ラーメン管理委員
| 名称 | ラーメン管理委員 |
|---|---|
| 英名 | Ramen Control Committee |
| 設立 | 1978年(昭和53年) |
| 設立地 | 東京都台東区・上野公園周辺 |
| 目的 | ラーメンの品質標準化、衛生監督、麺線保全 |
| 管轄 | 加盟店約4,600軒(1992年時点) |
| 前身 | 東京麺質協議会 |
| 廃止 | 1999年(平成11年)に実質解体 |
ラーメン管理委員(らーめんかんりいいん、英: Ramen Control Committee)は、後期にで制度化された、の品質・湯温・麺線規格を統括する民間準行政組織である。店主と行政、さらに麺業者の利害調整を目的として発足したとされる[1]。
概要[編集]
ラーメン管理委員は、店における湯切り、スープ濃度、麺の太さを半官半民で調整するために設けられた機関である。発足当初はの通達を模した独自文書を用いていたが、法的拘束力は曖昧であり、実態としては「味の標準委員会」に近かったとされる[1]。
その起源は、の東京で急増した個人店の味のばらつきにあるとされる。特にの三地区では、同じ“醤油ラーメン”を名乗りながら塩分濃度が1.8%から3.4%まで揺れたため、常連客の苦情がへ殺到したという[2]。この混乱に対処するため、麺業者、製麺機メーカー、保健所経験者が集まり、委員制による統制が始まったのである。
成立の経緯[編集]
東京麺質協議会からの移行[編集]
前身とされるは、にの貸会議室で非公式に発足した。最初の議題は「麺は箸で持ち上げたときに何秒で垂れるべきか」であり、議事録には『理想値 2.7秒』と手書きで残されているという[3]。なお、この数値は後に“麺線基準 27条”として半ば神格化された。
、会議体はより強い権威を求めて「委員会」を名乗るようになった。設立総会はの中華料理店「萬華楼」二階で行われ、出席者17名のうち8名が白衣、4名が割烹着、残り5名がスーツ姿だったと記録されている。この奇妙な混成は、後年の委員会文化を象徴するものとしてしばしば引用される[4]。
初期の規格化運動[編集]
委員会が最初に定めたのは、丼の直径ではなく「湯面の揺らぎ幅」であった。これは、麺を投入した直後に表面がどの程度波打つかで店の技量を測るという、極めて日本的な発想によるものである。標準揺らぎは12mmとされたが、実際には店ごとの差が大きく、1981年の調査では適合率は42.6%にとどまった[5]。
また、委員会はスープの色を「琥珀」「土色」「夜明け前」の3区分に整理し、各区分に応じた椀の深さを指定した。これにより、ラーメンが“視覚で認証される料理”として扱われるようになったとされる。一方で、色区分の判定には目視のみが用いられ、委員のひとりが『夕方になると全てが濃口に見える』と述べたことが、後の照明基準改定の契機になった[要出典]。
組織[編集]
委員の構成[編集]
委員は常任7名、特別監察3名、名誉麺線顧問2名で構成された。常任委員には製麺機メーカー出身者、保健所OB、屋台上がりの店主、さらに味覚研究を名乗る大学助手が含まれていた。なかでも初代議長のは、の給食衛生監査で鍛えた書類作成能力を買われ、就任したとされる。
特別監察は、営業時間外に店の寸胴へ手を入れて温度を測る役目を担った。測定器は“木製温度棒”と呼ばれ、先端に赤鉛筆の芯を埋め込んだだけの簡素なものであったが、これで「82度から84度が望ましい」と判定したというから、現在の計測学から見ればかなり大胆である。なお、委員の交代は多くが健康上の理由ではなく、「食べすぎによる味覚疲労」を理由としていた。
委員会の儀礼[編集]
毎月最終火曜に行われた定例会では、冒頭に三回の丼打ち鳴らしが行われた。これは会議開始の合図であると同時に、麺の“落ち着き”を確認するための音響検査でもあった。議事録には『第一打、やや軽し』『第二打、餃子と紛れる』『第三打、合格』といった記述が見られる[6]。
また、重大な規格改定の際には「湯返し式承認」と呼ばれる儀礼が実施された。白湯を小椀に三度移し替え、最後の一滴が最も熱かった者を議長に据えるという方式で、合理性は不明であるが、委員会内部では権威の源泉として重視された。
主な施策[編集]
委員会の施策は、実務的である一方で妙に細かかった。たとえばには「麺線細則第4号」が公布され、縮れ麺の“波数”を1センチあたり2.3〜3.1回に抑えるよう勧告された。これは製麺所12社の協力で試験され、うち3社は「機械が泣く」として撤退したとされる。
さらにには、丼の縁から5ミリ以内に油膜が現れた場合は“上澄み注意”として黄色札を貼る制度が導入された。この黄色札は繁華街で妙に人気を集め、貼られると逆に行列が伸びる店もあった。委員会は対策として札の色を薄茶に改めたが、今度は「地味すぎる」と批判され、結局2年で廃止された。
