メメター主義
| 提唱者 | エリアス・メメルフェルト |
|---|---|
| 成立時期 | 1908年頃 |
| 発祥地 | オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン |
| 主な論者 | クララ・ツァイトリンガー、渡辺精一郎、H. R. Thornton |
| 代表的著作 | 『反復測定の倫理』(1909年) |
| 対立概念 | 即時直観主義 |
メメター主義(めめたーしゅぎ、英: Memeterism)とは、の反復との優位を説く思想的立場である[1]。個人の経験は、語り直されるたびに精度を増すのではなく、むしろ社会的に「測られた回数」によって現実性を獲得するとされる[2]。
概要[編集]
メメター主義は、からにかけての私設読書会を中心に形成されたとされる思想であり、反復された表象のみが社会的実在性を持つとするのが特徴である。支持者は、事物そのものよりも、それが何回「言い直されたか」「計測されたか」「記録簿に転記されたか」を重視した。
この立場によれば、真理は一度の直観では到達できず、・・の三者によって漸進的に成立する。のちに、、さらにはにも波及し、家庭内の会話まで「再現可能性」の基準で評価されるようになったとされる。
語源[編集]
「メメター」という語は、の meter(測る者)と、会合の場で使われた俗語の mema(記憶の反復)を合成したものと説明されることが多い。ただし、初期文献では memeter が「測り直す者」「測定をやり直す者」を意味するとして記されており、語源については研究者の間で一致をみていない。
一部の言語学者は、語の成立にはの配布した帳票に印字された誤植が関与したと主張している。すなわち、当初は「me-meter」と二語で表記されていたものが、の改訂版で連結され、そこから思想名として独立したという説である。なお、この誤植説はとされることがある。
歴史的背景[編集]
メメター主義の成立には、末期の行政改革が大きく影響したとされる。とりわけでは、戸籍、配給、学齢、住宅面積がそれぞれ別の部署で計測され、同一人物が四通りの「存在」として扱われることが珍しくなかった。この状況に対し、初期メメター主義者は「人間は一度では定義できない」と考えた。
また、周辺で開かれた夜会では、数学者、詩人、測量技師が混在し、からにかけて「反復可能な印象」をめぐる討論が続いたと伝えられる。参加者はしばしばの揮発時間やの折り目数を例に挙げ、現実の確かさは頻度ではなく累積誤差で決まると論じた。
この思想は、第一次世界大戦後のの高まりの中で再評価され、には一部の行政学院で「反復記録学」の補助理論として採用されたとされる。
主要な思想家[編集]
エリアス・メメルフェルト[編集]
エリアス・メメルフェルト(Elias Memmelfeld, - )は、メメター主義の提唱者とされるの文筆家である。彼はの聴講生であったが、正規の学位は取得していないとされる。
メメルフェルトは『反復測定の倫理』において、感覚は一回性ゆえに信用できず、第三者による再測定を通じてのみ公共性を獲得すると主張した。彼は特にの運賃箱との貸出票を「近代における真理の最小単位」と呼んだと伝えられる。
クララ・ツァイトリンガー[編集]
クララ・ツァイトリンガー(Clara Zeitlinger, - )は、メメター主義を批判的に継承したである。彼女はで活動し、主観の連続性よりも、記録の不一致が社会を更新すると論じた。
ツァイトリンガーは、メメター主義がしばしば官僚制を礼賛する方向に傾くことを批判しつつも、「測定されない苦痛は、政治的に存在しないのと同じである」と述べたとされる。この発言は後にの周辺で頻繁に引用された。
渡辺精一郎[編集]
渡辺精一郎(わたなべ せいいちろう, - )は、期にメメター主義を日本へ紹介した研究者である。彼はの図書館で西欧思想を渉猟し、に『反復と計量の倫理』という邦語論文を発表した。
渡辺によれば、日本のやはすでにメメター主義的実践を含んでおり、輸入思想ではなく「潜在的に内在していた制度哲学」であると主張した。のちにこの解釈は学会で賛否を呼んだが、彼の講義は満席が続いたという。
基本的教説[編集]
メメター主義の中心命題は、第一に、対象の本質は単独観察では把握できず、同一条件下での反復観察によってのみ輪郭を持つというものである。第二に、記憶は保存ではなく再計量の装置であり、思い出すたびに誤差が修正されるのではなく、むしろ制度的に整理されるとされる。
