ポンポン山型重巡洋艦
| 分類 | 重巡洋艦(架空艦型) |
|---|---|
| 設計思想 | 山型喫水線と段階的バラスト制御 |
| 主要開発拠点 | (架空) |
| 初出年 | (計画図の公開年とされる) |
| 計画数 | 実艦は2隻のみ、残りは試作部材で終結 |
| 関連組織 | 海軍技術局・港湾振動研究所 |
| 技術的特徴 | 砲塔前後の“ポンポン隔壁”と呼ばれた衝撃分散 |
| 運用評価 | 速力は伸びたが整備負荷が過大とされた |
ポンポン山型重巡洋艦(ぽんぽんやまがた じゅうじゅんようかん)は、前半に構想されたの架空の艦型である。艦首から艦尾へと滑らかに“山型”の喫水線を描くことで、波浪抵抗を制御する技術として注目されたとされる[1]。
概要[編集]
は、軍艦設計の“空力”よりも“船体の水力学”に比重を置いた艦型として説明されることが多い。とりわけ「山型」と呼ばれた喫水線の輪郭は、荒天時に波の谷を切り上げることで、推進器のキャビテーション(空洞化)を減らす狙いに端を発したとされる[1]。
本艦型は、実際の海軍史に残る代表作と同列には扱われない一方で、議会の予算審議や造船教育資料に断片的に現れる。設計資料の一部がの保管庫から“山型テンプレート”として流出したことが、後世の研究者の想像力を刺激したとされる[2]。
なお、艦名の「ポンポン」は公式呼称ではなく、港湾振動研究所の実験係が、隔壁を叩いた際に鳴る音を擬音化したことに由来するとする説が有力である[3]。ただし同研究所の当時の日誌には、別の呼称(「ドン・ドン隔壁」)も併記されているとの指摘がある[4]。
歴史[編集]
背景:波浪抵抗の“政治化”[編集]
代、各国の巡洋艦は速力競争だけでなく「荒天航行時の機関負担」を巡って政治的に評価されるようになったとされる。海軍省は整備人員の不足を理由に、修理工数を削減する“工学的な省力化”を掲げ、港湾での平均作業時間をKPI化したのである[5]。
この流れの中で、では、波の立ち上がりが船体に与える衝撃を「音」と「ひずみ」で記録する実験が始まった。実験用台船に“喫水線の模擬板”を取り付け、振動計の読みが一定範囲を超えると周囲の技術者が勝手に歓声を上げたという逸話が残っている[6]。その歓声が「ポンポン」と聞こえたことが、のちに隔壁名称へ接続したと説明される。
さらに、同時期に国際航路の混雑が増え、に相当する“乾燥海運ベルト”へ大型船の寄港が集中したとされる。結果として荒天時の待機が増え、船体疲労の議論が「海軍の理念」から「市民の生活費」へと移されたことが、山型輪郭の発想を後押ししたと推定されている[7]。
経緯:1917年の“山型テンプレート”公開[編集]
山型の設計がまとまったのは、にで開かれた技術審査会だとされる。当時、海軍技術局は“テンプレート”方式を採用し、喫水線の輪郭を可搬の金属型(厚さ12.4mm、重量平均3.7kg)として配布した[8]。
審査会では、テンプレートの角度を基準に喫水深を最適化する手順が説明された。具体的には、喫水深を「基準値に対し+0.18フィート」増やすと、波高0.9mのとき推進器の回転数低下が約4.2%抑えられる計算が提示されたとされる[9]。ただし、これらの計算が“その日の天気に合わせて修正された”可能性があるとするメモが、のちに副申書として発見された[10]。
同年の後半、試作区画では“ポンポン隔壁”が採用された。隔壁は砲塔前後の区画を薄い水密隔壁で区切り、衝撃波を反射させずに分散させることを狙ったとされる。実験では、隔壁前面の圧力がピークに達するまでの時間が「0.73秒±0.06秒」だったという記録があり、これが艦型命名の“山”と“音”の両方に結びついたと説明される[11]。
しかし予算折衝では、艦体の“曲線工作”が熟練工の負担になる点が争点化した。議会記録によれば、溶接工程が通常型の1.32倍、塗装工程が1.09倍に膨らみ、結果として完成予定日がからへ延期されたとされる[12]。
影響:教科書を変えたが、艦は増えなかった[編集]
山型の考え方は、重巡洋艦そのものの大量建造にはつながらなかったとされる。計画艦のうち実艦として記録に残るのは2隻のみで、残りは機関換装用の試験台や砲塔旋回試験に転用されたと説明される[13]。
ただし教育面での影響は大きかった。造船技師養成課程では、従来の“直線的な船体設計”から、喫水線の輪郭を意思決定の中心に据えるカリキュラムへ移行したとされる。特に版の海軍工学講義ノートでは、「山型は浪を“敵”ではなく“入力”として扱う」との文章が引用され、後の設計者に影響したとされる[14]。
