ロシア寿司
| 名称 | ロシア寿司 |
|---|---|
| 別名 | 帝政巻き、白夜握り |
| 起源 | 19世紀後半のサンクトペテルブルク |
| 地域 | ロシア帝国・日本 |
| 主な材料 | 塩蔵魚、ライ麦パン、発酵乳、穀類生地 |
| 類似料理 | 寿司、スメタナ料理、黒パン料理 |
| 成立年 | 1894年頃 |
| 提唱者 | イリヤ・A・ヴォルコフ |
| 関連機関 | 帝室厨房改良委員会 |
ロシア寿司(ロシアずし、英: Russian Sushi)は、末期からへ逆輸入されたとされる冷製の魚介料理群であり、厚いパンと発酵魚卵、ならびにに似た穀類生地を用いる点で知られている[1]。名称はの日本人料理番が、の保存食を都市向けに再構成した際に定着したとされる[2]。
概要[編集]
ロシア寿司は、の宮廷料理との握り寿司が、保存技術の競合の末に折衷したとされる料理体系である。一般には一皿単位で提供されるが、実際にはを基礎とする「下地」部分が重要で、これがないものは地方では寿司と認められないとされる。
この料理は、のにおいて、冬季の食材不足を補うためにの糧食改良計画から派生したと説明されることが多い。もっとも、後世の研究では、当初は魚の保存性を高めるための軍用配給食であり、宴席向けに再編されたのはかなり後年であったとの指摘もある[3]。
歴史[編集]
帝政期の成立[編集]
成立の契機は、にの沿いで開かれた試食会にあるとされる。料理人イリヤ・A・ヴォルコフは、から輸入された海苔が寒冷地で硬化する問題を逆手に取り、黒パンで巻く方式を考案したと伝えられる[4]。なお、当時の記録には「パンで包むことで寿司が礼装に近づく」との一文があるが、原本はにより一部抹消されている。
初期のロシア寿司は、サーモン、ニシン、キャビアの三系統に分かれていた。とくにで獲れる小型の燻製鰊を用いたものは、1個あたりの塩分量が4.7グラムに達したとされ、試食したの半数が「水を求めて退出した」と記される[要出典]。
革命後の再編[編集]
の後、宮廷料理としてのロシア寿司は一度消滅したが、の労働者食堂で簡略化された「赤い寿司」が流通したとされる。これは酢の代わりに発酵ビーツ汁を用いるもので、見た目は寿司に似ているが、食後に舌が七分ほど着色することから敬遠された。
にはが「寒冷地向け高栄養軽食」として再評価を行い、標準規格GOST-OSH-14を策定した。ところが規格書の第3条には、魚介の切りつけ角度を「冬至の太陽高度に準ずること」とあり、後年の調理学校ではこの条文の解釈をめぐって講義時間の12%が費やされたという。
日本への逆輸入[編集]
日本での普及は、の港湾倉庫に勤務した通訳官が、輸入書類の備考欄に誤って「寿司の一種」と記したことから始まったとされる。これを見たの料理組合が視察団を派遣し、の東京試食会で「異国の握り」として紹介した[5]。
ただし、普及を決定づけたのは初期のデパート催事であった。特設売場では1日最大1,840貫が売れたとされるが、実際には黒パンの入荷が追いつかず、代用品としてカステラを使った「白夜ロール」が混在した。この混乱が、後にロシア寿司を「甘味系の寿司」と誤解させる一因になったとの説がある。
製法と特徴[編集]
ロシア寿司の標準的な構成は、下地・具材・封印層の三層からなる。下地はを主原料とする薄いパン生地で、具材には塩蔵魚、燻製卵、ディル、そして発酵乳由来の白色ソースが用いられる。封印層は、寒冷地で具材が乾燥しないように施されるバター状の膜で、式ではこれを「氷上の漆」と呼ぶ。
この料理の最大の特徴は、手で持つと冷たいのに、食べると妙に重いことである。研究者のは、これは黒パンが湿気を吸って膨張するためであり、理想的な1貫の重量は42〜46グラムに収まるべきだとした[6]。一方で、モスクワの一部の店では儀礼性を重視して90グラム近い「式典サイズ」が出され、食べ切れずに持ち帰られることが多かった。
社会的影響[編集]
