ベルトロン星人
| 分類 | 知的生命体(民俗伝承型) |
|---|---|
| 初出とされる時期 | 1928年(新聞記事の引用として言及) |
| 主な呼称 | ベルトロン星人/ベルトロン民 |
| 伝承の舞台 | 周辺と地方港湾部 |
| 象徴的行動 | 反復する発光パターンと金属音 |
| 論争点 | 目撃の同一性と出典の改変 |
| 研究領域 | 民俗天文学・偽史写本学 |
| 関連組織 | (民間) |
ベルトロン星人(べるとろんせいじん)は、主にやの文脈で語られる、架空の知的生命体とされる。1920年代末に日本で「目撃談」が急増したことから、以後は研究の題材として扱われることがある[1]。
概要[編集]
ベルトロン星人は、空に現れるとされる発光と、地上で記録されるとされる周期的な金属音を特徴として語られる存在である。伝承では、彼らは「音の振幅で周波数を折り返し、光の角度で座標を置き換える」と説明される場合が多い[1]。
一見すると怪談に分類されるが、ベルトロン星人の目撃談が残る過程には、当時のやの癖が反映されているとする説がある。具体的には、東京の地方紙が地方港で拾った目撃情報を、翌週末に「天体現象の特集」として再編集した可能性が指摘されている[2]。
また、後年に出現したとされる「ベルトロン星人通信文」では、数字の指定が異様に細かいことが特徴とされる。たとえば、交信の合図は「高度19度3分、方位264度、照射時間は7.8秒の後に3.1秒の無照射を入れる」などと記されているとされるが、これがどこまで原典を踏むかは不明とされる[3]。
概要(伝承の要点)[編集]
伝承の核は、(1)夜間における反復発光、(2)地上で報告される金属的な共鳴音、(3)目撃者の証言が一定の言い回しに収束する、という三点に整理されることが多い。
反復発光は、いわゆる「星の瞬き」ではなく、明滅の間隔が規則的であるとされる。港湾部の目撃では、波止場の鉄柵が振動したという報告が付随することがあるが、これは当時の照明設備(アーク灯や交流灯)が周辺に与えた誘導が誇張された可能性も指摘される[4]。
金属音については、目撃者が「ドン…」のような単発ではなく「カツン」「コツン」と連続する表現をする傾向があるとされる。なお、通信文においてはこの音を“位相合わせの合図”と見なしていたとされるが、後述するように写本の体裁が後期に整えられたのではないか、という反論もある[5]。
歴史[編集]
前史:ベルトロン名の生まれ方[編集]
ベルトロン星人の名称は、天体観測機器の部品名が転用された可能性があるとされる。架空の起源譚では、1920年代初頭にの技師だったという「渡辺精一郎」が、海外文献の誤読から“Bertil-ron”という語を作ってしまい、試作した振動子の型番にしたことが始まりだとされる[6]。
この語が“星人”に結び付くのは、当時のが主催した公開講座で「音響による天球の校正」の実演が行われたことに求める説がある。聴衆が「校正」だと理解せず、講師の口癖であった「ロンドンじゃない、ベルトロンだ」を、宇宙からの呼称として聞き取ったという筋書きである[7]。
もっとも、別の説では、地方紙の編集者が見出し枠の文字数調整のために「ベルトロン」を選んだだけだともされる。この説を支持する根拠として、当時の見出しが“星”系の語に偏っていたことが挙げられるが、原資料の所在が確認されていない[8]。
1928年〜戦時期:目撃談の編成と増幅[編集]
ベルトロン星人の目撃談が社会的に可視化されたのは、1928年の秋以降だとされる。特に港湾地区での「光が規則的に止まった」という記事が、翌月に複数の県へ転載され、同じ言い回しが繰り返されたという指摘がある[9]。
その後、1937年頃にかけて目撃談は“通信”の語彙をまとっていった。架空の団体であるは、目撃者の供述を「観測ログ」へ整形するマニュアルを配布したとされる。内容は、(a)方位を磁針で書く、(b)光の色を“緑青寄り”か“白藍寄り”かに二分する、(c)金属音は必ず3拍子で記録する、という、あまりに実務的な手順であったとされる[10]。
ただし、戦時期に入ると、そのマニュアルがラジオ関連の検閲手続きと混同された可能性がある。結果として、目撃談は「軍需に関係する暗号」へ接続され、ベルトロン星人は宇宙的存在から“暗号を運ぶ存在”へ変質したと語られる場合が多い[11]。
戦後〜現代:研究資料の“整形史”[編集]
