ポテトマン
| 名称 | ポテトマン |
|---|---|
| 分類 | 民俗的人物像・食文化象徴 |
| 起源 | 19世紀後半の欧州芋類保全運動 |
| 普及地域 | 日本、英国、オランダ、北海道 |
| 初出資料 | 1908年 ロッテルダム食糧博覧会記録 |
| 象徴物 | 芋袋、手袋、短杖 |
| 関連行政 | 農林省広報局、食糧標語委員会 |
| 通称 | 芋男、じゃが紳士 |
| 研究分野 | 食文化史、舞台美術史、都市伝説学 |
ポテトマンは、後半ので広まった芋類保全思想と、初期の日本における舞台演出技術が結合して成立したとされる半民俗的な概念である。の興行史料では「可搬式の食糧象徴」とも記され、のちに系の広報資料に採用されたことで一般化したとされる[1]。
概要[編集]
ポテトマンは、じゃがいもを擬人化した存在として説明されることが多いが、実際には史・史・史が複雑に重なった文化装置であるとされる。とくにのおよびで行われた食糧啓発イベントが重要な転機であり、そこでは人間が芋袋を胸部に装着し、顔面を金属板で覆う演出が用いられた[2]。
名称の由来については諸説あり、英語圏の「Potato Man」を直訳したものとする説のほか、移民の呼称であった「Paddy Man」が日本で変形したとする説もある。ただし、いずれの説も一次史料の欠落が多く、とされることが少なくない。今日では児童向けの食育教材、地域振興イベント、さらには一部のの民俗展示で確認されるが、いずれも原義からは相当離れた用法である。
歴史[編集]
欧州における原型[編集]
ポテトマンの原型は、にので開催された「可食象徴展」にさかのぼるとされる。この展覧会では、ジャガイモを袋状に縫い合わせた衣装が、飢饉対策の未来像として展示された。展示記録によれば、来場者のうち17%が「地味すぎる」と回答した一方、地方自治体関係者の8割以上は「配布しやすい」と評価したという[3]。
には近郊で、民俗学者のエドワード・J・ハロウィン卿が「Potato Man」なる仮面舞踏を報告した。彼は日記において、参加者が塩入りのジャケットポテトを両手に持ち、3分ごとに肩を震わせながら市場価格の安定を祈願していたと記している。のちにこの記述が独り歩きし、ポテトマンを「収穫神」とみなす誤読が広まった。
日本への伝播[編集]
日本での定着は末期から初期にかけてである。特に周辺の興行街では、食糧難を背景にした宣伝劇の題材としてポテトマンが重宝された。、演出家の渡辺精一郎は『芋のある生活』という巡回劇で、主演俳優に麻袋と銀箔の兜を着せ、観客にマッシュポテトを模した紙吹雪を撒かせたとされる。これが新聞各紙で「新型の農業啓発劇」と紹介され、以後、農村向け講演会にも転用された[4]。
一方で、ではポテトマンが「雪国の備蓄の守り手」として再解釈され、の市場で芋俵を担ぐ人形が制作された。これにより、都市の宣伝用キャラクターであったはずのポテトマンが、半ば宗教的な守護像へと変質したと考えられている。なお、にで行われた講演会では、登壇者が誤ってサツマイモの歌を流したため会場が一時混乱したという逸話が残る。
戦後の再編と商品化[編集]
になると、ポテトマンは食糧統制の終息とともに教育番組へ移行した。にはの下請け制作班が、ポテトマンを「栄養バランスの案内人」としてアニメ化しようと試みたが、放送枠の関係で全11話予定が3話に短縮されたという。現存する台本では、ポテトマンが毎回、牛乳・魚・芋の三択を迫られ、必ず芋を選ぶために話が進まない。
さらにには、周辺の土産物業者がポテトマンの顔をあしらった缶バッジを大量生産し、年間約42万個が流通したとされる。この時期に「ポテトマンは世界共通語である」とする誇大な宣伝が行われたが、実際に英語圏で意味が通じたかは不明である。ただし、のでの見本市では、来場者が芋の皮むき器と誤認したという報告がある。
特徴[編集]
ポテトマンのもっとも重要な特徴は、輪郭が曖昧である点にある。文献によっては「丸い頭部」「袋状の胴体」「手袋のみが妙に立派」と記述が分かれており、統一された姿は存在しないとされる。また、顔の描写も時代により変化し、初期は無表情であったが、以降は親しみを持たせるため左右非対称の笑顔が採用された。
象徴物としては、芋袋、木製の短杖、油紙のマントが挙げられる。とくに短杖は「掘る」「叩く」「指し示す」の三用途があるとされたが、実際には撮影時に俳優が重心を取るための小道具にすぎなかった可能性が高い。なお、の一部資料には、ポテトマンが雨天時にのみ青く発光したとの記述があるが、これは舞台照明の反射を誤認したものと考えられている。
社会的影響[編集]
