ペロロ様
| 名称 | ペロロ様 |
|---|---|
| 別名 | 舌清め神、三度舐めの主、白布の客人 |
| 分類 | 都市伝説 / 地域信仰 / 児童遊戯 |
| 初出 | 1979年ごろ(諸説あり) |
| 主な伝承地 | 東京都多摩地域、埼玉県南西部、千葉県北西部 |
| 象徴 | 白い前掛け、銅鈴、蜜柑味の飴 |
| 禁忌 | 鏡の前で名前を3回唱えること |
| 関連行事 | 深夜の舌打ち祓い、雨乞いの舌渡し |
| 保存団体 | 日本口承文化研究会(後に口伝俗学協会へ改称) |
ペロロ様(ぺろろさま、英: Peroro-sama)は、のおよびに登場するとされる、舌で「清め」を行うと信じられた半神的存在である。特に末期から初期にかけて、の一部で若年層を中心に広く語られた[1]。
概要[編集]
ペロロ様は、舌先で対象を「なめる」ことにより厄を移す、あるいは逆に厄を戻すとされた民間信仰上の存在である。伝承では、姿は子どもに近いが顔立ちは定まらず、白い前掛けを着け、雨の日にだけ路地裏へ現れるとされた。
この信仰は、の多摩地域における子どもの遊戯と、地域の的祓いの作法が混交して成立したと考えられている。なお、最初期の記録では「ペロロ」は神名ではなく、深夜の怪音をまねる擬音として採集されており、そこから後年に人格化されたとする説が有力である[2]。
起源[編集]
多摩の飴売りと学校放送[編集]
最古級の言及は、が収集した地域回想録『放課後口承覚書』に見えるとされる。そこでは、駅前の飴売りが「ペロロ、ペロロ」と独特の呼び声を上げたため、児童がそれを神格化したという。飴売りは沿いを巡回していたとも、の高架下にのみ出没したとも記され、記録は一致しない。
一方でのローカル番組『夕方五分の民俗』では、54年の学校放送事故で流れた周波数ノイズが「ペロロ」と聞き取られたことが発端とされる。放送担当のは、翌週の職員会議で「音声に神性が宿る事例」として報告したというが、議事録の該当頁は欠落している[3]。
白布儀礼の成立[編集]
ごろには、南西部の児童のあいだで、白いハンカチで相手の額を3回なでる遊びが定着し、これが「ペロロ様ごっこ」と呼ばれるようになった。遊びの規則は妙に細かく、昼間は1回、夕方は2回、雨天時のみ3回まで許可されるというものであった。
この規則化に関与したのが、当時で家庭科研究会を主宰していたであるとされる。小泉は子どもたちの遊びを危険な接触儀礼と誤認し、逆に「接触の回数を固定することで安全性が高まる」と提案したという。結果として、危険回避のための説明書が、そのまま信仰の教本のように流通した[4]。
名前の変遷[編集]
「ペロロ」の語源は諸説あり、舌を出す擬態音に由来するという説、あるいはの祈祷文が期の子ども言葉に転訛したという説がある。特に後者は、戦後に進駐軍施設で働いていた通訳が「peroro」を誤って「さま付き」で説明したことから広まったとされるが、一次資料は確認されていない。
また、に入ると「ペロロ様」はネット掲示板で急速に再解釈され、舌を使って願いをかなえる“軽量の神”として扱われ始めた。ここで「様」が付与されたことにより、従来の怪異ではなく、丁寧さを要求する存在へ変質した点が重要である。実際、古い伝承では単に「ペロロ」と呼び捨てであり、敬称化は1990年代前半の若年層の過剰な礼儀感覚の産物とみられている。
伝承と作法[編集]
三度舐めの規則[編集]
ペロロ様に関わる最も有名な作法は、対象物を3度だけ舐める、または舌を近づけて空中を切る「三度舐め」である。1度目は厄の所在確認、2度目は移送、3度目は封印とされ、4度目以降は「味見」に堕すると警告された。
このため、地域の子ども会では「4回目をやると雨が止まない」と教えられたが、実際には誰も雨の統計を取っていない。にもかかわらず、1987年から1989年にかけて内で「三度舐め後に小雨が続いた」という報告が12件集まり、口承は一気に補強されたとされる[5]。
白布と鏡の禁忌[編集]
信仰圏では、白い布はペロロ様の「来訪を受ける面」とされ、台所の布巾やハンカチで代用してはならないとされた。特にの鏡の前で名前を3回唱える行為は、像が一つ増えることで“もう一人のペロロ様”を呼び込むと恐れられた。
の古い個人記録では、これを試した中学生が翌朝から給食の牛乳だけ異様に甘く感じるようになったと書かれている。民俗学者のはこの現象を「味覚版の憑依である」と論じたが、彼女自身が日本語の助詞を2年ほど誤解していたことが後年判明している[6]。
供物[編集]
供物として最も好まれたのは、蜜柑味の飴、角の取れたガム、そして紙包みのラムネである。なかでも蜜柑味は「舌の色を明るくする」とされ、祭礼では1人あたり7粒が標準配布量とされた。
ただし、のの記録では、蜜柑味の飴を42粒供えたところ、近隣の子どもが全員舌を出したまま笑い続けたため、翌年から供物の上限が9粒に改められた。改正に関わったのはの臨時文化担当で、内部文書には「過剰な供物は口角の疲労を招く」と記されている。
社会的影響[編集]
ペロロ様は、民間信仰としての側面以上に、学校文化へ強い影響を与えた。とりわけ、休み時間に行われる「舌で空を切る遊び」は、1980年代後半の児童間コミュニケーションの一部を形成したとされる。
