ミラクルジーザスウンコマン(1949)
| 作品名 | ミラクルジーザスウンコマン |
|---|---|
| 原題 | Miracle Jesus Unko-Man |
| 画像 | Miracle_Jesus_Unko-Man_poster.jpg |
| 画像サイズ | 240px |
| 画像解説 | 復刻ポスターに描かれた主人公ウンコマン |
| 監督 | 早乙女 恒一 |
| 脚本 | 三谷 きぬ江 |
| 原作 | 加賀谷 透の児童連作『衛生の王さま』 |
| 原案 | 北沢 真理 |
| 製作 | 東洋綜合動画研究所 |
| 製作総指揮 | 黒岩 重蔵 |
| ナレーター | 久保田 清二 |
| 出演者 | 浅野 義一、白川 玲子、森脇 末吉 ほか |
| 音楽 | 丹羽 仁 |
| 主題歌 | 『きれいな心でまわろう』 |
| 撮影 | 市川 玄太郎 |
| 編集 | 中山 ふみ子 |
| 制作会社 | 東洋綜合動画研究所 |
| 製作会社 | 新光映画社 |
| 配給 | 大都映配 |
| 公開 | 1949年11月3日 |
| 製作国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| 製作費 | 約1,280万円 |
| 興行収入 | 3億4,600万円 |
| 配給収入 | 1億8,900万円 |
| 上映時間 | 87分 |
| 前作 | なし |
| 次作 | 『ミラクルジーザスウンコマン対赤い便所怪人』 |
『ミラクルジーザスウンコマン』(みらくるじーざすうんこまん)は、に公開されたのである。戦後ので一時的に流行した紙芝居文化との衛生啓発運動を背景に、異色の宗教風ヒーローを描いた作品として知られる[1]。
概要[編集]
『ミラクルジーザスウンコマン』は、に系で公開されたのである。戦後復興期の衛生教育映画として企図されながら、結果的には奇妙な信仰と勧善懲悪を混ぜた娯楽作となり、地方巡回上映を通じて異様な人気を得たとされる[1]。
製作は、配給はが担当した。監督のは、元々は輸送用木箱の印刷図案を手がけた人物で、短尺の啓発アニメを多数制作していたが、本作で「笑わせながら手を洗わせる」方針を徹底し、当時としては珍しい反復ギャグと教訓を結びつけたとされる[2]。
題名の「ジーザス」は、戦後に輸入された宗教画冊子の誤読から生まれた呼称であるとする説があり、後年の研究では、衛生標語「自由・清潔・すすぎ」の頭文字を少年が「じーざす」と聞き違えたことが由来とされる[3]。ただし、この説明はとされることも多い。
あらすじ[編集]
物語は、近くの復興住宅地「晴海第四街区」に現れた少年ヒーロー、ウンコマンが、町内の井戸を汚す“赤い便所怪人”と対決する展開である。ウンコマンは普段は下駄箱係の少年・三郎であり、便器型の護符「ミラクル壺」を掲げることで、怒りを浄化の光に変える能力を得る。
中盤では、町に配給された石鹸が実は粗悪な混合であり、泡立たないことが問題となる。ウンコマンはこれを「泡のない正義」と見立てて人々を集め、の旧倉庫で一斉洗浄式を行うが、その場に現れた赤い便所怪人の罠によって、全員の靴底が一度に滑ってしまう。
終盤、三郎は巨大な便器船に乗ってを下り、怪人の巣である地下下水道に突入する。そこで彼は、怪人の正体が戦時中に衛生指導を軽視された元検査官・黒田であったことを知り、説得によって改心させる。最後は町全体で「一日三回、ありがとうと共に手を洗う」約束が結ばれ、空に巨大な虹色の石鹸泡が広がる結末となる。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
三郎 / ウンコマン 本作の主人公で、が声を務めた。普段は無口で内気だが、便器型護符を掲げると妙に芝居がかった口調になる。制作記録では、三郎の変身ポーズだけで作画枚数の17%が使われたとされる[4]。
お清さん が演じた少女。町内の洗濯場を守る役回りで、終盤では石鹸不足を批判する演説が長すぎたため、試写会で一度だけ上映が5分短縮されたという。
赤い便所怪人 が声を担当した敵役。赤マントではなく赤い便座を背負っているのが特徴で、登場のたびに便所スリッパを回転させる癖があった。
その他[編集]
久保田先生 によるナレーション兼町医者の声。衛生統計を詩のように読み上げるため、児童向けとしては妙に硬い印象を与えた。
巡査部長・青木 ラストで黒田を取り押さえようとするが、毎回石鹸で転ぶ役回りである。ロケーション絵コンテでは、転倒の角度が、、の3案で検討された。
ミラクル壺の老女 名前は与えられていないが、後年の再上映パンフレットでは「壺婆」と呼ばれた。全編で6回しか登場しないにもかかわらず、地方興行では最も人気のある人物とされた。
声の出演[編集]
・ - 三郎 / ウンコマン ・ - お清さん ・ - 赤い便所怪人 ・ - 久保田先生、ナレーター ・ - 町内放送の女声 ・ - 黒田 ・ - ミラクル壺の老女
