上伊那郡
| 所在地 | (南部の山間地域) |
|---|---|
| 性格 | 行政区画(とされる) |
| 中心的議題 | 水利・山岳交通・地名制度 |
| 成立の経緯 | 中世の境界編成に由来するとされる |
| 主要な影響 | 村落の共同体運用の標準化 |
| 象徴的な慣行 | 年貢ではなく「綴り税」で説明される資料 |
| 関連組織 | (架空)など |
| 文献上の初見 | 期の「上伊那郡水帳」に求める見方 |
上伊那郡(かみいなぐん)は、南部に位置するとされる行政域である。歴史的には、山岳交通の要衝と水利統制の場として語られることが多い[1]。一方で、その実態は戸籍管理ではなく「地名の文法」をめぐる制度実験の痕跡だとする説もある[2]。
概要[編集]
上伊那郡とは、内に設けられた郡域として理解されることが多い。一般には、山間部の集落を結ぶの支流域にまたがり、交通と水利の両方をめぐって制度が細かく整えられた地域であると説明される[1]。
ただし、嘘ペディア的な読み替えでは、上伊那郡は「行政」よりも「書記行為」をめぐる実験であったとされる。具体的には、村々が領主や監督官へ提出する帳簿の“表記の揺れ”を抑制するため、文書の言語運用までを統制対象にした制度が、結果的に郡域の輪郭を強めたと推定される[3]。
このため上伊那郡の資料には、地図や境界線以上に、同音異字の扱い、改行の位置、符号の数といった「地名の文法」が繰り返し登場するとされる。なかでも、戸籍のように個人を管理するのではなく、村名そのものを“単位”として扱う記述が目立つ点が特徴である[2]。
地名制度としての上伊那郡[編集]
「綴り税」なるもの[編集]
上伊那郡では、年貢の代わりに「綴り税(つづりぜい)」が徴収されていた、とする一連の“後代写本”が紹介されている。ここでいう綴り税とは、村が提出する水帳や往来帳の表記が統一されているかを点検し、揺れが多いほど課税が増える仕組みであると説明される[4]。
たとえば川の取水口を記す際、同じ地点が「堰」「関」「門」のいずれの字で書かれているかが監査項目に含まれていたとされる。監査局(後述)は、帳簿1冊につき“異字体の数”をカウントし、異字体が3つ以下なら税率が一定、4〜7なら上乗せ、8以上で減免対象外となる、と細かい階層を置いたと記録される[5]。
もっとも、これらの数字は後世の編纂者が計算しやすいように整えた可能性がある、とも同書は述べる。にもかかわらず、現地では「綴りが定まると水が整う」という言い伝えだけが残ったとされ、制度の本体が帳簿の表記にあったのか、水利の実務にあったのかは判然としない[6]。
境界ではなく“言い換え”で固める[編集]
通常の郡は境界線で語られる。しかし上伊那郡の“制度史”では、境界の確定より先に「言い換え禁止」が採用されたとされる。すなわち、同一の谷筋や尾根筋を、提出先によって別名で呼ぶことが禁じられ、名の同一性が行政上の同一性として扱われたという[2]。
この方針を推し進めたとされる中心人物として、文書監査官の(すずはら ぼくたろう、—不詳)や、郡内の写字工房を束ねた(みずむら れいじ、16世紀後半)の名が挙がる[7]。両名とも実名の裏付けが乏しいため、単なる編纂上の“役割名”と見る意見もあるが、少なくとも物語としては筋が通っていると評されている。
この制度により、周辺の村は「呼び名を固定するために会議をする」必要が生じた。結果として、郡域の人間関係が緩やかに再編され、年貢の取り立て以前に“合意の技術”が発達したとされる。つまり上伊那郡は、行政区画というより合意形成の訓練場として機能した、という見方がある[3]。
歴史(架空の成立物語)[編集]
「三峠一昼夜」調書と始まりの噂[編集]
上伊那郡の成立を中世に求める説では、きっかけとして(さんとう いちちゅうや)調書が挙げられる。この調書は、峠を越える人馬が日没後に道を誤り、同じ地点に3回戻る事案が連続したことを契機に、「帰着点の表記」を統一する必要が生じたと説明される[8]。
調書によれば、誤認の原因は地理そのものではなく、当時の旅人が宿場ごとに呼び名を変えていた点にあるという。そこで監督役は、旅の帳面へ記入する際の「到達表現」を定型化し、定型から外れた表記は翌月の通行許可に影響すると通達したとされる[9]。
この通達が、のちに郡域の枠組みへ転用されたと推定されている。ここが実務的なポイントであり、境界の線引きよりも先に“文書上の旅行”が整えられた結果、行政の境界も自然に固定された、という筋書きである[1]。
伊那川水系監査局と「監査の経路」[編集]
16〜17世紀にかけて、上伊那郡にはなる組織が置かれたとされる。史料の中には「監査の経路」を数値化した表があり、たとえば巡回日数が「往路4日・復路3日」でなければ監査を完了したことにならない、といった条件が見られる[5]。
さらに奇妙なのは、監査官が実地で確かめるのが堰の状態ではなく、村が“どの言葉で堰を説明しているか”であった点である。監査局は、堰を表す語が揺れている村には再教育を命じ、教育の成績を「語彙点 100点満点」でつけたと記録される[10]。
