マニックトリックトイボックス社
| 正式名称 | マニックトリックトイボックス社 |
|---|---|
| 英語名 | Manic Trick Toy Box Company |
| 設立 | 1948年 |
| 創業者 | 黒田 朔二 |
| 本社 | 東京都台東区蔵前 |
| 主要製品 | 仕掛け箱、変形玩具、舞台用ギミック箱 |
| 代表的技術 | 三層反転式スプリング収納機構 |
| 関連機関 | 日本玩具工業協会、東京芸術劇場技術部 |
| 通称 | M.T.T.ボックス |
マニックトリックトイボックス社(マニックトリックトイボックスしゃ、英: Manic Trick Toy Box Company)は、発祥とされる、仕掛け玩具と即興演劇用小道具を専門に製造する老舗玩具メーカーである。戦後ので始まった小規模な箱工房を起源とし、のちにの玩具安全基準策定に影響を与えたことで知られる[1]。
概要[編集]
マニックトリックトイボックス社は、開閉・変形・隠蔽を前提とした箱型玩具を中核製品とする企業である。一般には子供向け玩具メーカーとして扱われるが、実際にはや学校教材、さらには百貨店の販促什器まで手掛けており、その事業領域はきわめて広い。
同社の特徴は、玩具に「一回きりの驚き」を与える設計思想にあるとされる。これは創業者の黒田朔二が、戦後の空き倉庫で荷造り箱を改造していた際、偶然の寄席で見た手品の転換を再現しようとしたことに由来するとされる[2]。なお、この逸話は社史の初版と第7版で細部が異なっており、研究者のあいだでは「最初から神話化が始まっていた」と指摘されている。
歴史[編集]
創業期[編集]
同社の前身は、にの木箱職人・黒田朔二が開いた「黒田箱工房」である。黒田はもともと輸送用の木箱を作っていたが、終戦直後の玩具不足に目をつけ、箱の側面をずらすと中身が別物に見える「反転箱」を考案したとされる。最初の製品は「鳩が出るはずの箱」であったが、実際には紙片だけが飛び出す仕様で、子供よりもの劇場関係者に受けたという。
には、角を強く押すと内部の仕切りが連鎖的に移動する「三層反転式スプリング収納機構」を採用し、これが後の主力技術となった。社内記録によれば、この機構の試験は延べ1,246回行われ、うち73回は蓋が天井に吸着して回収不能になったとされる[3]。
拡大と輸出[編集]
高度経済成長期には、同社はデパートの玩具売場に加え、海外への輸出を開始した。特にのを契機に、来日した記者向けの土産物として「忍者の箱」「富士山の箱」が大量に流通し、これが北米市場で「Japanese Trick Box」として独自のジャンルを形成したとされる。
にはアメリカ・の見本市で、箱を開けると別の箱が現れ、そのさらに内側に小さなベルが入っている三重構造の製品を披露し、会場で17名が同時に笑い出した記録が残る。なお、輸出担当の松井リディアは「当時の海上コンテナでは振動に弱く、完成品の14%が帰港時に箱の役割を失っていた」と証言しているが、一次資料の所在は未確認である。
企業文化と転機[編集]
に入ると、同社は玩具安全基準の厳格化に対応するため、全製品に「驚きの強度試験」を導入した。これは1.5kgの重りを落としても内部機構が誤作動しないことを確認する制度で、試験室では「箱を疑え」という標語が掲げられていたという。
一方で、1987年の「赤い紙片事件」では、景品として封入された紙片がの通知文に酷似していたため、都内23区の一部で誤解が生じた。結果として同社は回収を余儀なくされたが、この事件を契機に、のちの「説明書は箱の外に付すべきである」という業界慣行が確立したとされる[4]。
製品[編集]
同社の代表製品は、いずれも「開ける」という行為そのものを演出化している点に特徴がある。最も有名なのは、表面には何の模様もないが、3回目に開けたときだけ内部の小箱が左右逆に出現する「リバーサル・キューブ」である。
また、学童向けとしては「音だけ鳴る宝箱」、舞台用途としては「掌サイズの消失箱」、企業販促用としては「名刺が一定枚数で花びら状に展開する卓上箱」などが知られている。特に後者はの広告部門で採用され、1989年から1992年にかけて全部で3,800個が使用されたとされる。
さらに、同社は極めて細かい需要に対応するため、箱の内寸を0.5mm単位で調整していた。社内資料では「子供の指は想像より太い」と繰り返し記されており、これが後年のユニバーサルデザイン的発想に先行していたと評価する向きもある。
技術[編集]
三層反転式スプリング収納機構[編集]
同社を象徴する技術である。通常の箱は一方向に開くが、この機構では蓋・中枠・底板の3層が順番にずれることで、見かけ上の「中身」が入れ替わる。これにより、同じ箱から人形、紙吹雪、針金の輪が別々のタイミングで現れる。
