と思われる人物が「記録係の少年」として登場し、帝国の歴史を写し取る役を担う。これにより作品は、創作者が世界を作る物語から、世界が創作者を記録する物語へと反転したとされる。
作品構造[編集]
本作は、通常の小説のように章立てされているのではなく、軍令、童謡、地図、裁判記録、星の目録が相互に書き込まれる「重層写本構造」を持つ。研究者はこれを型の近代変種と呼び、ダーガーがで借りた児童書の余白を参考にした可能性を論じている。
形式上の中心は七人の王女であるが、実際には王女たちは帝国の行政単位でもあり、気象現象でもあり、時には徴税官でもある。たとえば「第3王女リュミナ」は、ある頁では人名として、別の頁では雲域の名称として記されており、読解のたびに意味が変わる。
また、作品には約1,800点の挿絵が含まれるとされるが、そのうち完全な人物像は約4割に満たない。残りは手、旗、羽根、星、あるいは謎の魚状機械であり、これが後世のたちを長年困惑させた。
帝国年代記の主要人物[編集]
第一に、に相当する人物がいる。彼女は帝国の「非現実化」を防ぐ役割を担い、毎週火曜日に星雲会計を監査したとされる。特にの「赤い紙騒動」では、彼女が誤って33枚の徴税命令を菓子包装紙に印刷したため、帝国中で甘味税が一時廃止されたという。
第二に、は、実際には軍人ではなく「風の向きを証明する役人」である。彼はから来た巡回査問官として描かれることもあり、作品内で唯一、毎回同じ帽子を被っている。帽子の幅は写本ごとに3.2cmずつ増減しており、校訂の難所とされる。
第三に、の末妹は、帝国の崩壊後に「非現実の保護区」を創設したとされる。保護区の所在地はとの境界近くと記されるが、地図上では必ず川の上に置かれており、場所の固定が不可能である。
社会的影響[編集]
この作品は、後年のの成立に影響を与えたとされるが、実際には「作品を読むのではなく、保管箱を読む」という鑑賞法を普及させた点が大きい。1970年代の周辺では、コピー機で複製された断片を壁一面に貼り、来館者に帝国税を模した寄付を求める小規模運動が起きた。
また、の一部研究会では、この作品を利用した視覚読解訓練が行われ、学生が「王女の名前を10分で6回読み違えると単位認定」とされたという逸話が残る。もっとも、この逸話は関係者が後に否定しており、現在でも半ば都市伝説として扱われている。
一方で、作品に登場する「無許可の星図」がの航路資料に酷似していたため、1950年代末に下宿の大家が一時的に不審者扱いしたという話もある。これにより、ダーガーは「帝国の機密漏洩者」と見なされることがあった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、作品の巨大さに対して整理が極端に難しい点にある。特に、同じ場面が12回以上別の色調で反復されるため、編集者によっては「物語ではなく税務台帳である」と評した。
また、にで行われた初期公開の際、一部の研究者が「これは帝国史ではなく、単なる昼間の夢日記ではないか」と主張した。これに対し、別の研究者は「夢日記にしては関税率が精密すぎる」と反論している[3]。
なお、王女たちの年齢設定が写本ごとに大きく異なることから、児童文学的解釈をめぐっても議論がある。ただし、帝国の暦が洗濯周期に依拠している以上、年齢を一意に定めること自体が制度上不可能であるともされる。
受容と再評価[編集]
以降、本作は・・の交点にある作品として再評価された。特にの小規模ギャラリーでは、壁一面に拡大印刷された「銀河税法第4条」を展示し、来場者が読み切れなかった部分を自分で補筆する参加型展示が人気を集めた。
2000年代には、作品のデジタルアーカイブ化が進み、形式に変換された断片が「帝国の縮小版」と呼ばれた。これにより、一部の愛好家は、元来42メートルあったはずの巻物が、画面上では7インチに収まることを「文明の勝利」と評したという。
現在では、ヘンリー・ダーガー研究はや私設アーカイブを中心に続いているとされ、毎年4月には「非現実帝国の日」として、無言で星図を眺める集まりが開かれている。参加者は概ね28人前後で、うち3人は毎年必ず道に迷うと伝えられる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Margaret A. Thornton『Margins of the Unreal Empire: Henry Darger and Administrative Fantasy』University of Chicago Press, 1998.
- ^ 小林 真一『ダーガー写本の帝国学的研究』美術評論社, 2004.
- ^ Elias V. Rourke, "Taxonomy of Imaginary Sovereignties in American Outsider Art," Journal of Visual Folklore, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 41-68.
- ^ 中村 玲子『非現実銀河の図像と宗教性』青土社, 2011.
- ^ Harriet M. Cole, "Laundry Clocks and Celestial Bureaucracy," The Midwest Review of Aesthetics, Vol. 7, No. 2, 1987, pp. 115-139.
- ^ 佐伯 俊夫『シカゴ私設文書庫と未完作品の保存』日本アーカイブ学会出版局, 2016.
- ^ Jonathan P. Laird, "The Royal Sisters of the Unreal Galactic Empire," Art & Manuscript Studies, Vol. 19, No. 1, 2009, pp. 5-33.
- ^ 田所 みどり『帝国徴税地図の謎:ダーガー作品群における地理表象』港の人, 2020.
- ^ Bennett S. March, "When Dreams File Audits: A Note on Darger’s Paper Economy," Great Lakes Quarterly, Vol. 3, No. 4, 1974, pp. 201-217.
- ^ 高瀬 恒一『星雲租税法の成立と崩壊』新曜社, 1993.
- ^ Ruth I. Feldman『Childhood, Bureaucracy, and the Unreliable Galaxy』Princeton Monographs, 2006.
- ^ M. S. Harrow, "The Unreal Galactic Empire and the Problem of Missing Boots," Proceedings of the Chicago Society for Comparative Mythology, Vol. 5, No. 2, 2014, pp. 88-91.
外部リンク
- シカゴ私設文書庫連盟デジタル台帳
- 非現実銀河研究会アーカイブ
- ダーガー断片校訂プロジェクト
- 架空美術史年鑑オンライン
- 星図と徴税の博物館