戦後には、ベルトロン星人が一種の娯楽テーマとして再流通した。東京都内のに“ベルトロン発光写真”が寄贈されたという話が広まったが、その写真の裏面に記された日付が、後年の目撃談と整合しないという矛盾が指摘される[12]。
また、1970年代には「ベルトロン星人通信文」と呼ばれる短冊状の記録が複数見つかったとされる。短冊には、封入の条件として「温度14℃、湿度60%、風速0.7m/s、封止テープ幅は9.2mm」といった、妙に工学的な条件が書かれていたとされる。しかし、当時の紙保管の実務としては過剰ともいえるため、後から整えられた可能性があるとされる[13]。
現代では、ベルトロン星人は宇宙人というより“物語の編集技術”を象徴する存在として扱われることがある。目撃談が同じ型へ収束していく様子は、情報が新聞・講座・団体手引きによって再構成されることを示す事例として紹介される場合がある[14]。
批判と論争[編集]
ベルトロン星人をめぐっては、目撃の再現性と出典の改変が主要な論点とされる。とくに「通信文」に関しては、古い版の文章が後期の語彙に置換されている形跡があるという指摘がある。たとえば、初期写本では“座標”が“方角”と表記されていたのに、別系統の写本では「座標27列目」という不自然な表現へ統一されているとされる[15]。
一方で支持側は、統一は“調査局の整形”によるものであり、改変とは限らないと反論する。彼らは、が「証言の揺らぎを減らす」ために辞書形式の整形を行ったと主張するが、同局の公式議事録が散逸しているため、検証は難しいとされる[10]。
さらに、科学的観点からは、発光と音の同時性が議論されてきた。理屈としては、反復発光の原因が照明設備の同期に由来すると説明できるが、目撃者が“発光角度で方向が変わる”と語る点が難所とされる。この矛盾に対し、一部は「目撃者が歩幅を変えたせいで角度がずれた」とする現地要因説を提示する。しかし反対派は、その歩幅の換算が通信文に残っている“7.8秒/3.1秒”のパターンと一致しすぎる点を挙げ、偶然を疑う構図を作った[16]。
こうした論争の中で、ベルトロン星人は「実在の存在」より「情報が信じられる形に整えられる過程」を示す鏡として、読まれ方が変化してきたと整理されることがある。もっとも、整理の仕方自体がまた新たな物語になりうることも、批判的に指摘される[14]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 伊藤光成「ベルトロン星人目撃談の伝播パターン」『日本伝承記録学会誌』第12巻第3号, pp.41-68, 1984.
- ^ 佐伯雪乃「発光と音響の“同時性”問題:ベルトロン星人資料の読解」『民俗天文学研究』Vol.7 No.1, pp.12-29, 1999.
- ^ 渡辺精一郎『観測ログの形式化と証言統計』暁星出版社, 1932.
- ^ Margaret A. Thornton「The Editorial Mechanics of Unverified Encounters」『Journal of Folklore Engineering』Vol.19 No.4, pp.201-223, 2006.
- ^ 田中亜由美「ベルトロン星人通信文の語彙変遷:座標表記を中心に」『写本学紀要』第5巻第2号, pp.77-95, 2011.
- ^ Katsuro Senda「On the Supposed Phase-Matching Sounds in Urban Legend」『Proceedings of the Speculative Acoustics Society』Vol.3, pp.9-34, 2017.
- ^ 小川礼子『怪異の数値化:証言が“計測”に変わるとき』青潮書房, 2002.
- ^ 神崎徹「港湾地区における夜間照明と目撃談の整合性」『都市観測史研究』第21巻第1号, pp.55-73, 1978.
- ^ R. H. Linton「Bertilron and the Myth of Calibration」『Occult Astronomy Review』Vol.2 No.6, pp.1-17, 1963.
- ^ 坂井鷹志『東京都立博物館所蔵資料目録(増補)』都立博物館出版部, 1956.
外部リンク
- ベルトロン星人アーカイブ
- 暁星調査局デジタル写本館
- 民俗天文学・目撃談データベース
- 疑似科学用語集(歴史編)
- 港湾夜間照明史プロジェクト