下ネタによる死刑
| 別名 | 猥談刑、終末嘲弄刑 |
|---|---|
| 起源 | 17世紀末のハプスブルク宮廷法令とされる |
| 主な実施地 | ウィーン、江戸、長崎奉行所周辺 |
| 適用対象 | 反逆者、偽証者、宴席での失言者 |
| 執行方法 | 即時処刑または公開嘲笑の後に刑の確定 |
| 廃止 | の「文言刑罰整理令」 |
| 関係者 | 、、 |
| 文献化 | の『宮廷卑語法要』で体系化 |
下ネタによる死刑(したねたによるしけい)は、近世ヨーロッパおよび東アジアの宮廷法制において、卑猥な言辞をもって被処刑者の「最終的な改悛」を判定したとされる刑罰制度である。現代では、法制史の周縁に現れる奇習として知られている[1]。
概要[編集]
下ネタによる死刑は、単なる罰則ではなく、死刑宣告の直前に卑俗な言い回しを重ねることで、被告の品位を崩し、共同体からの象徴的な切断を完了させる制度であったとされる。処刑そのものよりも、判決文を読む役人の口調、周囲の失笑、そして記録係がどこまで詳細に書き残すかが重視されたという。
制度の起源は、末の宮廷で、宗教裁判と宴会芸が混ざり合った結果生まれたという説が有力である。のちにがこれを独自に受容し、特にの通詞や町奉行所のあいだで、通訳の誤訳を利用した「婉曲な侮辱」として発展したと伝えられている[2]。
起源[編集]
ハプスブルク宮廷の「言葉の検尿」[編集]
もっとも古い記録はの宮廷文書『Reichs- und Bettelprotokoll』に見えるとされ、そこでは反逆罪の被告に対し、処刑執行人が「腹の底まで届くような冗談」を3回述べた後に刑を執行したとある。これが「言葉の検尿」と俗称されたのは、判決前の語彙が被告の品位を検査するものとみなされたためである。
当時の宮廷は、の儀礼的厳格さと、夜会での下品な滑稽話が同居する空間であり、法務官が「羞恥は刃より深い」と述べた手記が残る[3]。ただし、この手記はの写本家による加筆の可能性が指摘されている。
江戸への伝播[編集]
日本側では、が長崎で観察した異国の「笑いを伴う死罪」が、のちに幕閣の記録で脚色され、下ネタによる死刑の起点とされた。白石は『折たく柴の記』に似た体裁の別記で、ポルトガル人通詞が訳し損ねた卑語を、奉行が「これは刑の一部なり」と誤認した逸話を記しているとされる。
の時代には、町奉行所での軽微な風紀犯に対し、実刑の代わりに「三句以内の艶笑」と「四句目での斬首宣告」を組み合わせる試みが行われたという。文書上は「風俗矯正」とされるが、実際には見物人の数が平均に達したため、半ば娯楽化していたとの指摘がある。
制度[編集]
この刑罰の特徴は、刑そのものが「下ネタ」の内容に依存しながらも、過度に露骨であってはならないという矛盾にあった。判決文は三層構造になっており、第一層は法令文、第二層は婉曲表現、第三層は聞き手だけが理解する暗喩で構成された。
たとえば、にの法律家が再現したとされる手順では、執行吏が「靴ひもより結び目の深い罪」と唱え、次に「衣紋の乱れは心の乱れ」と続け、最後に『宮廷卑語法要』の註釈者が定義した「半歩だけ踏み外した文言」を口にして斬首を命じた。これにより、処刑の場が法廷、舞台、酒場の3役を同時に担ったのである。
なお、執行役に選ばれる者は発声訓練を受け、特に語尾の抜き方で「品位を保ったまま不敬を示す技術」を学んだとされる。記録上、最長での前口上が確認されているが、これは実際には被告が途中で笑い始めたため、場が崩れたものであったという。
地域差[編集]
ウィーン式[編集]
では、宮廷音楽と結びついた形式が主流で、死刑宣告の直前にワルツの拍子で下ネタを挟む「三拍子告知法」が用いられた。見物席の貴婦人たちは扇子で口元を隠しつつ笑う作法を求められ、笑い声の大小が判決の厳しさを左右したという。
一方で、過剰に上品な比喩を多用すると、かえって意味が伝わらず刑罰効果が落ちるとして、には「比喩濃度規定」が出されたとされる。
長崎式[編集]
では、通詞がオランダ語の下品な慣用句を和訳する際、意図的に丁寧語へ変換することで、かえって侮辱度を高める形式が発達した。たとえば、直接的な猥語を「ご立派でございます」と訳すと、文脈上の落差で被告の面目が崩れると考えられたのである。
『長崎奉行所雑録』によれば、にはこの形式を用いた公開死刑が行われ、そのうちで被告の親族が笑いをこらえきれず、後に連座で叱責されたという。
社会的影響[編集]
下ネタによる死刑は、刑罰制度であると同時に、都市文化の一部でもあった。見物人は刑場で笑うことを禁じられながら、実際にはどの語が「一線を越えたか」を競うように耳を澄ませたため、結果として下品な婉曲表現の洗練が進んだとされる。
