リー即ドラドラ
| 別名 | 即ドラ、リー即式 |
|---|---|
| 発祥とされる地域 | 札幌近郊の番組 |
| 主な舞台 | 商店街・学校体育館・深夜ラジオ |
| 参加形式 | 観客の合図で演目を即時に更新 |
| 成立時期(推定) | 50年代初頭 |
| 中心となったメディア | AMラジオ(地域局) |
| 語の由来(諸説) | 語呂合わせ型・手順略称型 |
(りーそくどらどら)は、の一部で流行した「合図→即興演目→反応」を連続させる即興芸能の通称である。1970年代の地方ラジオ番組と商店街の寄席が結びついて成立したとされる[1]。
概要[編集]
は、始まりの合図(「リー」)が出されると、演者が即興で短い“ドラ”すなわち筋立てを組み、観客の反応で即座に“ドラ”を更新し続ける進行様式であると説明される。台本がある場合でも、初手の数秒だけは意図的に空白にしておく点が特徴とされる。
この流儀は、形式だけを真似た模倣が広がる一方で、地域局の枠をまたぐと別物として定着した例も多い。そのため、Wikipediaに相当する編集履歴では「同名異種」として整理されがちである[1]。
語源と用語[編集]
「リー」とは何か[編集]
「リー」は、英語の“Let’s”に由来するとの説が最初に広まった。ただし実際には、八戸市の小劇団が舞台上で使っていた合図であるとされ、「鈴(りん)→立て(たて)→即(そく)」を早口で繋いだ手順略称だとする報告もある。さらに、でも放送事故の回避として一度だけ導入された“練習合図”だったという記録が見つかったとも言われるが、出典は未確定とされる[2]。
一方で、地域ラジオのパーソナリティが「リー=了解、即ドラ=その場で筋を出す、ドラドラ=二重に言い切る」だと説明した音声が残っているとされる。編集者の推測によれば、これが観客にとっての分かりやすい口上として機能し、結果として流行語化したとされる[3]。
「即ドラドラ」の意味合い[編集]
「即ドラドラ」は「即興ドラマ」を早口にした言い換えとして語られることが多い。ただし芸能史側の整理では、ドラドラは“ドラマ”というより“ドラム”の比喩だとされる。すなわち、手拍子のテンポが合図として一定値(後述)を超えると、演者が筋立てを次の段階へ移す仕組みだった、という解釈である。
なお、ある研究会の議事録では、ドラドラ進行の判定基準が「拍の平均間隔 413.5 ミリ秒を上回ると更新」と記されていた。実際に計測したのが誰かは不明とされるが、数字の具体性が当時の観客の記憶に残り、語の説得力を補強したとされる[4]。
成立と普及[編集]
地方ラジオと商店街の交点[編集]
リー即ドラドラが成立したとされる背景には、札幌近郊のAMラジオ局で行われた「深夜・公開台本バラし」があるとされる。番組担当の(当時32歳、台本係と称される)が、スポンサーである菓子店「舟見堂」から提供された“破っても怒られない紙”を使い、リスナーの投書を次回放送の冒頭に採用する実験を行った[5]。
この企画は、商店街の寄席と相互送客する形で拡大した。たとえばではないが、長岡市の「川岸劇場」でも似た形の公開即興が持ち込まれ、観客が帰り際に「次は“ドラドラ”だよ」と合図し合うようになったという[6]。その結果、「合図が出るまで台詞を言わない演者」が“通”として見られるようになったとされる。
手順化:ドラ更新のルール[編集]
普及期には、即興を“遊び”ではなく“技法”として整える流れが生まれた。技法書のように扱われた資料では、リー即ドラドラの進行を「(1)リー=合図、(2)0〜7秒で導入、(3)8〜19秒で対立、(4)20〜33秒で解決、(5)34秒以降は観客反応を反映」と段階化している。
この段階化により、技量が比較されるようになった。たとえば北九州市の“即興監査”では、演者ごとに「平均導入時間 5.6秒」「対立の言い換え回数 3.2回」「解決の型 2種類」などが集計され、優勝者にはラジオ局の名入り時計が贈られたとされる。ただし、これらの集計が正式に残っているかは、当時の記録保全体制が脆弱だったため、確証が弱い[7]。
社会的影響[編集]
リー即ドラドラは、単なる娯楽としてだけでなく、「発言のタイミング」や「反応の共有」に関する規範をゆるやかに変えたとされる。とくに学校行事では、従来の“手を挙げる”文化を、合図カード(駅の時刻表風の紙)へ置き換える試みが行われた。ある教育委員会の報告では、合図カード導入後に「沈黙時間が平均 14% 減少した」とされる[8]。
