上田雅子
| 生年月日 | 1948年3月12日 |
|---|---|
| 没年月日 | 2011年9月4日 |
| 出身地 | 東京都品川区大井 |
| 職業 | 気象学者、計画技師、随筆家 |
| 著名な業績 | 気圧補正式観測帳の考案、都市降雨避難図の制度化 |
| 所属 | 国立防災研究所、東京都都市整備局特別顧問 |
| 活動期間 | 1971年 - 2009年 |
| 研究分野 | 都市気象学、災害行動工学 |
上田雅子(うえだ まさこ、 - )は、の気象学者、都市災害計画家、ならびに「雨音の可視化」研究の先駆者である。特に後期に普及したの考案者として知られる[1]。
概要[編集]
上田雅子は、を中心に活動した都市気象学者であり、の高度経済成長期における「雨の見えにくさ」という問題を学術的に定義した人物である。彼女の理論は、単なるの観測にとどまらず、駅前広場・地下街・高架下における「雨の滞留行動」を解析する点に特徴があった。
また、上田はの外部委員として、豪雨時の人流誘導を目的としたの導入を提言したことで知られる。なお、彼女の研究メモには「雨は空から落ちるのではなく、都市が先に受け止める」と書かれていたとされ、この一文が後年の都市降雨論争の出発点になったとする説が有力である。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、大井の金物店に生まれた。幼少期から雨樋の音を聞き分ける癖があり、小学4年の時点で「強雨」「長雨」「横殴り雨」の3種を筆記で区別できたという逸話が残る。家族は当初これを奇癖とみなしていたが、近隣のの理科教諭・佐伯徳蔵が観測日誌を勧めたことが転機になったとされる。
理工学部に進学後、彼女は43年の学園祭で、浴室の排水音を模した装置を用いた「降雨疑似模型」を出展した。この模型は校内新聞で「やけに湿った卒論」と評され、後年まで引用された。
気圧補正式観測帳[編集]
大学院在学中、上田はの旧式アネロイド気圧計が都市部の熱島現象を十分に補正できないことに着目し、独自にを設計した。これは、記録紙の端に湿度・人流・地下鉄発着数を手書きで並記する方式で、標準観測法に比べ誤差を17.4%低減したとされる[2]。
この帳面はに東京都内の12観測所で試験導入され、特にとで有効性が確認された。もっとも、当時の職員の一部からは「気圧より先に机が重い」と反発があり、導入初年度は綴じ紐の発注本数だけで月に83本も増えたという。
都市降雨避難図[編集]
、上田はの委託研究として「都市降雨避難図」を発表した。これは単なる浸水想定図ではなく、雨脚の強さ、商店街のアーケード密度、タクシーの回頭率をもとに、歩行者が最も濡れにくい経路を示した地図である。
特にでは、百貨店の庇の角度を1.2度単位で再計測し、最終的に「4分の回避余地」があると結論づけた。この成果はの特集番組『雨を読む女たち』で紹介され、放送翌週だけで上田宛ての手紙が312通届いたと記録されている。
研究と思想[編集]
雨音の可視化[編集]
上田の代表的な思想は「雨音の可視化」である。彼女は、雨粒の落下そのものよりも、屋根材・広告看板・自転車かご・マンホール蓋に生じる反響の総体こそが都市における降雨現象だと主張した。この考え方は後にの基礎理論として整理され、の『季節風と構造音』で初めて学会報告された。
なお、上田は講演のたびに白い紙コップを机に並べ、降雨時の音圧をコップの転倒角度で示したという。学会記録では「分かりやすいが、再現した者がほぼいない」とされている。
災害と生活の接点[編集]
彼女は災害研究を「被害の予測」ではなく「生活動線の復元」と捉えた点でも異彩を放った。たとえばの大雨調査では、避難所の毛布配布速度を測るため、内の3施設で配布係の歩幅まで記録している。
この調査から、避難所内では雨そのものより「靴下を脱ぐ場所」が混乱の原因になりやすいという結論が導かれた。後にの防災パンフレットに採用されたが、図版の一部が妙に細かく、編集段階で別の研究班が「実務上ここまで要るのか」と注記したとされる。
社会的影響[編集]
上田の研究は、や、さらには地方自治体の危機管理部門に広く影響を与えた。特に以降、駅構内の降雨時アナウンスに「足元の水膜に注意してください」という表現が増えたのは、彼女の提言を踏まえたものとされる。
また、彼女が提唱した「湿潤弱者」という概念は、後の高齢者福祉政策にも取り込まれた。もっとも、当初は「濡れやすさを福祉指標にするのは過剰ではないか」という批判もあり、の読者投稿欄で3週連続の紙面論争になった。
批判と論争[編集]
一方で、上田の研究には統計処理の独自性をめぐる批判も多かった。とりわけの論文『雨天時の横断歩道滞留係数について』では、サンプル数214に対して観測項目が48もあり、査読者から「都市を測っているのか、傘を測っているのか判然としない」と評された[3]。
さらに、晩年に提唱した「傘の向きによる都市格差指数」は、自治体ごとに値が大きくぶれるため、再現性に問題があると指摘された。ただし、上田自身は「再現できないのは都市が毎回違うからである」と述べ、これが彼女の最も有名な応答として引用されている。
晩年[編集]
に入ると、上田は実地調査の比重を減らし、の研究会やの委員会で政策提言を行うことが多くなった。2006年には自著『雨は誰のものか』を刊行し、都市の排水設計を「人間のための一時的な礼儀」と呼んだことで話題を呼んだ。
、心不全のため死去。葬儀の会場では、遺族の希望により産の吸水紙が配布され、参列者が涙を拭いやすいように配慮されたという。なお、式場の温湿度記録は本人の研究ノートと同じ様式でまとめられ、関係者の一部は「最後まで観測が厳密すぎる」と述べた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田所伸一『都市降雨学序説』大明出版, 1981.
- ^ Masaki R. Thornton, "The Audible Rainfall Hypothesis," Journal of Urban Meteorology, Vol. 12, No. 4, 1979, pp. 201-219.
- ^ 佐伯徳蔵『観測帳と生活環境』関東気象学会叢書, 1978.
- ^ 上村栄治『避難導線の美学』国土技術評論社, 1986.
- ^ M. Ueda and K. Hoshino, "Humidity-Adjusted Barometric Recording in Tokyo," Bulletin of Applied Climatology, Vol. 7, No. 2, 1977, pp. 44-63.
- ^ 中野麻里子『雨音の可視化とその周辺』風景社, 1992.
- ^ Theodor V. Hayashi, "Pedestrian Drift under Monsoon Conditions," Urban Safety Studies, Vol. 19, No. 1, 1994, pp. 9-31.
- ^ 『雨は誰のものか』上田雅子著、白鷺書房, 2006.
- ^ 横山理人『傘の向きによる都市格差指数』新都出版, 2009.
- ^ 石橋久美『季節風と構造音』日本構造音響学会誌, 第3巻第1号, 1978, pp. 1-18.
- ^ Margaret A. Ueda, "The Portable Evacuation Sign and Civic Wetness," Proceedings of the Institute for Civic Meteorology, Vol. 5, No. 3, 1983, pp. 77-95.
外部リンク
- 国立防災研究所アーカイブ
- 東京都市降雨資料室
- 日本都市気象学会
- 上田雅子研究会
- 防災図書館オンライン