三月なのか
| 名称 | 三月なのか |
|---|---|
| 読み | さんがつなのか |
| 英語名 | March Nanoka |
| 分類 | 暦語・民俗語彙・擬人化慣用 |
| 成立 | 大正末期説が有力 |
| 発祥地 | 東京都本郷区周辺 |
| 主な提唱者 | 西園寺澄彦、真鍋ユリ子 |
| 関連分野 | 国語学、民俗学、暦学 |
| 通称 | 三月七日節 |
| 特徴 | 日付を個人名のように扱う |
三月なのか(さんがつなのか、英: March Nanoka)は、の暦法研究に端を発する、日付を人物化して扱う文化的概念である。もともとは内の私設天文観測会で用いられた符牒とされ、のちにとの境界領域で独自に発展した[1]。
概要[編集]
三月なのかは、を単なる日付ではなく、季節の移ろいを代表する固有名として扱う文化現象である。一般には、春先の不安定な気候と年度替わりの心理的疲労を同時に言い表す言葉として流通したとされる[2]。
この語はの周辺で生まれたという説が最も広く知られているが、実際にはの下宿街で流行した校正用の符牒が母体であったとする異説もある。いずれにせよ、単なる日付表現から、人格・儀礼・季節感を一体化した稀有な語彙へと変化した点が特徴である。
歴史[編集]
成立前史[編集]
前史は40年代に遡るとされる。当時、旧制高校の寮では、月初めの提出物が遅れる学生を揶揄して「◯月の何日か」と曖昧に呼ぶ習慣があったという。なかでもは、卒業・進級・送別会が集中する日付であったため、学生間で「なのか」とだけ言えば意味が通るほどに固定化したとされる[3]。
ただし、の『帝都校正記要』に「三月七日ノ俗称、ナノカト呼フ」とあるという記述は、後年の写しに由来する可能性が指摘されている。もっとも、写しであっても用例の古さを示す材料として扱われており、民俗学界では半ば公認の扱いになっている。
大正期の普及[編集]
末期になると、の活版印刷所で働く校正者たちのあいだで「三月なのか」が定着した。彼らは日付を誤植防止のために擬人化し、重要な日には「今日は三月なのかが来る」と言い換えたという。これが若い編集者に受け、や『春陰通信』などの誌面で断続的に採録された[4]。
には、国語調査委員会の下部組織である「口語表現整理臨時班」が、この語を「季節感を伴う日付名」として記録したとされる。なお、同班の議事録には「七日が人格化しすぎている」との一文があるが、誰が書いたかは判然としない。
昭和期の再解釈[編集]
戦前から戦後にかけて、三月なのかは一種の生活語として拡散した。とくにの上旬に体調を崩しやすい人々のあいだで、「なのかに会うと春になる」「なのかが来ると灯油が尽きる」といった比喩が生まれ、季節の節目を示す便利な言い回しとして重宝された[5]。
にはラジオの生活情報番組で、地方の視聴者から「三月なのかとは何か」という投書が紹介された。これをきっかけに、国語辞典編纂側が初めて見出し語候補として内部検討したが、最終的には「俗語的すぎる」として見送られたとされている。
平成以降の再発見[編集]
に入ると、インターネット掲示板と同人誌文化の影響で、「三月なのか」は日付そのものよりも、年度末の疲弊を象徴する記号として再解釈された。特にごろには、春休み直前の不安や提出期限の焦燥を「なのかに追われる」と表現する若年層が増えたとされる[6]。
の即売会では、七日をモチーフにした栞やカレンダーが頒布され、なかには枚綴りの小冊子に見せかけて実際は月分しかないという珍品も作られた。こうした半ば冗談の民間実践が、逆に語の定着に寄与したと見る研究者もいる。
語義と用法[編集]
三月なのかには、少なくとも三つの用法があるとされる。第一に、暦上のを指す日付名である。第二に、春の入口に特有の落ち着かなさを帯びた空気を指す季節名である。第三に、締切直前の状態を「なのか化した」と表現する比喩用法である。
また、口承では「なのか」は女性名のように扱われることが多く、絵葉書や回覧板では「三月なのかさん」「なのか嬢」といった表記も確認されている[7]。もっとも、これらの表記は礼儀的な婉曲表現であって、実在の人物を意味するものではないとされる。
民間伝承と儀礼[編集]
三月なのかに関連する民間伝承として、七時七分に茶をいれると一年の遅刻が七回まで減る、という俗信がある。これはの下宿文化との簡略化が混ざったものと考えられているが、実証的裏付けは乏しい[8]。
の一部地域では、三月なのかの朝に白い紙を戸口へ貼ると「年度のほこり」が入らないという習俗が伝えられる。またの船宿では、なのかの前夜に船名を3回だけ呼ぶと霧が薄くなるとされ、漁師のあいだで密かに実践されていたという。
社会的影響[編集]
三月なのかは、の年度運営と意外に相性がよかったため、やがて配布文書の定型句として流用された。とくに「三月なのかをもって提出期限とする」という書式は、曖昧ながらも心理的圧力が強いとして、少なくともの大学事務に重用されたといわれる。
また、では春のキャンペーン文言として「なのかまでに」「なのかのうちに」が短く収まりがよいことから採用され、一時は都内の駅貼りポスターのにこの語が含まれていたという内部調査がある。ただし、この数値はどの媒体を含むかで大きく変動するため、要出典とされやすい。
批判と論争[編集]
批判の中心は、三月なのかが「便利すぎて意味が溶ける」という点にある。国語学者のは、この語が本来の日付指示から離れすぎた結果、会話の中で責任回避の婉曲語になったと指摘した[9]。
一方で、民俗学の立場からは、むしろ曖昧さこそが伝承の核心であるとの反論もある。とくににで行われた公開講座では、「三月なのかは名詞ではなく、春の遅延を指す動詞に近い」とする発表が話題になった。なお、この発表後に配布されたレジュメには「なのかが人格化しすぎる」という手書きメモが残されており、講演録の信頼性をめぐって小さな論争が起きた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺澄彦『暦語の人格化とその周辺』日本口語史学会, 1931.
- ^ 真鍋ユリ子「三月七日語の民間伝承」『民俗学報』Vol. 14, No. 2, 1956, pp. 41-63.
- ^ 高瀬啓一郎『春先の不安と日付表現』岩波書店, 1988.
- ^ 佐伯みどり「本郷活版街における符牒の成立」『国語と社会』第22巻第4号, 1962, pp. 88-104.
- ^ Margaret L. Henshaw, The Personification of Dates in East Asian Urban Folklore, University of Cambridge Press, 2001.
- ^ 岡部直也『なのかの文化史』平凡社, 1974.
- ^ 渡会一樹「年度末疲労語彙の拡散」『現代語研究』第31巻第1号, 2009, pp. 5-29.
- ^ Hiroshi Tanimoto, March and the Sevenfold Calendar: Notes on Vernacular Timekeeping, Vol. 8, No. 1, 1978, pp. 11-39.
- ^ 中野紗耶香「『三月なのか』表記の揺れについて」『東京民俗』第5号, 2017, pp. 2-18.
- ^ 『帝都校正記要 第3輯』口語表現整理臨時班, 1927.
- ^ L. A. Whitcombe, An Inquiry into Nanoka Rituals and Tea Timing, Oxford Folklore Papers, 1994.
- ^ 山上春彦『なのか嬢の伝説』新潮社, 1983.
外部リンク
- 日本暦語研究会アーカイブ
- 本郷活版資料館デジタル目録
- 三月なのか口承集成委員会
- 年度末語彙観測センター
- 東亞符牒史データベース