モヘン・シャロイル
| 名称 | モヘン・シャロイル |
|---|---|
| 読み | もへんしゃろいる |
| 分類 | 封印素材・儀礼用樹脂・交易規格 |
| 起源 | 紀元前18世紀頃とされる |
| 主産地 | シンド地方、グジャラート沿岸、日本の輸入再加工地 |
| 用途 | 文書封緘、香袋、護符、湿度封止 |
| 色調 | 暗褐色から緑褐色 |
| 標準粒径 | 0.8〜2.4ミリメートル |
| 現代の別名 | モハン封蝋、シャロイル樹脂 |
モヘン・シャロイルは、インダス文明期の香料交易と災害記録の実務から派生したとされる、半儀礼的な封印素材である。ラホールの古文書研究で注目され、のちに日本でも骨董工芸の一種として再解釈された[1]。
概要[編集]
モヘン・シャロイルは、古代インダス文明圏で用いられたとされる、乾燥樹脂・鉱物粉・魚骨灰を混合して作る封印材である。現存資料では、主として壺口の封鎖や交易袋の再封印に使われた痕跡が見つかっており、特にモヘンジョダロ周辺で採取された印章とセットで語られることが多い[2]。
名称は、20世紀初頭にイギリス領インド帝国の測量官だったエドワード・L・シャーウッドが、現地商人の発音した「モヘン・シャル」を誤記したことに由来するとされる。ただし、後年のカルカッタ大学資料では、もともと交易路ごとに配合が異なる「Mohen allotment oil」の訛りであるという説も示されている[3]。
起源[編集]
交易路における誕生[編集]
最古層の用途は、紀元前1800年頃の港湾倉庫における湿気対策であると考えられている。高温多湿の季節に麦芽袋が膨張してしまうため、港の管理人たちはサルコフと呼ばれる松脂に、塩化海泥と粉砕貝殻を混ぜて代用材を作ったという。これがのちにモヘン・シャロイルの原型になったとする説が有力である[4]。
興味深いのは、初期の配合が地区によって大きく異なっていたことである。ラヴィ川流域では甘い樹液を多く含み、アラビア海沿岸では魚骨灰が増える傾向があった。ある帳簿には「冬場は硬化が遅いので、商人は封印を一晩抱いて寝るべし」と記されており、現代の保存学者からは半ば迷信、半ば実務であると評価されている。
モヘンジョダロ標準化会議[編集]
1927年、発掘隊の倉庫整理中に、複数の壺の口に同系統の樹脂片が残っていることが判明した。これを受けて、当時の現場責任者ラヴィンドラ・ナート・バネルジーは、便宜上これらを同一素材とみなし、のちに「モヘンジョダロ標準化会議」と呼ばれる非公式協議を開催したとされる[5]。
会議では、封印材の粒径を1.6ミリメートル、硬化時間を23分、再融点を67度とする暫定規格が提案された。なお、この数値は現場のサンプルがたまたま同じ発掘箱に入っていたことから導かれたもので、統計的にはかなり危うかったと指摘されている。
構成と製法[編集]
モヘン・シャロイルの標準配合は、樹脂層45%、細砂22%、魚骨灰18%、植物油9%、香料5%、秘密成分1%とされる。秘密成分は地方ごとに異なり、カラチ系では胡椒、アフガニスタン系では乾燥ミント、名古屋の戦後再現版では味噌を乾燥させた粉末が使われたという[7]。
製法は単純に見えるが、実際には気温と湿度に強く左右される。職人は午前4時から7時の間に攪拌を終え、直後にラクダ毛の刷毛で表面をならすのが作法であるとされた。また、品質の良し悪しは匂いで判定され、上等品は「雨上がりの図書館と乾いた胡桃を混ぜたような香り」と形容された。
ただし、1950年代の再現実験では、同じ配合でも硬度が毎回ばらつき、ある研究室では12回中3回しか規格値に達しなかった。原因は不明であったが、助手が昼休みに全量を同じ木べらで混ぜていなかったことが後に判明し、研究報告はやや気まずい結論で締めくくられている。
社会的影響[編集]
モヘン・シャロイルは、交易封印材としてだけでなく、信用の可視化装置としても機能した。封印が割れていないことがそのまま「改ざんされていない」証拠となるため、商人たちはこれを用いてムンバイからバスラまでの長距離取引を安心して行ったとされる[8]。
また、第二次世界大戦後には、乾燥と再封印の容易さが注目され、避難用文書筒の密閉材として一部の自治体に採用されたという記録がある。これにより、戦後の紙不足期に「紙より先に封の技術が進化した」とする、かなり勇ましい評価が一部の工芸史家から与えられた。
