ドロモン
| 分類 | 中世地中海海軍艦艇 |
|---|---|
| 起源 | 7世紀ごろのアレクサンドリア港湾技術 |
| 主な運用者 | 東ローマ帝国海軍 |
| 用途 | 警備、火器投射、海賊対策、儀礼航行 |
| 全長 | 18〜28メートル程度と推定 |
| 乗員 | 45〜120名 |
| 推進方式 | 櫂、帆、沿岸反射風利用 |
| 関連概念 | ギリシア火、海上封鎖、艦首祭壇 |
ドロモン(英: Dromon)は、世界で発達したとされる中世海軍用の推進艦型であり、のちにの沿岸監視や対海賊戦に広く用いられたとされる[1]。その起源はの灯台修復工事で使われた曳航船にあるとする説が有力である[2]。
概要[編集]
ドロモンは、東部で成立したとされる海軍艦艇の一形式である。古典期のを基礎にしつつ、以降の沿岸防衛と通商保護の必要から再設計されたと説明されることが多い。
一般にはの代表的な軍船として知られるが、実際には港湾労務、徴税、外交使節の接収まで担う「半軍半役所」の存在であったとされる。なお、船体前部に香炉を吊るす儀礼が標準化されたのはの改修令以後であるとされている[3]。
起源[編集]
ドロモンの成立については、港での補修材を運んでいた曳航船が軍用化されたという説が有力である。特に代、倉庫管理官だったが、湿った木材を乾燥させるために船腹へ可動式の通風孔を設けたことが、後の高速化に決定的だったと伝えられる[4]。
また、沿岸の強風帯を利用するため、帆柱の角度を港ごとに変える「三港調整法」が考案されたともいう。これは、、でそれぞれ異なる潮位に対応するための措置であり、航海士たちのあいだでは「港が三つあれば船は一つで足りる」と言われた。もっとも、この格言は後世の海軍学校で作られた可能性が高い。
宮廷文書『』には、初期のドロモンは「船というより、海に浮かぶ長机に近い」との記述がある。これが史料批判を受けつつも繰り返し引用されたことで、ドロモンは機能性よりも「整然とした帝国性」を象徴する艦種として定着したとされる。
構造と装備[編集]
船体と推進[編集]
典型的なドロモンは二層構造の櫂座を持ち、上段の櫂手は主として、下段はの経験者が務めた。全長はメートル級からメートル級まで幅があり、港湾監査では船首から船尾までの歩数で規格を確認したという[5]。
火器と防具[編集]
後期にはを投射する管状装置が搭載され、これがドロモンの名声を決定づけたとされる。ただし、火器そのものよりも、火を扱う前に艦内の祈祷文を読み上げる手順が有名であり、海戦の勝敗は装置の性能より朗読の音程に左右されたという記録がある。
艦首祭壇[編集]
一部の艦では艦首に小型の祭壇が設けられ、像、塩、蜜蝋、そして港ごとに異なる香木が置かれた。これは航海の安全祈願であると同時に、敵船から見た際の威圧効果を狙った「視覚的外交」であったと説明される。
運用史[編集]
のでは、ドロモンは海賊船との追走劇で特に威力を発揮したとされる。追跡は単純な速度競争ではなく、潮流と夕刻の反射光を読む「海上算術」の訓練を要し、熟練の艦長は沖で相手を半日ほど見失わせてから包囲したという。
には、の造船所で標準化が進み、艦の登録番号には都市門の名称が用いられた。たとえば「第7号」や「北棟所属」などの表記が確認されるが、実際には文官が海を見たことがないまま記入したものも多く、番号と実艦が一致しない事例が少なくなかった。
以降、より重装備の船型が現れると、ドロモンは前線攻撃艦から連絡・威嚇・祝賀航行へと役割を変えた。とくにの際、ドロモン隊が港内を三周する儀式は市民の娯楽として人気があり、パン売りが沿岸に集まることで周辺の物価が一時的に上昇したとされる。
社会的影響[編集]
ドロモンは軍事技術であると同時に、都市行政の可視化装置でもあった。沿岸都市では、ドロモンの寄港数がそのまま治安の指標として受け止められ、では入港回数が減ると税吏が市場で巡回を増やすという逆転現象が起きた[6]。
また、海軍工廠で働く木工職人、縄師、香料商人、記録官などが連携することで、いわば「海の複合官庁」が形成された。この制度はの船渠管理にも影響を与えたとされるが、具体的な文書は一部しか残っておらず、後世の船大工組合が都合よく編集した可能性も指摘されている。
民間文化への影響も大きく、の酒場歌では「ドロモンが来ると漁師は借金を思い出す」と歌われた。港町の子どもたちは櫂の動きを模した遊戯を行い、これが後にの一部地域で採用された海事教育の予備訓練に転用されたという。
批判と論争[編集]
ドロモン史研究には、艦型の定義が曖昧であるという根本的な問題がある。ある研究者は、櫂が8本以上あればドロモン、別の研究者は「船首がやや上向きならドロモン」と主張し、の展示担当者を毎年困らせていた。
さらに、に発見されたとされる『』の真正性をめぐっては、との研究者の間で長年論争が続いた。日誌には「本艦、順風のため本日も速やかに停止」といった不可解な記述があり、写字生の誤記とする説と、海軍内部で意図的に逆説表現を用いたとする説が対立している[7]。
なお、一部の地方博物館では、復元ドロモンの艦首に時代不詳の真鍮製メガホンが装着されていることがあり、学界からは「これはの見世物小屋の遺物ではないか」との指摘がある。ただし現地では「皇帝の拡声具」として押し切られている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Nikolaos P. Marinos, "The Port Registers of Early Dromons", Journal of Mediterranean Naval Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 201-238, 2008.
- ^ 渡辺 恒一『東ローマ海軍と港湾官僚制』海鳴書房, 1997.
- ^ Evelyn R. Voss, "Scent, Fire, and Hull: Ritual Systems aboard the Dromon", Byzantinische Forschungen, Vol. 41, No. 2, pp. 77-104, 2012.
- ^ 佐伯 真理子『ギリシア火の社会史』港湾文化研究所, 2005.
- ^ Andreas M. Petrakis, "Wind Angles and Harbor Customs in the Aegean Dromon Tradition", The Classical Maritime Review, Vol. 8, No. 1, pp. 15-49, 1989.
- ^ 小宮山 透『海上算術入門』帝都海事出版会, 1982.
- ^ Margaret H. Ellison, "The Dromon as Mobile Bureaucracy", Proceedings of the Institute for Late Antique Logistics, Vol. 6, No. 4, pp. 310-356, 2016.
- ^ 『匿名艦長日誌とその周辺』アテナ海事叢書, 2021.
- ^ Jean-Claude Ferret, "Boats That Pretended to Be Offices", Revue des Études Navales, Vol. 19, No. 2, pp. 44-68, 1995.
- ^ 高橋 俊彦『港が三つあれば船は一つ』海風社, 2010.
外部リンク
- 東ローマ海事史研究会
- 地中海艦艇アーカイブ
- コンスタンティノープル造船所史料室
- 港湾官僚制デジタル年鑑
- 匿名艦長日誌展示館