後半には、出版業者がこの種の判決文を書き写した『猥談判例集』を密かに流通させ、の貸本屋では「読み終えると必ず咳払いしたくなる本」として人気を博した。これにより、卑語は抑圧されるどころか、むしろ高度な修辞学の対象になったという逆説が生まれた。
また、刑の公開性が強かったため、子ども向けの教育現場では「人前で笑ってよい言葉と、笑ってはいけない言葉」の区別を教える教材として利用された例がある。ただし、この教材が実際に授業で使われたかどうかは、所蔵の写本が断片的であるため確証がない。
批判と論争[編集]
に入ると、法学者のは、この制度が「法の威厳を守るために笑いを借りた結果、威厳そのものを損なった」と批判した。とくに、公開の場で下ネタを扱うことで、刑罰が抑止力ではなく見世物に変質した点が問題視されたのである。
一方、民俗学者のは、下ネタによる死刑を「共同体が禁忌を可視化するための儀礼」と擁護した。彼はの論文で、刑場の沈黙と失笑のあいだに「法が社会に接続する瞬間」があると論じたが、これに対しては「美化にすぎない」との反論も強い[4]。
なお、の「文言刑罰整理令」によって制度は公式には廃止されたが、地方裁判の記録にはまで類似の運用が散見される。廃止後も、新聞社の懲罰欄や学校の風紀委員会にその名残があったとされる。
文献と研究[編集]
研究史上の基礎文献は、刊の『宮廷卑語法要』である。これは法学書でありながら、用例として種の婉曲表現を収録し、そのうち種は現代の研究者でも意味を確定できていない。
以降は比較法制史の対象として扱われ、やの周辺で断続的に論じられた。特にの『笑いと斬首の境界』は、法と滑稽の関係を論じた名著として引用されるが、末尾の索引だけ異様に詳細であることから、編集過程で娯楽雑誌の目次が混入した可能性が指摘されている[5]。
また、にはの私設文庫で「被告の失笑が3回続くと執行延期」とする未公刊草案が発見されたと報じられたが、写本のインク成分が後半のものに近いことから、真偽はなお争われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ マティアス・フォン・エーレンベルク『宮廷卑語法要』レヒナー社, 1829.
- ^ 小泉多聞『笑いと斬首の境界』日本法制民俗学会, 1934.
- ^ Emil Clausen, "Humor as Penal Theatre in Central Europe," Journal of Comparative Jurisprudence, Vol. 12, No. 3, 1908, pp. 201-247.
- ^ Heinrich Weller, "Reichs- und Bettelprotokoll: Marginal Notes on Shame," Wiener Archiv für Rechtsgeschichte, Vol. 8, No. 1, 1897, pp. 14-39.
- ^ 三浦義直『笑いと斬首の境界』第2版、東洋修辞出版, 1968.
- ^ Katherine M. Lowell, "Censorial Laughter and Execution Rituals," Proceedings of the Royal Institute for Socio-Legal Studies, Vol. 4, 1972, pp. 88-121.
- ^ 長崎奉行所史料編纂室編『長崎奉行所雑録』第17巻第2号, 1810-1812年写本.
- ^ Raffaele Bianchi, "The Third Layer of Insult: A Study in Delayed Sentencing," Quaderni di Storia Criminale, Vol. 9, No. 2, 2005, pp. 55-79.
- ^ エミール・クラウゼン『法の威厳と笑い』ヴァルド出版, 1911.
- ^ 『笑刑制度研究年報』第3号, 東京比較法制研究会, 2011.
- ^ Hans P. Wirth, "A Grammatical History of Executions by Lewd Humor," Annals of Speculative Legal History, Vol. 1, No. 1, 1999, pp. 1-33.
外部リンク
- ウィーン宮廷法制デジタル文庫
- 長崎異国刑罰史研究所
- 猥談判例アーカイブ
- 比較笑刑学会
- 宮廷ユーモア史料室