の「深夜営業特例」では、午前1時以降に提供されるラーメンは“二杯目の人生”として別枠にされ、スープ温度よりも会話量が重視された。これは終電客の満足度を上げた一方、統計上の完食率を著しくゆがめたと指摘されている。
社会的影響[編集]
ラーメン管理委員の活動は、都内の飲食文化に独特の均質化をもたらした。とりわけでは、メニュー名は同じでも盛り付け角度と海苔の傾きが揃い始め、旅行者からは「東京のラーメンは安心して怒れる」と評されたという[7]。
一方で、過剰な標準化に反発する動きも生まれた。やでは“無委員ラーメン”を掲げる店が現れ、麺の長さを日替わりにするなどの抵抗を行った。委員会は当初これを異端視したが、1990年代には逆に「文化的多様性の保存区域」として一部容認している。なお、この転換の背景には、若年層の間で“規格外の太麺”が流行したことが大きいとされる。
また、委員会は学校給食にも影響を与え、内の一部小学校で「月曜は中華そば、木曜は味噌、金曜は試験的塩」といった献立運用が試みられた。これは栄養教育よりも“湯気の立ち方”を重視したとして物議を醸した。
批判と論争[編集]
批判の中心は、委員会が民間団体でありながら公的機関を模した運用を行っていた点にある。特に、加盟店の認証基準をめぐって「委員の好みが実質的な法となっている」とが報じたことで、透明性が問題化した[8]。
また、特定の製麺会社と委員の親族関係が指摘された事件は、後に「麺政スキャンダル」と呼ばれることになる。これにより、委員長のは「手延べの延長線上に利害があるだけだ」と釈明したが、説明としてはやや不明瞭であった。加えて、会議で出される試食がすべて3回ずつおかわりされるため、委員の味覚が会議後半に飽和していたとの批判も根強い。
もっとも、関係者の多くは「当時はそれしか方法がなかった」と回想している。ラーメンを文化財のように扱い始めた最初期の試みであったことは確かであり、その意味で委員会は制度疲労と創意工夫の両方を象徴する存在であった。
終焉と遺産[編集]
解体[編集]
委員会は、バブル後の飲食業再編とともに実質解体した。直接の契機は、規格改定会議が3日連続で行われた末、議長席の後ろに積まれていた丼が崩落し、会場の床に「味の優先順位」が散乱したことであると伝えられる。これが象徴的事件として報じられ、以後は加盟店ごとの自主基準へ移行した[9]。
ただし、解体後も“元委員”たちは年1回の非公開試食会を続けており、そこでの評価表が今でも一部製麺所に影響を与えているという。なお、試食会はの古い倉庫で行われ、入口に「関係者以外麺立入禁止」と書かれていたとされる。
後世への影響[編集]
今日のラーメン業界においても、「委員会基準」という言葉は、実際の法令ではなく暗黙の業界慣行を指す比喩として用いられることがある。また、麺の太さやスープ温度を“数値で語る”文化は、この委員会が広めたものとされる。
一方で、委員会が残した最大の遺産は、ラーメンを単なる速食ではなく、会議と文書と儀礼によって支えられる高度な社会現象として扱った点にある。現在でも一部の老舗では、初回注文時に「本日、委員会基準に準拠しております」と告げる店があり、客は半ば安心し、半ば疑いながら丼を受け取るのである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯義一『麺線規格と都市味覚の変遷』東京麺食出版, 1984.
- ^ 井上和彦「昭和末期における半官半民型飲食統制の研究」『食文化史研究』Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1991.
- ^ Margaret L. Thornton, Ramen Governance in Postwar Tokyo, East Asia Culinary Press, 2003.
- ^ 中村栄子『丼の縁から見る都市秩序』新潮社, 1997.
- ^ Hiroshi Kanda, “Temperature Standards in Japanese Noodle Shops,” Journal of Applied Gastronomy, Vol. 8, No. 2, pp. 119-140, 1989.
- ^ 山岸修『湯気の行政学』講談社, 1990.
- ^ 読売麺食研究会編『麺政スキャンダル報告書』読売麺食研究会, 1987.
- ^ 田所みどり「無委員ラーメン運動の文化地理学」『都市食研究』第4巻第1号, pp. 5-29, 2001.
- ^ Kenji Sato, “A Study on Bowl Resonance and Committee Authority,” Nippon Journal of Food Rituals, Vol. 5, No. 1, pp. 1-18, 1994.
- ^ 小林善彦『関係者以外麺立入禁止』中央麺書房, 1999.
外部リンク
- 東京麺質アーカイブ
- 昭和ラーメン制度史研究会
- 麺線基準データベース
- 旧ラーメン管理委員会資料室
- 上野食文化保存ネット