マイコー・ジャクソンソン
| 名称 | マイコー・ジャクソンソン |
|---|---|
| 別名 | MJS、ソックス回転法 |
| 分類 | パフォーマンスアート、都市芸能 |
| 発祥 | 東京都新宿区歌舞伎町周辺 |
| 提唱者 | 真北 恒一郎ほか |
| 成立時期 | 1981年頃 |
| 主要施設 | 新宿文化センター、六本木W-Deck |
| 特徴 | 片足重心、90度反復回転、白手袋の誇示 |
| 関連団体 | 都市所作研究会 |
マイコー・ジャクソンソンは、初頭ので成立したとされる、歩行と回転、衣装の反復的な交換を核とする都市型パフォーマンス様式である。しばしばとの中間領域に位置づけられ、のちにの商業施設を中心に流行したとされる[1]。
概要[編集]
マイコー・ジャクソンソンは、ごろにで観察された一連の所作群を指す名称である。具体的には、つま先をほとんど動かさずに身体の重心だけを移し、短い間隔で帽子・上着・手袋を入れ替える演技が中核であったとされる。
名称は、当時の若年層の間で流行した外来風の愛称と、昭和末期の宣伝文句に見られる語尾反復の癖が結びついて生じたとされる。なお、一部の研究者は、これは単なる舞踏ではなく、の閉店前セールにおける客寄せのための動線誘導技術だったと指摘している[2]。
成立史[編集]
歌舞伎町試験期[編集]
最初期の記録は8月、のビル屋上で行われた夜間照明の点検作業に付随している。点検班の補助員であったが、濡れた床面を避けるために連続的な小回転を行ったところ、偶然にも見物客が拍手したことが起点とされる。
当時の周辺では、ポスター貼り替えのアルバイトが多く、白い軍手と黒い靴だけが大量に流通していた。これが衣装の標準化を促し、のちの「白手袋・黒靴・細身ジャケット」という定型を生んだとされる。
六本木拡張期[編集]
になると、の飲食店が深夜営業を拡大し、店頭の狭い歩道で披露される短時間演目として再編された。ここで重要だったのは、回転そのものよりも、回転の直後に静止して客の視線を一点に集める「停止の美学」である。
の内部報告書によれば、当時の平均演目時間は38秒で、最長でも2分17秒を超えなかったという。短さが却って口コミを生み、系の深夜番組が「意味不明なのに見てしまう新作芸」として半ば特集的に扱ったことが普及を加速させた。
制度化と反発[編集]
にはの外郭団体による地域芸能調査に取り上げられ、マイコー・ジャクソンソンは「都市所作の一種」として半ば公認された。しかし、同時に商店街側からは「通行人が足を止めすぎる」との苦情が相次ぎ、では演目の実施に事前届出が必要になったとされる。
この時期、演者たちは回転速度を上げる一方で、帽子交換の回数を減らす方向に改良を進めた。理由は単純で、帽子が飛ぶたびに子どもが追いかけてしまい、演目がの雑踏に吸収されるからである。
技法[編集]
マイコー・ジャクソンソンの基本技法は、①片足荷重、②90度単位の回旋、③手袋の見せ替え、④最後の静止、の4要素から成るとされる。とくに④の静止は重要で、見物人に「今のは準備動作ではないか」と思わせた瞬間に拍手が発生すると説明される。
演者の間では、靴底に薄い蜜蝋を塗る「光沢保持法」や、ジャケット内側に縫い付けた小型の重りで回転の軸を安定させる「港区式補重」が知られている。また、熟練者は演技中に一度だけネクタイを直すことで、観客の記憶に残る残像を作るとされた。
なお、の試験記録には、同様の回転が狭所での避難誘導に応用可能であるとの記述があるが、実際に採用されたかは不明である[3]。
社会的影響[編集]
1980年代後半、マイコー・ジャクソンソンはの屋上イベントやの夏祭りに組み込まれ、若者の「見る側から参加する側へ」の意識転換を促したとされる。これにより、拍手のリズムを客自身が作る「逆位拍手」や、演者に合わせて傘を回す「傘旋法」が派生した。
一方で、学校現場では「廊下で真似をする生徒が転倒する」として問題視され、が1989年に注意喚起文書を配布したとされる。もっとも、当時の文書には演目名が正確に書けておらず、職員間では「ジャクソン村」「マイコーソン」などの誤記が横行した。これがむしろ名称の神秘性を高めたとの指摘がある。
主な流派[編集]
新宿流[編集]
新宿流は、原点回帰を掲げる最古の系統で、回転数よりも足さばきの密度を重視する。演者はほぼ同じ場所から動かず、視線だけで広場全体を支配するのが特徴である。
港区流[編集]
港区流は、企業イベント向けに洗練された流派で、白手袋の代わりに薄灰色の手袋を用いることが多い。外資系ホテルでの余興から広まったとされ、会場の絨毯を傷つけないよう回転幅が極端に小さい。
多摩ニュータウン流[編集]
多摩ニュータウン流は、団地の踊り場で生まれたとされる派生形で、階段の踊り場を利用した上下移動が加わる。住民自治会の盆踊りと接続した結果、演目の最後に必ずスイカ割りが始まるという、かなり奇妙な慣習が残っている。
批判と論争[編集]
マイコー・ジャクソンソンをめぐっては、当初から「これは芸術か、店先の呼び込みか」という論争があった。とりわけのでの公開実演では、百貨店の売上が前週比で17.4%増加したことから、広告手法としての利用を疑う声が強まった。
また、真北恒一郎の弟子を名乗る人物が複数現れ、互いに「本来の重心位置は左足小指である」「いや右肘である」と主張して対立した。この論争は、後年の研究でそもそも真北が実在したかどうかも曖昧であることが示され、現在では半ば伝説化している。
ただし、所蔵の地方新聞縮刷版には、1985年から1989年にかけて関連記事が少なくとも23本確認されるため、まったくの虚構と断定するのも難しいとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 真壁友一『都市所作の誕生―歌舞伎町夜景と回転身体』芸林書房, 1994, pp. 41-78.
- ^ Margaret L. Thornton, "Stop-and-Turn Aesthetics in Late Showa Tokyo," Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 2001, pp. 201-229.
- ^ 渡会一成『白手袋の経済学』港都出版, 1998, pp. 15-66.
- ^ Hiroshi Kanda, "Commercial Choreography and Pedestrian Attention," Asian Performance Studies, Vol. 7, No. 1, 2004, pp. 9-34.
- ^ 都築まり『歌舞伎町の静止点』新宿文化社, 2007, pp. 88-112.
- ^ Richard E. Barlow, "The Maiko Jacksonson Effect in Retail Spaces," Proceedings of the 3rd International Symposium on Motion and Commerce, Vol. 3, 2010, pp. 55-73.
- ^ 真北恒一郎監修『マイコー・ジャクソンソン入門』都市芸能研究会, 1986, pp. 3-19.
- ^ 小松原菜摘『団地と踊り場の民俗誌』多摩新報社, 2011, pp. 104-139.
- ^ 石田竜平『ジャクソン村事件簿』北沢文庫, 2002, pp. 7-29.
- ^ Annie S. Vogel, "When Hats Changed Hands Too Often," Review of Applied Folklore, Vol. 19, No. 4, 2016, pp. 311-330.
外部リンク
- 都市所作アーカイブ
- 歌舞伎町夜景資料室
- マイコー・ジャクソンソン研究連絡会
- 白手袋文化保存協会
- 昭和末期サブカル年表館