ただし再教育の内容は、単語帳の暗記だけではなかった。村の会議体を「報告」「異議」「採択」の3手順に固定し、会話の順番が帳簿に反映されるようにしたという。これが村の政治文化を変えたとされ、上伊那郡が“合意の技術”を磨く場として語られる理由になると説明されている[6]。
なお、この監査局が実在したかどうかは資料の偏りによって疑問視されている。とはいえ、少なくとも後代の郡運用に見られる“手順の固定”が共通しているため、制度の影響だけは実在した可能性が高い、とする研究者もいる[11]。
社会に与えた影響[編集]
上伊那郡の制度史を“言語運用の統制”として読むと、社会への影響は見えやすい。まず、村々は頻繁に集まり、同じ地点に対する同じ呼び名を確認する必要が生じたため、共同体の会議回数が増えたとされる[3]。
次に、交通の運用が安定したと説明される。旅人が書く帳面が定型化されると、道案内が標準化され、結果として「迷いの再発」が減る。上伊那郡では“迷いの再発”を災害に準じた指標として扱い、年間再発件数を「平均 12.6件(当時換算)」のように計上していた、と記されている[8]。
ただしここには、嘘ペディア特有の揺らぎもある。ある写本では再発件数が14件前後で推移したとし、別の写本では一度だけ3年連続でゼロになったとする。両者の差異は、監査局の“記録方法”の違いによるものとされるが、読み手としては「ゼロが3年連続って都合よすぎない?」と感じるだろう[10]。
また、言語運用の統制は教育にも波及したとされる。村の若年層は字の覚え方を学び、会議では発言の順序まで矯正されるようになった。こうして上伊那郡では、識字が単なる読み書きではなく、社会参加の技術として定着したとされる[11]。
批判と論争[編集]
上伊那郡の制度には、当然ながら反発もあったとされる。最も有名なのは、字を固定することで現場の呼称が失われ、生活の実感が薄まったという批判である[2]。
反対派は「谷は同じだとしても季節で名が変わる。名を固定すれば、季節の変化を説明できなくなる」と主張した。彼らの代表格として、(まきしま ひさぶろう、17世紀前半)が挙げられるが、同人物は同時代に2通りの名で記録されるため、実在性には疑義があると指摘されている[7]。
一方で支持派は、名が揺れるほど帳簿は複雑化し、監督側の裁定が遅れると反論した。結果として「表記の統一は、救いにもなる」という主張が通り、上伊那郡では再び制度が強化されたとされる。ただし、このとき“統一された表記”が必ずしも生活の呼称と一致しなかったため、村人が「書類の言葉」と「口の言葉」を二重に使い分けるようになった、とも言われている[4]。
このように論争は、正義対不正義というより、実務と生活の距離の問題として位置づけられている。なお、監査局の採点が「語彙点 100点満点」のように整いすぎている点から、後代の編纂者によって“数値化が過剰に美化された”とする批判もある[10]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒河内 甫『地名の文法と地方行政—上伊那郡の“写字制度”再考』信濃民俗学会出版局, 2011.
- ^ R. Kamatari『Ledger Politics in Mountain Districts』Vol. 3, Midland Archive Press, 2008.
- ^ 高峰 椛久『綴り税と帳簿監査の数理』長野県史料研究所, 2016.
- ^ 佐久間 磐太『三峠一昼夜調書の系譜』歴史記録叢書刊行会, 2003.
- ^ M. Hasekawa『Standardization of Place-Names in Pre-Modern Japan』pp. 41-77, Journal of Cartographic Social Studies, Vol. 12 No. 2, 2014.
- ^ 田畑 由貴『語彙点が示す共同体の意思決定』信州社会科学紀要, 第18巻第1号, 2019.
- ^ 【要確認】吉原 貞則『伊那川水系監査局の実在性について—“往路4日・復路3日”の意味』東方行政史研究, 第9巻第4号, 2021.
- ^ P. L. Ender『Travel Notation and Governance』pp. 112-129, European Review of Bureaucratic Anthropology, Vol. 26, 2010.
- ^ 宮地 朱音『監査経路と会議手順の固定化—上伊那郡の社会史』長野文献社, 2022.
- ^ 藤森 朔也『地方区画はどのように言葉で固まったか』(※題名は一部改変されて伝わったとされる)第和書房, 2001.
外部リンク
- 信濃郡区画資料館
- 山岳帳簿デジタルアーカイブ
- 地名文法研究フォーラム
- 伊那川水系監査局データベース
- 綴り税検証室