一方で、1960年代には子どもの誤飲事故が3件報告され、厚生省が注意喚起を出した。もっとも、注意文の末尾に「食用ではないが、甘い香りのため誤認されやすい」と書かれていたことが広く茶飲み話になり、結果として市場での知名度がむしろ上がったともいわれる。
批判と論争[編集]
モヘン・シャロイル研究は、素材そのものよりも命名の由来をめぐって長く対立してきた。オックスフォード大学のレナード・P・ホイットモアは、名称は近代の輸出ラベルにすぎず古代性は薄いと主張したが、デリー国立博物館の保存科学班は、封印片から微量の塩化マグネシウムが見つかったとして反論した[9]。
さらに論争的なのは、1978年に公開された『モヘン・シャロイルと失われた倉庫』である。同作では、古代の管理官が封印材の余りで楽器を作ったと描かれ、これが一部の視聴者に「素材に音楽性がある」という誤解を生んだ。以後、製品見本を叩いて音程を確かめる職人が現れたが、業界団体はこれを「芸術的だが非効率」として半ば黙認した。
なお、2011年に東京で行われた再現展示では、来場者の4割が「モヘン・シャロイルは実は食品である」と回答した。展示キャプションが「保存にも香りにも使える」としか書いていなかったためであり、学芸員は以後、説明文の句読点まで厳密に校正するようになったという。
現代の再評価[編集]
21世紀に入ると、モヘン・シャロイルは工芸史だけでなく、サステナブル素材の文脈でも再注目された。合成樹脂の代替としては脆弱であるが、廃棄後に土中で分解しやすい点が評価され、神奈川県の一部アトリエでは名刺ケースや香立ての限定生産に使われている[10]。
また、大阪の民俗学研究会は、封印材の使用痕が「共同体の信頼が視覚化された痕跡」であるとして、2022年に小特集を組んだ。もっとも、特集号の表紙にはモヘン・シャロイルの写真が載るはずだったが、印刷所の手違いで似た色味のウコン染め布が使われ、研究会には「むしろ分かりやすい」との感想が寄せられた。
現在では、実用品としてよりも、古代交易のロマンを象徴する半伝説的素材として扱われることが多い。ただし、ラホール旧市街の一角では今も小規模な再現工房が残っており、毎年10月の湿季入りに合わせて手練りの試作が行われている。
脚注[編集]
脚注
- ^ R. K. Deshmukh『The Sharoil Seals of the Lower Indus』Journal of South Asian Antiquities, Vol. 18, No. 3, 1974, pp. 211-239.
- ^ 南部敬三郎『舶来香材考』神戸工芸出版, 1934.
- ^ M. A. Thornton『Sealants and Civility in Bronze Age Riverine Trade』Cambridge Archaeological Review, Vol. 9, No. 2, 1988, pp. 77-104.
- ^ ラヴィンドラ・ナート・バネルジー『モヘンジョダロ発掘日誌抄』カルカッタ大学出版局, 1929.
- ^ Harold J. Pembroke『The Mysterious Mohen Alloytment Oils』Proceedings of the Royal Asiatic Society, Vol. 44, 1951, pp. 15-36.
- ^ 『古代素材と暮らし』第12巻第7号、特集「封じる技術の民俗学」, 1937, pp. 4-19.
- ^ K. S. Venkataraman『Fish Bone Ash in Ancient Packaging』Indian Journal of Material Folklore, Vol. 6, No. 1, 1962, pp. 101-118.
- ^ 藤井道彦『封印と信用の社会史』東京保存科学会誌, 第21巻第4号, 2005, pp. 55-83.
- ^ Leonard P. Whitmore『On the Etymology of Mohen Sharoil』Oxford Papers in Proto-Trade Studies, Vol. 3, No. 1, 1991, pp. 9-28.
- ^ 小栗晴彦『モヘン・シャロイル再現実験報告』日本工芸材料学会誌, 第14巻第2号, 2012, pp. 141-159.
外部リンク
- インダス交易資料アーカイブ
- モヘンジョダロ保存科学研究会
- 日本再現工芸連盟
- ラホール旧市街素材博物館
- 古代封印材データベース