下痢珍ポ
| 名称 | 下痢珍ポ |
|---|---|
| 読み | げりちんぽ |
| 英語名 | Gerichinpo |
| 分類 | 民間療法、都市伝承、衛生儀礼 |
| 成立 | 大正末期から昭和初期 |
| 主な伝承地 | 東京都台東区、墨田区、神奈川県川崎市 |
| 中心人物 | 渡辺精一郎、マルセル・北村 |
| 関連機関 | 帝都衛生研究会、関東民俗保健協議会 |
| 特徴 | 腹部を一定の間隔で叩き、温かい茶湯を用いる |
| 備考 | 一部地域では忌避語として扱われた |
下痢珍ポ(げりちんぽ、英: Gerichinpo)は、の急激な変化によって生じるとされるおよびの総称である。の下町を中心に広まったとされ、のちに後期の衛生啓発運動と結びついて語られるようになった[1]。
概要[編集]
下痢珍ポは、急な腹部不快感を鎮めるために、腹帯・茶湯・節拍を組み合わせて行う一連の作法を指す名称である。一般には周辺の屋台文化と文化のあいだで生まれたとされるが、実際には内の衛生講習会で半ば冗談として整理された術式が、のちに民間へ逆輸入されたものと説明されることが多い[2]。
名称の由来については諸説あり、腹部の動揺を「下痢」、腹の要を「珍」、最後の「ポ」は拍子木の擬音とする説が有力である。一方で、の周辺で使われていた隠語が転用されたとする説もあり、史料上はの『帝都衛生雑記』に最初期の用例が見えるとされる[3]。
歴史[編集]
成立の背景[編集]
下痢珍ポの原型は、末期の寄席や長屋で流行した腹痛回復の即興作法であるとされる。とくにの湯屋に出入りしていた薬売りの渡辺精一郎が、・・腹式呼吸を組み合わせ、症状の強い日だけ「三拍で押さえる」と記した手帳が見つかっており、これが後年の定式化の基礎になったという[4]。
昭和初期の普及[編集]
、衛生課は冬季の腹下し対策として、区民向け講習「食中り予防と腹部保温」を開催した。この講習に外部顧問として参加したフランス人医師マルセル・北村が、説明資料の余白に「gerichinpo」と書き込んだことから、名称が半ば学術語のように流通したとされる。なお、講習会の参加者は延べであったが、実際に最後まで残ったのはだったとも記録されている[5]。
戦後の変質[編集]
戦後になると、下痢珍ポは本来の衛生習慣というより、飲み会後の即席の語り草として広まった。にはの食品衛生研究所が「民間腹部保温法に関する注意喚起」を出し、これに対抗する形で東京側の愛好家が「珍ポ保存会」を結成した。保存会の会報は月1回発行され、最高発行部数はであったとされる[6]。
方法論[編集]
基本手順[編集]
基本的な下痢珍ポは、1. ぬるめの茶湯をほど摂る、2. 腹部に晒し布を当てる、3. ごとに軽く叩く、の三段階からなる。民俗記述では、この7拍がにちなむとされるが、実際には湯屋の帳場で客の数を数える際の区切り方を流用したにすぎない、ともいわれる。
流派の違い[編集]
関東流は「温めて待つ」を重視し、流は「動いて散らす」を重視する。一方、の港湾労働者の間では、腹部に手拭いを巻いたうえで塩飴をなめる方式が支持され、これを「港湾派」と呼んだ。もっとも、いずれも実効性の差は統計的に明確ではなく、の試験では回復時間にからの幅があったにすぎない[7]。
禁忌[編集]
伝承上、氷水の一気飲み、赤唐辛子の大量摂取、そして木魚を叩く真似は禁忌とされる。とくに木魚については、腹鳴りを呼び戻すとして嫌われ、の周辺では「木と腹は離すべし」と書かれた貼り紙が昭和三十年代まで見られたというが、現存確認はされていない[8]。
社会的影響[編集]
下痢珍ポは、単なる腹痛対処法を超えて、における“恥を共有可能にする技法”として評価された。長屋では誰かが腹を押さえると、近隣が湯呑みを持って集まり、自然に安否確認が行われたため、地域連帯の象徴とみなされたのである。
また、にが実施した聞き取りでは、回答者のうちが「正式な医学知識ではないが、家族に一人は心得ていた」と答えたとされる。なお、同資料館の報告書は後年「調査票の設問がやや誘導的である」と批判されたが、それでも下痢珍ポが家庭内の準医療として機能していたことは否定しがたい。
一方で、商業化も進んだ。にはの薬局街で「珍ポ茶」「珍ポ腹帯」と名付けられた商品が出回り、最盛期には週あたりが売れたという。もっとも、商品名の奇抜さから苦情も多く、では一度だけ店頭POPの使用が自粛されたことがある[9]。
批判と論争[編集]
医療関係者からは、下痢珍ポが症状の原因を曖昧にしたまま安心感だけを与えるとして批判されてきた。とりわけのでは、「温罨法と口伝の混同である」とする報告が提出され、会場がやや荒れたと伝えられる。
また、珍ポ保存会が刊行した小冊子に、腹痛の重症度を「初級・中級・盆踊り級・珍神級」の4段階で分類した表があり、これが一部の編集者から「真面目に書くには大胆すぎる」として問題視された。保存会側は「分類はあくまで笑いを伴う自己観察の便宜上のものである」と反論したが、これによりかえって若年層の関心が高まったともいわれる[10]。
現代の位置づけ[編集]
期に入ると、下痢珍ポは実用技法よりも文化研究の対象として扱われることが多くなった。の口承文化研究室やの民俗医療ゼミでは、都市伝承が衛生習慣へ転化する過程の好例として採録されている。
ただし、SNS上では「#珍ポ対策」として即席の腹巻き折り紙や、ペットボトルの湯たんぽ化などが再創作され、2023年頃には関連投稿が月間を超えたとされる。もっとも、その半数近くは単なる語感遊びであり、実際に下痢珍ポを実践したという記述は少ない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『帝都腹部保温術の民俗誌』関東保健文化社, 1936.
- ^ Marcel Kitamura, "Notes on Gerichinpo and Urban Comfort Rituals," Journal of East Asian Hygienic Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 145-168, 1935.
- ^ 関東民俗保健協議会編『腹痛と共同体――昭和前期の口承衛生』関東民俗出版, 1961.
- ^ 北村マルセル『東京市衛生余白録』東京生活衛生協会, 1937.
- ^ 佐々木友三郎『民間療法と笑いの境界』新潮社, 1974.
- ^ M. Kitamura & S. Watanabe, "A Comparative Study of Warm Tea Belts in Tokyo and Kawasaki," Annals of Civic Medicine, Vol. 8, No. 1, pp. 21-44, 1940.
- ^ 東京都立衛生資料館『区民聞き取り調査報告 第7集』東京都公文書館, 1963.
- ^ 田中恵子『腹を温める文化史』岩波書店, 1988.
- ^ 日本臨床衛生学会編『腹部保温法をめぐる諸問題』医学評論社, 1960.
- ^ 高橋淳一『珍ポ保存会小史』関東口承研究会, 2002.
外部リンク
- 帝都衛生資料アーカイブ
- 関東民俗保健協議会デジタル年報
- 珍ポ保存会公式便覧
- 東京下町口承文化研究センター
- 都市衛生余白史データベース