一方で運用現場では、隔壁周りの整備性が問題になった。整備記録では、隔壁点検に要する“潜水灯具”の交換回数が、通常型より月あたり平均で「+6回」増えたとされる[15]。この数字は技術的な誤差か、あるいは現場が点検を厳格化した結果かについて、研究者の意見が割れている[16]。
研究史・評価[編集]
の評価は、工学史と軍政史の双方で揺れがある。工学側は、喫水線の輪郭を設計変数にした点を“革命的”と呼ぶ傾向がある。他方で軍政側は、予算の都合で実艦が増えなかったため、統計的な確証が不足したと批判することが多い[17]。
研究史では、特にに出版された技術史の回顧録が参照される。著者のは、山型テンプレートの角度調整が「政治の譲歩を工学の言葉に翻訳した」ものだと論じたとされる[18]。ただしこの回顧録では、テンプレート配布の担当が「海軍技術局」なのか「港湾振動研究所」なのかが曖昧にされていると指摘されている[19]。
評価が割れた具体例として、速力面の数値が挙げられる。ある資料では、山型採用により最大速力が平均で「+1.8ノット」伸びたとされる一方、別資料では波高2.1mでは逆に「-0.6ノット」になったと報告されている[20]。同じ艦・同じ条件のはずが、試験海域がに相当する内海で行われたのか、外洋で行われたのかが記載から読み取りにくい点が、研究者の混乱を誘発したとされる[21]。なお、試験海域の緯度経度が“丸めすぎ”ているとする批判も存在する[22]。
批判と論争[編集]
論争の中心は「山型は本当に波浪抵抗を減らしたのか」という点にある。反対派は、改善は実測というより設計者の期待に近い形で出た可能性を指摘する。すなわち、テンプレート配布時に現場の計測士が恣意的に“滑らかに合う曲線”を優先したため、結果がよく見えるように調整されたのではないか、という疑いである[23]。
また、命名の由来である「ポンポン」の信頼性にも疑義が呈された。海軍用語として正式に採用されなかった語が、後世の研究者の筆致で“体系化”され、史実以上の意味を帯びた可能性があるとされる[24]。この点については、当時の議事録に“隔壁の呼称が統一されていない”痕跡があるとする説もある[25]。
さらに、整備性の問題が、設計の意図よりも後工程の工期短縮で悪化した可能性も指摘されている。工期短縮の記録がの港湾人員配置の混乱と結びつくため、技術の限界か、行政の限界かを切り分けにくいという論点である[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ヘンリ・クレーヴェル『喫水線が政治を運ぶ——巡洋艦設計の翻訳史』海霧出版社, 1956.
- ^ エミリア・ロザリー『波浪抵抗評価の誤差論(第3版)』北浜工学叢書, 1962.
- ^ アンドレイ・タルマン『海軍工学講義ノート(1931年版復刻)』ドナウ大学出版局, 1998.
- ^ ルーカス・ハート『Shipmaking Under Templates: The Curvature Era』Maritime Archive Press, 2004.
- ^ 青井篤也『海軍造船用語の成立——隔壁から艦名へ』水盤史料館, 2011.
- ^ Marta Johansson, “Acoustic Subdivision of Bulkheads in Prototype Cruisers,” Journal of Naval Acoustics, Vol. 12 No. 4, pp. 201-229, 1979.
- ^ Sami Qadir, “Optimization of Draft and Propeller Load in Rough Waters,” Proceedings of the International Marine Mechanics Society, Vol. 3 No. 1, pp. 55-88, 1983.
- ^ 王暁明『港湾整備工数の統計史——月次点検の罠』東アジア航海統計研究所, 2009.
- ^ トーマス・リーベンス『海軍予算と曲線加工(第2巻)』連合議会図書, 1930.
- ^ ノルベルト・ファルク『荒天航行のKPI設計』Sturmburg Technical Review, 第7巻第2号, pp. 11-39, 1926.
- ^ (参考)エリオット・カー『Pompom Walls: A Myth and Its Measurements』Blue Lantern Studies, 1971.
外部リンク
- 海霧文庫:山型テンプレート収蔵室
- 港湾振動研究所デジタル史料館
- Maritime Archive Press 旧版目録
- 造船テンプレート方式教育ポータル
- Journal of Naval Acoustics 参照索引