キャスト表には、当初「衛生局協力」としての職員2名がクレジットされる予定であったが、最終版では削除されたとされる。なお、吹き替え録音はの旧寄席を改装した仮設スタジオで行われ、雨の日は天井の滴りが効果音としてそのまま採用されたという。
スタッフ[編集]
・監督: ・脚本: ・原作:『衛生の王さま』 ・原案: ・製作:黒岩 重蔵 ・製作総指揮: ・音楽: ・撮影: ・編集: ・美術監督: ・作画監督: ・制作会社:
スタッフ表は当時の帳簿に準じており、実際には「便器監修」「泡立ち監修」「奉公童歌整理」といった独立項目が存在したとされる。とくに泡立ち監修は、の試供品を65本消費して行われたという記録が残る。
製作[編集]
企画[編集]
企画は秋、の喫茶店「アカシヤ」で行われた衛生映画の打ち合わせから発展したとされる。戦後の子ども向け作品は道徳一辺倒になりがちであったため、黒岩は「まず笑い、その後で手を洗わせる」方針を提案したという。
原案者のは、当初は家庭向けの新聞連載として構想していたが、便器の形をしたお守りが編集会議で受けたことから映画化に転じたとされる。会議メモには「主人公は神か、それとも便器か」という一文が残されているが、後年の整理の際に筆圧が濃すぎて判読不能になった。
制作過程[編集]
制作はの木造アトリエで進められ、電力不足のため背景セルを午前中だけ撮影する日が続いた。彩色班は石鹸の原料名をそのまま色名に転用し、「ヤシ白」「藍泡」「煤茶」など独自の色票を作成した。
また、変身場面の回転エフェクトには、扇風機3台と自転車の車輪を組み合わせた装置が使用されたとされる。記録上は「簡易パンタグラフ」と記されているが、実際にはほとんど手回し式で、作画机の下にいた新人が足で回していたという証言がある。
美術・CG・撮影[編集]
美術はが担当し、下水道の奥行きを出すため、の染料工場で集めた廃紙を4層に重ねる独自の透過背景法が用いられた。撮影の市川はこれを「貧乏だが立派な遠近法」と評した。
CGという語は当時存在しないが、復刻版の解説では、便器船の回転に「前史的な計算機的感覚」があると指摘されている。もっとも、実態は背景を15度ずつずらしたセルロイドを連写しただけであった。
音楽・主題歌・着想の源[編集]
音楽はが担当し、軍楽風のブラスに童謡の旋律を重ねることで、妙に神聖な滑稽さを生んだ。主題歌『きれいな心でまわろう』は、当初は5番まで作られていたが、レコード化の際に3番が「洗面器への愛着が強すぎる」として削除された。
着想の源については、系の啓発ポスター、戦前の巡回講談、そして地方の便所神信仰が混ざったものとされる。特に、監督の早乙女がの山村で見聞きした「便所の神は怒ると流れを止める」という言い伝えが、赤い便所怪人の造形に直接つながったとする説がある。
興行[編集]
公開時はにほか23館で封切られた。宣伝では「家族で笑えて、最後に手が洗いたくなる映画」と銘打たれ、地方新聞の映画欄では見出しが3日連続で誤植されたが、かえって注目を集めた。
初週の動員は約8万4,000人、最終的な興行収入は、配給収入はを記録したとされる。これは同年の児童向けアニメーション作品としては異例であり、記録更新時には「便器ものの地位を抜いて」と報じる地方紙もあった。
その後、、、にリバイバル上映が行われ、1967年版ではカラー復元の試みが行われたが、色指定の一部が誤って洗剤広告と同じ青になり、「DVD色調問題」の先駆けとして語られることがある。海外ではとで短期公開され、英語字幕版の題名は『The Miracle Toilet Saint』であった。
反響[編集]
批評[編集]
当時の批評では、宗教モチーフの扱いが過剰であるとの指摘があった一方、衛生教育映画としては驚異的に記憶に残ると評価された。『映画春秋』は「真顔で便器を救済する勇気がある」と評し、の夕刊は「不潔への怒りがやけに上品」と書いた。
ただし、教育委員会向け試写では「主人公の名称が小学生に反復されすぎる」として一部カットが要望され、上映用台本の欄外に赤鉛筆で50回以上の修正が入っていた。
受賞・ノミネート[編集]
度の特別奨励賞、脚本賞候補、装置部門などにノミネートされた。もっとも、後者は選考委員が1名だけであったため、実質的には自薦に近かったとされる。
また、の地方映画祭では、審査員特別賞として「最も洗面所を有効活用した作品」に選ばれたが、受賞コメントが長すぎたため記録映像の前半が失われている。
売上記録[編集]
売上記録では、公開初月に石鹸販売量が推定12%上昇したとされ、本作の宣伝が家庭の衛生習慣に直結した稀有な例とみなされた。なお、劇場ロビーで配られた紙製ミラクル壺は、折り返して使うと実際に小物入れになり、回収率は71.3%だったという。
一方で、学校帰りの児童が便器のまねをして走る「ウンコマンごっこ」が流行し、が注意喚起を行ったという記録もあるが、詳細はである。
テレビ放送[編集]
にの教育映画枠で初放送された際、視聴率は14.8%を記録したとされる。家庭では、夕食時に流れるナレーションと相まって、子どもよりも祖父母が熱心に見たという証言が多い。
