上靴
| 名称 | 上靴 |
|---|---|
| 別名 | 屋内靴、床上履き、校舎靴 |
| 分類 | 学校用履物・施設内履物 |
| 起源 | 明治時代後期の東京市内学校建築 |
| 主な用途 | 校舎内、体育館、役所、研究施設 |
| 材質 | 帆布、合成樹脂、軽量ゴム |
| 普及時期 | 1920年代後半から1950年代 |
| 象徴性 | 衛生、規律、学級序列 |
| 関連制度 | 土足分離令、校舎清浄基準 |
| 代表的規格 | JIS-UW-42 |
上靴(うわぐつ、英: Indoor Shoes)は、の学校施設や一部の公共建築で屋内専用として用いられる軽履きの総称である。もともとは後期ので発生した「床上昇降儀礼」に由来するとされ、衛生と序列の両面を担う独特の履物文化として知られている[1]。
概要[編集]
上靴は、主としてや公共施設の屋内で履かれる軽量の履物である。外履きと明確に区別され、床材の保護、衛生管理、ならびに利用者の動線整理を目的として発達したとされる。
ただし、現在のような「入口で脱ぎ、屋内で別の靴に履き替える」慣行が自然発生したわけではなく、当初はが推進した校舎清掃効率化の一環であったとする説が有力である。なお、東京市内の一部校舎では、上靴の色によって学年を識別した記録も残るが、これが制度化された時期についてはとされることがある[2]。
歴史[編集]
明治期の発案[編集]
にはの附属小学校で試験導入され、児童の足音が平均17%減少したとする測定記録が残る。測定に用いられたのは、当時の化学室で使われていた騒音計ではなく、黒板脇に吊るした振り子式の「足音目盛板」であったというが、この装置の実在性には疑義がある[4]。
大正から昭和初期への普及[編集]
この時期、布製の白上靴が「潔白の象徴」とされ、卒業式や視学官の巡回日には特別に糊を利かせた製品が使われた。一方で、白さを保つためにベンチ上で靴底を新聞紙で包む児童が増え、結果として床面の清潔は向上したが、新聞配達員の手間が増えたとする逸話もある。
戦後の標準化[編集]
にはが「上靴の左右判別は消費者教育に資する」として、かかと部に極小の記号を入れる方式を採用した。これにより、左足と右足を1年間逆に履き続ける児童が激減したとされるが、同時に「左右を揃えることは学校生活の最終目標である」と誤解する保護者も現れた。
構造と規格[編集]
上靴は、外観こそ単純であるが、実際には用途別に複数の規格が存在する。もっとも一般的なのは帆布製のスリッポン型で、つま先の反り角は前後、踵の補強厚は前後とされる。
また、以降は学校給食の配膳動線に合わせ、床鳴りを抑えるための「静音底」が推奨された。これにより、廊下を走る児童の発見が遅れたという批判もある一方、教員のストレス指数は平均で12ポイント低下したとの調査もある[7]。
なお、上靴の規格統一は進んだものの、地域によっては上履き袋の持ち方や名前記入位置に強い差があり、同じ管内でも「つま先に記名する派」と「踵内側に記名する派」が長らく対立していた。
学校文化との関係[編集]
上靴は単なる履物ではなく、学級秩序の可視化装置として機能してきた。入学式で新品の上靴を箱から出す行為は、戸籍に次ぐ第二の社会登録とみなされ、教室内では靴の汚れ具合が生活態度の指標として扱われた。
下町の一部では、学級委員が毎週金曜日に「上靴点検」を行い、かかとの擦り減りが著しい児童には家庭訪問が行われたという。もっとも、この制度は実際には保護者会の雑務を増やしただけで、学力向上との相関は見いだされなかったとする記録がある[8]。
また、運動会前日に上靴を洗う習慣は、戦後の家庭教育論の中で「親子共同作業」の典型例として紹介された。ところがごろから、洗濯機内で上靴が単独飛翔する事故が各地で相次ぎ、以後はネット袋の使用が半ば義務化された。
社会的影響[編集]
上靴文化は、学校建築だけでなく日本社会全体の「脱ぎ分け」意識を強化したとされる。役所、病院、研究所、果ては一部の喫茶店にまで屋内履きの概念が波及し、施設設計において玄関の段差が社会的な境界として再定義された。
にが公表した報告では、上靴を導入した施設は来訪者の滞在時間が平均9分延びる傾向があるとされた。これは、履き替えの手間そのものが「内部に入った」という心理的承認を生み、会議の開始が遅れることが多かったためである[9]。
一方で、上靴は地域格差の可視化にも用いられた。都市部では軽量樹脂製が普及したが、地方では耐久性重視の厚底型が残り、「都会の上靴は薄い」「地方の上靴は遅い」といった妙な偏見が1980年代の児童雑誌で流布した。
批判と論争[編集]
上靴に対する批判として最も多いのは、通気性の低さと記名の面倒さである。とくに梅雨期には、学校保健委員会が「上靴内湿度が78%を超えると児童の集中力が落ちる」と警告したが、実地調査の測定器が理科室の簡易湿度計であったため、精度には疑問が呈された[10]。
また、には「上靴は規律を教える装置か、それとも家事を増やす制度か」を巡って論争が起きた。新左翼系教育研究会は廃止を主張したが、対する校長会は「上靴のない校舎は靴音が騒がしい」と反論し、議論は最終的に予備費で新規購入された青色上靴の配布で沈静化した。
さらに、都心の私立校で導入された「季節ごとに上靴色を変える制度」は、冬季にのみ紺色を採用した結果、落とし物として見つからなくなる事故が増え、3学期の遺失物箱が例年の1.7倍に膨らんだと報告されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『校舎床面と足底分離の研究』帝都教育出版, 1904.
- ^ 内務省衛生局『校舎における塵埃移動と足底分離』衛生月報 第12巻第4号, 1928, pp. 41-58.
- ^ 佐々木春雄『上靴の社会史』青楓社, 1957.
- ^ Margaret A. Thornton, "Indoor Footwear and Classroom Discipline in East Asia," Journal of Comparative School Studies, Vol. 8, No. 2, 1966, pp. 113-129.
- ^ 日本ゴム工業会編『学校用ゴム底製品規格集』日本ゴム工業会出版部, 1959.
- ^ 高橋美津子『上靴袋の民俗学』みすず書房, 1974.
- ^ 建築学会学校施設委員会『履き替え動線と滞在時間』建築計画誌 第31巻第1号, 1979, pp. 9-27.
- ^ Harold P. Sweeney, "The Slipper Economy of Modern Japan," Pacific Education Review, Vol. 14, No. 1, 1983, pp. 4-19.
- ^ 学校衛生研究会『上靴内湿度と注意持続の関係』学校保健年報 第22巻第3号, 1991, pp. 201-214.
- ^ 藤堂和彦『青色上靴の導入と遺失物行政』教育行政評論 第9巻第2号, 1998, pp. 77-90.
外部リンク
- 全国上靴文化研究会
- 校舎履き替え史料アーカイブ
- 学校衛生規格センター
- 履物と秩序デジタル博物館
- 上靴分類標準化委員会