ポテトマンは食糧啓発の枠を超え、地方自治体の観光戦略にも利用された。ではじゃがいも収穫祭の公式案内役となり、には来場者数が前年より23%増加したと報告されている。またでは港町の異国趣味と結びつき、帆船イベントに芋模様の旗を掲げる慣習が生まれた。
教育現場でも一定の役割を果たしたとされ、に系教材として配布された『ポテトマンと栄養の科学』は、家庭科授業で7年間にわたり使用されたという。もっとも、授業を受けた児童の感想文には「なぜヒーローなのに泥くさいのか」という反応が多く、導入効果は一様ではなかった。さらに、地方議会で「ポテトマン像の設置費」をめぐり約2時間の質疑が行われた事例もあり、文化財なのかキャラクターなのかで議論が割れた。
批判と論争[編集]
ポテトマンをめぐる批判で最も多いのは、起源が過度に拡散している点である。ある研究者は「ポテトマンは複数のプロモーション案件が後世に一本化されたものであり、実体は一貫しない」と指摘している。また、のでのシンポジウムでは、民俗学者の斎藤妙子が「芋の霊験を語るには資料が足りない」と発言し、会場が一時静まり返ったという。
一方で、商品化が進みすぎた結果、ポテトマンのイメージが企業広告に吸収されたことを問題視する声もある。とりわけのキャンペーンでは、ポテトマンがフライドポテトの山に埋もれる意匠が採用され、原型の「備蓄」「節度」「保存」といった要素が失われたと批判された。ただし、同広告は売上を19%押し上げたため、批判と成功が同時に語られる稀有な例となっている。
現代における位置づけ[編集]
現在のポテトマンは、厳密な意味でのキャラクターというより、食文化と地域振興をつなぐ記号として扱われている。にはや上で「芋袋を着るだけでポテトマンになれる」とする再現動画が流行し、国内外で合計約180万回再生された。もっとも、動画制作者の多くは帽子を被っているだけであり、史料的にはかなり自由な解釈である。
また、の一部道の駅では、ポテトマンをモチーフにした焼き芋ラベルが売られている。販売担当者によれば、購入者の約4割は「懐かしい気がする」と述べるが、具体的に何を懐かしんでいるかは分からないという。この曖昧さこそが、ポテトマンが長く生き残った最大の理由とされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Edward J. Hallowyn, "Notes on the Potato Man Rites", Journal of Continental Folklore, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1892.
- ^ 渡辺精一郎『芋のある生活と舞台装置』東洋興行出版社, 1930.
- ^ Margaret A. Thornton, "The Portable Symbol in Rural Europe", Food Iconography Review, Vol. 4, No. 1, pp. 9-27, 1909.
- ^ 斎藤妙子『食と仮面のあいだ』民俗芸術叢書, 1985.
- ^ K. van der Meer, "Rotterdam Exhibition Records and the Problem of Spud Anthropology", Dutch Quarterly of Imaginary Studies, Vol. 7, No. 2, pp. 112-139, 1908.
- ^ 『ポテトマンと栄養の科学』文部省家庭科教材研究会, 1978.
- ^ Harold P. Benton, "Postwar Broadcasting and the Potato Hero", Pacific Media History, Vol. 19, No. 4, pp. 201-230, 1956.
- ^ 佐々木由紀『じゃがいもと都市伝説の戦後史』北辰書房, 2004.
- ^ A. Rutherford, "When the Potato Man Became Blue", Proceedings of the Society for Seasonal Icons, Vol. 2, No. 6, pp. 77-80, 1964.
- ^ 『ポテトマン像設置計画報告書』京都文化振興局資料集第14号, 1984.
- ^ M. S. Fleming, "The Smile Problem in Agricultural Mascots", International Journal of Rural Semiotics, Vol. 8, No. 2, pp. 55-71, 2001.
外部リンク
- 日本芋像史研究会
- 国際ポテトマン資料館
- 横浜食糧広報アーカイブ
- 札幌民俗演出センター
- ロッテルダム可食象徴博物誌