ロシア寿司は、単なる料理ではなく「寒冷地における国際理解の装置」として扱われた時期がある。にが行った調査では、これを食べた参加者の68%が「日本語とロシア語の区別がつきにくくなった」と回答したとされ、料理が外交的混同を生む稀有な例として引用される[7]。
また、後の配給制度下では、ロシア寿司は祝い事の代替として広まり、誕生日、結婚式、冬至、工場の増産達成日に供された。とくに沿岸では、親族の数よりも寿司の個数が多いことが「家格の証」とされたという。もっとも、この習俗は1970年代にから脂質過多の懸念が示され、各地でパンの厚さを3割削る通達が出た。
批判と論争[編集]
ロシア寿司をめぐる最大の論争は、「寿司」であるか、それとも「黒パンを用いた別料理」であるかという定義問題である。は1961年の声明で「名称の借用に比して構造的連続性が乏しい」と批判したが、は「連続性は寒冷地ではなく保存性に宿る」と反論した[8]。
また、21世紀に入ると高級店で「再帝政化」を掲げた盛り付けが流行し、金箔、キャビア、ウォッカ霧を施した一皿が1,200ルーブルから7,800ルーブルまで高騰した。消費者団体は、これを「歴史的料理の装飾過多」と批判したが、店側は「もともと宮廷料理である以上、輝きは本質である」と応じた。なお、一部の店舗ではウォッカ霧を吹きつけすぎて皿が凍結し、客が寿司をスプーンで剥がす事態が報告されている。
現代の受容[編集]
現在のロシア寿司は、とを中心に、冬季限定の郷土料理として扱われることが多い。特にでは港町の観光資源として再評価が進み、年に約32万人が「白夜寿司ウィーク」に参加するとされる[9]。
一方で、若年層の間ではパンを廃して米だけで巻く「逆輸入版」が流行しており、伝統派からは強い反発を受けている。これに対し、料理史家のセルゲイ・I・アレクサンドロフは「伝統とは、誤訳が何世代も愛された結果にすぎない」と述べたとされる。もっとも、同氏の発言は講演録にしか残っておらず、発言者本人はその後、試食のしすぎで講演を途中退席したとも伝えられる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ イリヤ・A・ヴォルコフ『北方巻物料理法』帝室厨房出版局, 1897年.
- ^ M. N. Petrova, "Thermal Density in Wrapped Cold Dishes", Journal of Imperial Food Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-69, 1934.
- ^ 渡辺精一郎『港湾通訳と異国料理の誤記』神奈川近代食文化研究会, 1931年.
- ^ A. K. Sidorov, "On the Black Bread Interface of Sushi", Proceedings of the St. Petersburg Culinary Society, Vol. 8, No. 2, pp. 101-118, 1902.
- ^ マリーナ・V・オルロワ『赤い寿司と人民食堂の季節性』モスクワ食糧人民委員部資料室, 1941年.
- ^ Sergey I. Alexandrov, "White Night Rolls and the Question of Authenticity", Nordic Eurasian Gastronomy Review, Vol. 5, No. 1, pp. 7-29, 1988.
- ^ 『GOST-OSH-14 寒冷地軽食規格集』人民食糧委員部標準課, 1928年.
- ^ 久保田春彦『料理の誤訳史』東京異食文化叢書, 1974年.
- ^ O. Petrov, "The Butter Seal Problem in Baltic Festive Cuisine", Baltic Food Quarterly, Vol. 19, No. 4, pp. 212-233, 1962.
- ^ 高橋みどり『寿司と黒パンのあいだ』北方料理資料館, 2009年.
外部リンク
- 帝室厨房改良委員会アーカイブ
- 北方料理史研究会
- 白夜寿司博物館
- モスクワ食文化年報
- 港湾誤訳料理資料室