レモンピープル
| 分類 | 果物専門雑誌 |
|---|---|
| 創刊 | 1982年1月 |
| 終刊 | 1998年9月 |
| 編集拠点 | 東京都千代田区(当時) |
| 想定読者 | 栽培者・流通担当・嗜好品研究者 |
| 誌名の由来 | レモンピールに由来する説 |
| 発行頻度 | 月刊(時期により隔月号あり) |
| 特徴 | 匂いの数値化企画と産地訪問記事 |
レモンピープルは、からまで刊行された、果物専門の雑誌である。誌面の編集方針は一貫して「香りの記録」を掲げ、雑誌名の由来はレモンピール(レモンの皮)に結びつくとされる[1]。
概要[編集]
は、果物栽培から流通、家庭での食べ方に至るまでを網羅するとされた雑誌であり、特に柑橘類の扱いに定評があった。雑誌名は、レモンの皮()を「人の記憶を起動する皮」と見なす編集思想から名付けられたとされる[1]。
創刊の背景には、後半から広がった「果物を味ではなく成分と香気で語る」気運があったと説明されている。ただし実際の紙面では、香りを数値化しつつも、読者投稿欄で妙に生活臭のあるエピソードが増えたことが知られている[2]。
同誌は、毎号に最低でも「一つの産地の皮むき儀礼」を含めると決められていたとされる。たとえばの号では、レモンピールの白い部分の厚みを「皮の内側が指先に触れるまでの時間」として統一計測したとの記録が残る[3]。この基準はのちに「科学というより儀式」だと批判も受けたが、編集部は「儀式はデータの器である」と反論した[4]。
成立と編集思想[編集]
「レモンピール=人々」の発想[編集]
の名付けに関しては複数の説がある。最も有力なのは、創刊準備会で「皮は果実の“顔”ではなく“対話”を持つ」と説明され、レモンピールをきっかけに人が集まる様を「People」に重ねたというものである[5]。
編集部は柑橘を「香気の総合言語」と位置付け、読者に“食べた感想”ではなく“匂いの立ち上がり方”を報告させた。具体的には、レモンを絞った後の空気を吸うまでの間隔を秒で書かせ、さらに「舌ではなく鼻で覚えた味」を記述させたとされる[6]。この方式は、やけに細かいにもかかわらず一時期は投稿欄の採用率が異様に高く、編集者が「応募というより参加だ」と述べたと伝えられる[7]。
編集体制と“産地の握り方”ルール[編集]
編集体制は、取材系の(当時)と、原稿整備系の(通称)に分かれていたとされる。後者は東京都内に小さな倉庫を持ち、到着した果物の匂いを記録してから通常の選果に回す運用をしていたと記される[8]。
また同誌では、産地から届いた果物について「箱の角を一度だけ指でなぞる」儀礼があったとされる。記録係は東京都の旧倉庫で、指先の動きの回数まで数えたという。数字はの内規で「なぞり回数は27±2回」と定められたと説明されている[9]。この数字がどこから来たのかは不明で、読者の間では“笑えるほど厳密”だと受け止められた。
歴史[編集]
1980年代:ピール数値化と流通現場の熱[編集]
創刊直後は、地方の果樹団体の会報に近い紙面だったが、からは「匂いの換算表」という連載が始まり、全国に読者が増えたとされる[10]。連載では、レモンピールの精油が空気中でどう“折れる”かを、折れ曲がり点を仮想のメモリで表す方式が採用されたと記録される[11]。
この時期、編集部はの輸入柑橘卸と契約し、「港で最初に開ける箱だけは撮影しない」とする逆ルールを導入したとされる。理由は、写真より匂いが先に届く瞬間が“読者の記憶に残る”ためだと説明された[12]。もっとも、これがのちの監査で「説明責任の欠如」として引っかかったとする証言もあり、同誌は“現場のロマン”と“紙の正確さ”の綱引きを続けたとされる[13]。
1990年代前半:学術連携と“香気の争い”[編集]
前後には、と呼ばれる任意団体と連携し、香気を記録する機器の試用記事を掲載した。ここで登場したのが、レモンピールから採取した微量成分を“色”に対応させるという奇妙なカラースケールである[14]。
一方、研究会側は「雑誌が学術用語を軽く扱っている」との不満を示したとされる。そのための号では、誌面上で「学術語の使用条件」を明記し、編集部の署名欄に「数値は読者の鼻を基準とする」と追記された[15]。この文言が、読者には妙に優しいと受け止められたが、専門家には“責任回避”として映ったとも報じられている[16]。
またには、レモンピールの厚みを「測る」のではなく「決める」手順が特集された。具体的には、皮をめくり、爪の先が白い膜に触れる感触を基準に、厚みを五段階へ割り当てたという。統計的根拠は示されなかったが、読者投稿では採用された例がに達したとされる[17]。この数字だけがやけに整っており、編集部の“当てずっぽうがうまい”姿勢を象徴する出来事として語られている。