また、職場の研修にも波及したとの主張がある。企業研修会社「スキル設計研究所」(実在のように記載されるが、出典が錯綜している)では、会議の冒頭に“リー”を入れることで、議題導入が脱線しにくくなると説明したとされる[9]。さらに、深夜枠のラジオでは、リスナー参加が増え、投書が“即興の素材”として扱われることで、文章が短くなる傾向が生まれたと報告されている。
一方で、反応が遅い人が“ドラ更新の妨げ”とみなされる空気が生じたため、参加者の心理的負担にも注目が集まった。これについては「娯楽の論理が生活へ侵入した」という批判が後年に現れている[10]。
具体的エピソード[編集]
リー即ドラドラの“伝説”として語られる出来事は複数ある。代表例として、札幌近郊の放送局で行われた「13分だけ台本ゼロの夜」が挙げられる。番組冒頭、パーソナリティが“リー”を発した直後に送られてきた最初の投書が、なぜか「洗濯ばさみが喋った」という内容だった。そのため演者は、筋立てを “洗濯ばさみ裁判” に切り替え、解決までに33秒ちょうどを要したと記録される[11]。
別の逸話として、吹田市の商店街「千里みのり通り」では、雨天時に“ドラドラの音”を出すため、傘の骨を軽く鳴らすルールが導入された。観客の間でその音が「ドゥルドゥル」と聞こえることから、演者が“ドラ更新の合図”として即座に口調を変えたという[12]。このときの口調変化は、動画が残っていないにもかかわらず、音声だけから文字起こしされたとされ、文字起こし手法が逆に話題になったとされる。
さらに、数値がやけに細かい例として、松本市の体育館での地区大会では、観客が出した合図が「合計 96回」「不正解カウント 7」「“ドラ”を二重に言い切る失敗 2回」だったと語られている。大会記録は“模造紙に手書き”だったため、のちに検証不能とされたが、その曖昧さが逆に民間伝承として広がったと考えられている[13]。
批判と論争[編集]
批判としてまず挙げられるのは、リー即ドラドラが“即応力”を過度に美化した点である。「反応する側」と「待つ側」が固定され、待つ側が疲弊するという指摘がなされた。とくに学校現場では、参加が苦手な生徒に対し“合図役”を割り当てないよう求める声が出たとされる[14]。
また、創作の過程が“計測される”ことで、自由度が落ちるという議論もあった。段階化ルール(導入0〜7秒など)を厳密に守ろうとするほど、即興が型にはまっていくという見方である。ある演技指導者は「平均導入時間が 5.6秒に収束した時点で、それはもはや即興ではない」と語ったとされるが、発言の媒体が不明であり、出典に揺れがある[15]。
さらに、語源の由来をめぐっても論争が起こった。英語由来説が広まったことで、実際の手順略称との整合性が取れず、百科事典的な整理では“初出の揺れ”として扱われた。このため、編集者によっては「リー即ドラドラの定義は放送当時の口上に強く依存する」として、固定的な定義を避ける方針が取られたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 村井ユキヲ『夜の即興史:リー即ドラドラの周縁』北海文化出版, 1982.
- ^ 田島ミツオ『合図で始まる脚本:公開台本バラしの記録』舟見堂印刷, 1979.
- ^ 佐久間カズオ「商店街における即興の規範化」『民間芸能研究』第14巻第2号, pp.21-38, 1985.
- ^ Margaret A. Thornton「Audience Cueing and Tempo-Driven Improvisation」『Journal of Performance Mechanics』Vol.7 No.3, pp.101-129, 1991.
- ^ 山岸礼子『深夜ラジオと短文文化の変容』東都社会科学叢書, 1994.
- ^ 【東都】スキル設計研究所『会議を“リー”で整える:即応型研修プロトコル』東都研修資料, 2001.
- ^ 伊藤ハル『拍の計測と笑いの一致率』信州体育館史料室, 1998.
- ^ 小野寺ナオ『即興が型になる瞬間:ドラ更新ルールの功罪』文芸学会叢書, 第3巻第1号, pp.55-72, 2003.
- ^ Klaus R. Weber「Tempo Thresholds in Improvised Narratives」『International Review of Improvisation Studies』Vol.12, pp.200-221, 2007.
- ^ 坂井真琴「“リー”の由来をめぐる編集史:出典の揺れ」『百科事典編集論』第9巻第4号, pp.300-312, 2016.
外部リンク
- リー即ドラドラ資料室
- 即ドラ研究ノート
- 札幌深夜台本アーカイブ
- 商店街合図言語図鑑
- ドラ更新ルール検証サイト