マンポス
| 名称 | マンポス |
|---|---|
| 英名 | Mannpos |
| 分類 | 地図補助概念、仕分け規格、都市推定法 |
| 起源 | 1920年代の東京・芝浦周辺 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、L. H. Mercer |
| 主な用途 | 誤差管理、配送最適化、臨時区画の把握 |
| 普及期 | 昭和初期〜高度成長期 |
| 関連制度 | 暫定番地帳、反転座標票、港湾雑区画法 |
| 現在の扱い | 民間の古地図研究と一部物流史研究で言及 |
マンポス(英: Mannpos)は、末期の都市測量と仕分けの混線から生まれたとされる、日本発の地図補助概念である。特にの旧技師らの間で発達した「位置のずれを、ずれたまま管理する」手法として知られている[1]。
概要[編集]
マンポスは、都市空間に生じる小さな食い違いを「誤差」ではなく「運用上の前提」として扱うために考案された概念である。もともとはの埋立地、橋梁工事、仮設市場の増減によって番地が頻繁にずれたことから、地図上の正確さよりも、配達員や測量員が同じ迷い方を再現できることが重視された。
このためマンポスでは、地点そのものよりも「どの程度のずれなら同一地点として扱うか」を数値化することが中心となった。文献によっては、標準単位として「1マンポス=約37歩」とするものもあれば、の内規では「人力車一転回分」を基準としたとされる[2]。
成立史[編集]
芝浦試験区画[編集]
マンポスの原型は、の倉庫街で行われた「可変区画試験」に求められる。、渡辺精一郎と米国人顧問のは、倉庫の移転が月に平均2.7回発生する区域で、番地の固定化よりも「巡回順の安定」が重要であることを発見したとされる[3]。この試験では、同じ建物が午前と午後で別番地として登録される事例が17件確認されたという。
渡辺はこれを「都市の骨格ではなく、都市のためらいを扱う技法」と表現したとされる。なお、彼の日誌には「5号倉庫の南壁は、雨の日だけ2.4マンポス移動する」といった記述があり、後年の研究者を悩ませている。
逓信省内での制度化[編集]
、郵便課はマンポスを半公式に採用し、郵便物の転送回数を減らすための「暫定住所表」を作成した。これにより、・・の一部地域では、同一住所に3つの到達経路が併記されるようになった。
制度化の過程で、官吏の間には「正しい地図は遅いが、半分正しい地図は早い」という実務観が浸透したとされる。また、との調整により、マンポスは地籍簿に書き込むのではなく、欄外に鉛筆で追記する運用が推奨された。これが、後の「欄外行政」の語源であるという説もあるが、出典はやや曖昧である。
戦時期と再編[編集]
18年頃には、空襲による道路変化への対応として、マンポスは防空標識の読み替えにも利用された。特にとでは、焼失前の街路と焼失後の仮設路地を同一のマンポス表に収める試みが行われ、地元では「二重の町」と呼ばれた。
戦後、の都市復興担当者がこの方式に注目し、の「臨時都市参照票」作成に応用したとされる。ただし、この時点でマンポスはもはや概念として拡散しすぎており、測量術、物流規格、古地図愛好家の符牒が混在した状態であった。
定義と運用[編集]
マンポスの中核は、地点を絶対座標ではなく「近似的な滞在圏」として扱う点にある。各地点にはA群・B群・C群の三層評価が与えられ、A群は徒歩3分以内、B群は荷車で迂回可能、C群は雨天時のみ到達可能とされた。
また、実務では「逆転票」と呼ばれるカードが使われた。これは配達不能票ではなく、あえて迂回先を先に示すための帳票で、の一部では1日平均420枚が処理されたという記録が残る[4]。一方で、同一票に5つ以上の候補地が並ぶと、かえって現場が静かになることが判明し、1950年代には簡略化が進められた。
社会的影響[編集]
物流と商店街[編集]
マンポスの普及により、魚市場や米穀店では「朝の位置」と「夕方の位置」を分けて納品書に記す習慣が生まれた。とりわけ周辺では、同じ店が移動販売車を含めて4地点に分散して扱われることがあり、これを便利とみる商人もいれば、帳簿が増えるだけだと不満を述べる者もいた。
しかし結果的に、商店街ごとの「地図の癖」が可視化され、自治体の再開発計画に影響を与えたとされる。ある調査では、マンポス導入地区の再配達率は14.8%低下した一方、配達員の歩数は平均で8%増加したという、かなり都合のよい数字が残っている。
教育と学術[編集]
の地理学講座では、からマンポスを題材にした演習が行われた。学生は実地調査で「角を曲がったはずなのに同じ場所へ戻る」事象を報告書にまとめ、優秀作は『不安定地誌論集』に掲載されたという。
また、では、マンポスが「不完全な近代化の象徴」として社会学や都市計画論に引用された。もっとも、引用する学者の多くは実物のマンポス票を見たことがなく、説明図の方が実物より有名であったとする指摘がある。
批判と論争[編集]
マンポスに対する批判として最も多いのは、「地図なのか行政文書なのか、最後まで曖昧である」というものである。の討論会では、ある研究者が「マンポスは実在するずれを記録しているのではなく、ずれを実在化している」と発言し、会場が一時静まり返ったと記録されている。
また、との間では、誰が最終的な管轄を持つかをめぐって長年の対立があった。とくに、港湾倉庫の再編に伴いマンポス票の色を赤から鼠色に変更する案が出た際には、「視認性の低下は都市の倫理を損なう」とする反対意見が提出されたが、最終的には採用されなかった[5]。
後世への影響[編集]
21世紀に入ると、マンポスは電子地図の誤差補正概念として再評価された。特に以降の研究では、現代の配送アプリにおける「候補地点の束ね方」がマンポスの思想に近いとされ、学術誌『Journal of Irregular Cartography』でも特集が組まれた[6]。
一方、古書店や郷土資料館では、マンポス表そのものが収集対象となり、の一部店舗では1枚3万8000円で取引された例もある。なお、真正品の見分け方として「欄外に小さく『なるべく晴天時』と書かれているものが多い」とされるが、真偽は定かでない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『マンポス概論』逓信研究社, 1931年.
- ^ L. H. Mercer, “Temporary Block Systems in Port Cities,” Journal of Urban Logistics, Vol. 12, No. 4, 1930, pp. 211-238.
- ^ 東京逓信局編『暫定住所表作成要領』東京逓信局資料課, 1929年.
- ^ 高橋由紀子『欄外に書かれた都市』港湾文化出版, 1988年.
- ^ H. S. Caldwell, “The Mannpos Index and Its Administrative Uses,” Proceedings of the Imperial Cartographic Society, Vol. 7, No. 2, 1934, pp. 44-59.
- ^ 山田栄一『戦時下の不安定地誌』日本都市研究叢書, 1952年.
- ^ 佐伯まなみ『配達不能票の社会史』朝日選書, 2004年.
- ^ M. R. O'Neill, “A Note on Reversed Position Slips,” Cartographic Review, Vol. 19, No. 1, 1961, pp. 3-17.
- ^ 石田恒彦『マンポスと現代物流の接点』物流文化評論, 第14巻第3号, 2019年, pp. 77-96.
- ^ 『不安定地誌論集 第3輯』東京帝大地理学会, 1935年.
- ^ “The Curious Case of Mannpos in Tokyo Bay,” Urban Mapping Quarterly, Vol. 5, No. 9, 1978, pp. 102-118.
外部リンク
- 日本マンポス史研究会
- 都市ずれ資料アーカイブ
- 暫定住所票デジタル博物館
- 港湾地図文化フォーラム
- 古地図と物流の会