1998年9月の終刊:データの行き止まり[編集]
には、同誌の編集長が交代し、紙面を大きく再設計したとされる。しかし再設計は「皮の儀礼をデータベース化する」ことに偏りすぎ、読者投稿の自由度が下がった。結果として、人気の連載だった“産地の握り方ルール”が紙幅の都合で削減されたという不満が噴出した[18]。
終刊は号とされる。理由は単純な経営不振に加え、提携していた香気計測ベンダーが仕様を変更し、過去データとの互換が取れなくなったためだという説明がある[19]。ただし当時の内部メモによれば、互換問題以上に「次に何を数値化するか」が決まらなかったことが本質だったとされる[20]。こうして同誌は、果物の“香りの物語”を人々に渡したまま、わずかで区切りをつけたと記される[21]。
紙面の名物企画と細部のリアリティ[編集]
同誌の名物企画として、毎号の冒頭に置かれた「ピール時計」が挙げられる。読者は“レモンピールの香りが立つ瞬間”を見計らい、単位で申告するよう求められたとされる[22]。提出された数値は編集部で平均されるのではなく、「中央値の近い人の投稿」だけが写真付きで掲載されたという。これが、読者に“自分が平均ではない側”を意識させたと評される[23]。
また、産地ルポには必ず「皮の色相のたとえ」が含まれていた。たとえばのある回では「夕方の温泉の湯面より少し明るい」と記されたとされる[24]。この比喩が一見ふわりとしているにもかかわらず、読者投票ではなぜか上位に入り、編集部は「比喩はブレない」と主張した[25]。
さらに“読者のための失敗集”も人気だった。編集部は「失敗を恥じるな」と書きつつ、投稿をカテゴリ分けし「皮が湿ったまま絞ってしまった人」「匂いより味を先に覚えた人」などのラベルを付けたとされる[26]。ただしそのラベルが、なぜか郵便局の番号体系に似ていたとも指摘されている。読者が勝手に照合し、由来ではないかと推測した結果、編集部は“照合は自己責任”として訂正を入れなかった[27]。
批判と論争[編集]
同誌には批判も多かった。最大の論点は、香気の扱いが「科学の装いを借りた宗教的実践」に近いと見られた点である。特に以降の“内規の数字”が増え、「爪先が膜に触れるまでの秒数」などが過剰に具体的だという指摘が出た[28]。
また、提携先の計測ベンダーが変わるたびに定義が揺れたとされ、過去号の数値互換が取りにくいという問題があった。研究会側の一部では「雑誌の目的が食文化の記録なのか、測定規格の普及なのかが曖昧だ」との意見が出たとされる[29]。編集部は「測定は記録のため、記録は未来のため」と反論したが、読者は「未来のために、今日の失敗が必要なのか」と戸惑ったとも書かれている[30]。
さらに、終刊前の号で掲載された「レモンピールの香気が気分に与える影響」特集が、根拠の提示不足で物議を醸したとされる。あるレビュー記事では「平均値の提示がなく、代わりに“縁側での実感”を引用している」と批判された[31]。もっとも同誌ファンは、そこを“生活に近い測定”として肯定しており、論争は最後まで決着しなかったとされる[32]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 河口精和『香気を数値にする人々:レモンピープルの思想史』柑橘学会出版, 2004.
- ^ ペンゾー・リオネル『The Peel Clock: Semiotics of Citrus Scents』Tokyo Aroma Press, 1997.
- ^ 中山紗羅『果物雑誌というメディア:1980年代の食の定量化』東京書房, 2012.
- ^ R.ヴァルデス『Olfaction as Household Practice』Vol.12 No.3, International Journal of Flavor Studies, 1995.
- ^ 田島碧人『“皮”は口ではなく鼻に届く:レモンピール記録の方法論』朝凪出版社, 1991.
- ^ 山城陽一『編集規範の生成と終焉:レモンピープル終刊の周辺』第7巻第2号, メディア・クロマト研究, 1999.
- ^ 佐伯雫『匂いの換算表—擬似科学と読者の同意』Vol.4 No.1, 食文化批評叢書, 1993.
- ^ H. K. モリス『Citrus Logistics and Unpublished Photographic Rules』pp.101-134, 港湾食糧レビュー, 1989.
- ^ 小林碧『箱を開ける順番と記憶の残り方:現場取材のロジック』文庫園, 1987.
- ^ 架空:編集実務研究会『季刊レモンピープル別冊:ピール時計マニュアル(改訂版)』第1巻第1号, 1986.
外部リンク
- 柑橘メディアアーカイブ
- 香気計測ノート
- 読者投稿保管庫
- 産地訪問資料館
- 編集規範データバンク