のカラー再放送では、映像ソフト化以前にもかかわらず「色が明るすぎる」と苦情があり、局側が翌週から便器船の青色を1段階落とした。またには深夜帯で再放送され、当時の若年層の間でカルト的人気を呼んだ。
関連商品[編集]
作品本編に関するもの[編集]
・8ミリ縮刷版 ・紙製ミラクル壺 ・衛生手ぬぐい「きれいな心」 ・復刻版ロビーカード全12種
とくに紙製ミラクル壺は、劇場売店で1万2,000個が配布されたのち、実際に蚊取り線香入れとして転用され、地方の商店で思わぬ二次流通が起きた。
派生作品[編集]
・『ミラクルジーザスウンコマン対赤い便所怪人』(1951年) ・『ウンコマンと泡の海賊団』(1954年) ・舞台版『清潔よ、永遠に』 ・絵本『三郎くんの朝の三分間』
派生作品のうち舞台版は、便器船を回転舞台で再現しようとして事故寸前になったため、以後は上演回数が年間2回に制限された。
脚注[編集]
1. ^ 1949年当時の配給台帳によるとされるが、原本は現存しない。 2. ^ 早乙女恒一の発言録『東洋動画雑記』第3巻第2号, pp. 41-44. 3. ^ 北沢真理『衛生と童話の交差点』新潮社, 1961年, pp. 88-91. 4. ^ 作画枚数の内訳は後年の復元資料に基づくとされる。 5. ^ 便器監修の存在は複数の関係者証言が一致する。 6. ^ 視聴率14.8%は関東地区の速報値である。 7. ^ 石鹸販売量の増加との相関は、の内部報告書にのみ見られる。 8. ^ 『映画春秋』1949年12月号, pp. 12-15. 9. ^ 日本児童映画協会『年報1949』, pp. 203-206. 10. ^ 海外公開題は配給用チラシにのみ確認される。
参考文献[編集]
・早乙女 恒一『東洋動画雑記』東洋綜合動画研究所, 1952年. ・三谷 きぬ江『泡立つ脚本術』新光出版社, 1954年. ・北沢 真理『衛生と童話の交差点』新潮社, 1961年. ・丹羽 仁『映画音楽と子どもの正義』音画書房, 1968年. ・Tanaka, H. "Postwar Hygienic Animation in Japan" Journal of East Asian Screen Studies, Vol. 7, No. 2, 1974, pp. 115-139. ・Morrison, Edith A. "Soap, Saints, and Street Films" The Tokyo Review of Cinema, Vol. 12, No. 4, 1981, pp. 44-63. ・『戦後児童映画の周辺』映画文化研究会, 1979年. ・黒岩 重蔵『製作委員会以前』大都映出版部, 1965年. ・Saito, Kenji "Miracle Toilet Heroes and the Civic Imagination" Nippon Visual Quarterly, Vol. 3, No. 1, 1990, pp. 9-28. ・『日本アニメーション前史資料集』東洋資料社, 2004年.
関連項目[編集]
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外部リンク[編集]
・東洋動画アーカイブ ・昭和児童映画研究室 ・ミラクルジーザスウンコマン復元委員会 ・全国泡立ち資料館デジタル展示 ・映画年鑑オンライン特別室
脚注
- ^ 早乙女 恒一『東洋動画雑記』東洋綜合動画研究所, 1952年.
- ^ 三谷 きぬ江『泡立つ脚本術』新光出版社, 1954年.
- ^ 北沢 真理『衛生と童話の交差点』新潮社, 1961年.
- ^ 丹羽 仁『映画音楽と子どもの正義』音画書房, 1968年.
- ^ Tanaka, H. "Postwar Hygienic Animation in Japan" Journal of East Asian Screen Studies, Vol. 7, No. 2, 1974, pp. 115-139.
- ^ Morrison, Edith A. "Soap, Saints, and Street Films" The Tokyo Review of Cinema, Vol. 12, No. 4, 1981, pp. 44-63.
- ^ 『戦後児童映画の周辺』映画文化研究会, 1979年.
- ^ 黒岩 重蔵『製作委員会以前』大都映出版部, 1965年.
- ^ Saito, Kenji "Miracle Toilet Heroes and the Civic Imagination" Nippon Visual Quarterly, Vol. 3, No. 1, 1990, pp. 9-28.
- ^ 『日本アニメーション前史資料集』東洋資料社, 2004年.
外部リンク
- 東洋動画アーカイブ
- 昭和児童映画研究室
- ミラクルジーザスウンコマン復元委員会
- 全国泡立ち資料館デジタル展示
- 映画年鑑オンライン特別室