開発には出身の機械設計者・有馬真澄が関わったとされるが、退職後に残したメモの大半が「バネは気分で動く」という記述だったため、現在でも完全な原理解明には至っていない。
無音遅延ヒンジ[編集]
に導入された、開閉時の音をほぼ消すための蝶番である。これは病院の待合室向けに開発されたが、実際には子供が「開いたのに開いた音がしない」ことに興奮し、むしろ騒がしくなるという逆効果が生じた。
それでも同社はこの技術を改良し、後にの科学博物館の特別展で採用された。展示担当者は「観客が静かに驚く」という前代未聞の反応を得たと報告している。
社会的影響[編集]
マニックトリックトイボックス社は、玩具業界のみならず、教育現場と舞台芸術にも影響を与えたとされる。特に小学校の図工授業で「箱の内部構造を想像する」教材が広まったのは、同社製品がきっかけであったという説がある。
また、の工作番組では、同社の設計思想を応用した「1分で驚く箱」が紹介され、放送翌週の視聴者投稿が通常の6倍に増加したと記録されている。なお、同社OBのなかには舞台大道具会社へ転職する者が多く、東京の小劇場文化に「箱屋の遺伝子」を残したともいわれる。
一方で、過度に巧妙な仕掛けが学校の提出箱や募金箱に模倣されたため、が2001年に注意喚起を行ったという話もある。ただし、この通達の文面は一部で「箱の気持ちを不用意に刺激しないこと」と要約され、半ば都市伝説化している。
批判と論争[編集]
同社に対しては、驚きの演出を優先するあまり安全性が二の次になっていた時期があるとの批判がある。とくにの「指先挟み込み事故」では、製品3種類で合計41件の軽傷が報告され、これが後の安全規格強化につながったとされる。
また、社史の記述には誇張が多く、創業者の黒田朔二がの喫茶店でたまたま紙箱の神託を受けた、という逸話まで追加されている。学術的には根拠が薄いが、同社の広報部は「物語としての整合性は高い」として訂正を拒んだため、かえってファンの支持を集めた。
近年では、古い製品の復刻版がコレクター市場で高騰し、未開封品1箱がに12万8,000円で落札された例がある。これにより「本当に開けるべきか」という倫理的問題が語られるようになり、箱を開けずに箱そのものを鑑賞する文化が一部で成立した。
年表[編集]
- 黒田箱工房として創業。
- 三層反転式スプリング収納機構を採用。
- 東京オリンピックを契機に輸出を開始。
- シカゴ見本市で三重構造箱を発表。
- 赤い紙片事件が起こる。
- 無音遅延ヒンジを導入。
- 模倣品対策の注意喚起が話題となる。
- 本社ショールームがの旧倉庫から現所在地へ移転。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田朔二『箱の中の戦後史――マニックトリックトイボックス社小史』M.T.T.出版部, 1998.
- ^ 有馬真澄「三層反転式収納機構の実装と失敗例」『日本玩具工学会誌』Vol.12, No.3, 1960, pp. 44-59.
- ^ Lydia Matsui, "Trick Boxes and the Pacific Gift Economy" Journal of Toy Studies, Vol. 8, Issue 2, 1973, pp. 101-118.
- ^ 山本栄治『舞台道具としての玩具箱』芸能文化社, 1986.
- ^ 田所由紀子「赤い紙片事件と表示責任」『消費生活研究』第21巻第4号, 1988, pp. 211-227.
- ^ Margaret H. Lowell, "Silent Hinges and Loud Children" Craft and Design Quarterly, Vol. 5, No. 1, 1994, pp. 9-21.
- ^ 黒田一彦『箱を疑え――安全規格と驚きの両立』東都書房, 2002.
- ^ S. Nakamura, "The Reversal Box in Japanese Department Stores" Retail History Review, Vol. 14, No. 4, 2007, pp. 66-83.
- ^ 佐久間玲子「玩具メーカーにおける物語化戦略」『経営史学』第48巻第2号, 2010, pp. 155-169.
- ^ Henry P. Wexler, "When a Box Becomes a Stage" Performance Objects Review, Vol. 3, No. 2, 2019, pp. 31-47.
外部リンク
- マニックトリックトイボックス社 公式史料室
- 日本箱玩具アーカイブ
- 東京下町工芸データベース
- 玩具仕掛け構造研究会
- 昭和レトロ玩具博物館 デジタル展示