第三に、共同体は合意よりも測定手順の共有によって成立する。メメター主義者はこの点で、や、のような形式を高く評価した。また、感情についても「強さ」ではなく「再現率」で扱うべきだと主張し、恋愛感情の継続期間を単位で記録する実践が一部のサークルで流行した。
さらに、同思想には「二重目の真実(double-second truth)」と呼ばれる独特の教説がある。これは、最初の理解は常に暫定的であり、二度目に観察したときにのみ倫理的判断が可能になるというもので、初見の印象に基づく決断を危険視した。
批判と反論[編集]
批判者は、メメター主義があまりに反復と計測を重視するため、経験の飛躍や創造性を抑圧すると指摘した。の批評家レオン・ドルミエは、同思想を「人間を帳簿の行に縮減する寒い道徳」と呼んだとされる。
また、の側からは、記憶の再構成を社会制度に還元しすぎているとの反論があった。とりわけの実験報告では、同一被験者でも再測定のたびに回答が変化することが示され、メメター主義の厳密性はかえって揺らいだとされる。ただし支持者は、こうした揺らぎこそが「生きた測定」の証拠であると再反論した。
さらに、官庁の側からは、全てを再測定可能にすると文書量が爆発的に増えるという実務上の反対があった。のでは、ある担当官が「メメター主義は理念としては美しいが、倉庫が先に死ぬ」と述べたと記録されている。
他の学問への影響[編集]
においては、メメター主義は反復読解法の理論的基礎とみなされた。学習内容を三回ではなく五回、七回、十一回と不等間隔で確認する手法が提案され、の実験校では一時的に成績が向上したとされる。
では、家族や職場を「測定の共同体」とみなす分析が広がり、会議の長さより議事録の長さが重要であるという発想が生まれた。なお、では壁厚よりも「何度触れられたか」が空間の価値を決めるという極端な応用例があり、これが後のに影響を与えた。
また、とでは、誤差を消すのではなく誤差を記録する姿勢が高く評価された。メメター主義はこの点で、単なる哲学にとどまらず、の事務文化を再編した「沈黙の行政思想」として語られることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Elias Memmelfeld『Über die Ethik der Wiederholung』K. und K. Hofverlag, 1909.
- ^ Clara Zeitlinger, "The Publicity of Miscounted Experience," Journal of Continental Speculation, Vol. 4, No. 2, 1931, pp. 118-147.
- ^ 渡辺精一郎『反復と計量の倫理』岩波書店, 1924.
- ^ Otto H. Berger, "Memeter and the Bureaucratic Soul," Archiv für Kulturphilosophie, Vol. 12, No. 1, 1928, pp. 9-36.
- ^ Margaret A. Thornton, The Measure of Recall in Urban Ethics, Cambridge University Press, 1949.
- ^ レオン・ドルミエ『帳簿の行としての人間』パリ社会思想社, 1936.
- ^ Friedrich Lenz, "Double-Second Truth and Its Administrative Uses," Wiener Jahrbuch für Denkformen, Vol. 7, No. 3, 1940, pp. 201-229.
- ^ 佐伯房吉『記録される感情の社会学』中央公論新社, 1958.
- ^ H. R. Thornton, "A Note on Re-Measuring Belief," Transactions of the Society for Comparative Thought, Vol. 18, No. 4, 1962, pp. 401-418.
- ^ アーデルハイト・クレーマー『メメター主義概説 ――再測定の倫理とその倉庫問題』ミネルヴァ書房, 1976.
外部リンク
- ウィーン思想史アーカイブ
- 反復測定研究センター
- 比較哲学デジタル年鑑
- メメター主義資料室
- 近代官僚制と思想の会