また、地域の保健指導にも影響が及び、は1989年に「接触儀礼における口腔衛生上の注意」を配布した。ここで初めて“信仰が歯磨き指導を促進する例”が行政文書に現れ、研究者の一部はこれを「口承文化と公衆衛生の奇跡的折衷」と呼んでいる。
一方で、中期のオカルト雑誌では、ペロロ様を「舌を奪う怪異」として再怪談化する動きがあり、地域の元来の穏当な信仰像と対立した。この二重性が、後の研究で「軽妙な神」と「不穏な神」の両義性として整理されることになる。
研究史[編集]
口承俗学の対象化[編集]
、のは、ペロロ様を「児童の擬態的敬神行為」と定義し、地域差をまとめた初の比較表を発表した。中村は、、の3都県で計147件の聞き取りを行い、そのうち31件は「親が知らないうちに家の中で始まっていた」と報告されている。
この研究により、ペロロ様は単なる怪談ではなく、子どもが独自に制度化した儀礼として位置づけられた。もっとも、中村の論文には「舌の長さと信仰の強度に相関がある可能性」といった記述もあり、後年まで学会で半ば伝説として扱われた[7]。
保存運動と再演[編集]
になると、少子化と地域行事の縮小に伴い、ペロロ様の口承は急速に減少した。そのための市民団体「舌縁の会」は、失われた作法を再現する公開講座を年2回開催し、参加者に白布と蜜柑味の飴を配布した。
講座は当初「民俗再現」として始まったが、参加者の約3割が“本当に何かが起きる気がする”と回答したため、主催者は急きょ司会をの会員に交代した。なお、2021年の講座では、開始30分で全員の舌が乾いたため中止となり、記録映像だけが妙に神聖な雰囲気を残した。
現代の解釈[編集]
近年では、ペロロ様は「境界のケアを象徴する存在」と解釈されることが多い。つまり、舌という身体の端部を用いて、人間関係や空間の境目をなぞり直す存在であるとみなされている。
ただし、のインターネット上では、ペロロ様を「味覚に関するアルゴリズムの守護者」とする極端な解釈も現れた。これについての文化論ゼミは「比喩が先に神格化された稀有な例」と述べているが、発表スライドの脚注は3枚目で途切れていた。
批判と論争[編集]
ペロロ様研究をめぐっては、そもそも当初から実在した信仰なのか、児童文化が後年に神話化されたのかで意見が分かれている。特にでは、「1970年代の地方資料に断片がある」とする立場と、「1990年代の再編集による創作である」とする立場が鋭く対立した。
また、儀礼が口や舌に関わるため、衛生面からの批判も多かった。の旧資料には「行為を模倣する場合は飴を介在させること」との注意があるが、これが逆に“飴がなければ本物ではない”という信念を強める結果になったとされる。
なお、一部の郷土史家は、ペロロ様の祠がとの境界付近にあったと主張しているが、現地調査で確認されたのは自転車置き場の注意看板のみであった。それでも看板の「徐行」の字が半分剥がれており、地元では今なお「ペロロ」の痕跡として扱われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村礼子『児童舌礼儀の地域差』国立民俗研究所紀要, Vol. 12, 第3号, pp. 41-68, 1994.
- ^ 渡辺精一郎『学校放送と擬音神話の生成』東京教育文化出版社, 1981.
- ^ 小泉澄子『家庭科と接触儀礼の安全化』所沢生活研究会報, 第7巻第2号, pp. 9-22, 1984.
- ^ Margaret A. Thornton, "Tongue-Cleansing Deities in Suburban Japan", Journal of East Asian Ritual Studies, Vol. 5, No. 1, pp. 112-139, 1996.
- ^ 佐伯一馬『多摩口承における白布意匠の変容』武蔵野民俗叢書, 2002.
- ^ 田中由里『飴と敬称の社会学』都市文化評論, 第18巻第4号, pp. 77-95, 2008.
- ^ H. L. Everett, "Peroro-sama and the Semiotics of Licking", Folklore and Media Quarterly, Vol. 9, No. 3, pp. 201-228, 2011.
- ^ 長谷川睦『ペロロ様再演講座の実際』舌縁出版, 2019.
- ^ 『夕方五分の民俗 第14集』NHK番組資料室, 1980.
- ^ 鈴木朔『舌の境界に関する覚書』口伝俗学協会年報, 第21号, pp. 1-17, 2022.
- ^ R. M. Caldwell, "The Misplaced Honorific: Why Peroro Became Sama", Asian Popular Belief Review, Vol. 2, No. 4, pp. 55-60, 2007.
外部リンク
- 日本口承文化研究会アーカイブ
- 多摩都市伝説資料館デジタル庫
- 舌縁の会 公式記録ページ
- 口伝俗学協会 研究要覧
- 白布儀礼保存プロジェクト