世界
| 分類 | 認識論・統治技術・地図学にまたがる概念 |
|---|---|
| 主な構成要素 | 尺度(メートル法/時間基準)、境界(観測限界)、記録(台帳/地図) |
| 成立の契機 | 交易航路の標準化と税収管理の需要 |
| 関連分野 | 地理学、測量学、統計学、経済史 |
| 代表的な用法 | 『世界を測る』『世界を数える』 |
| 代表的な制度 | 世界記録局(World Register Office) |
| 影響を受けた社会 | 港湾都市、大学、中央官庁 |
世界(せかい)は、人間の認識において「観測可能な範囲」を一つの器として束ねる概念である。歴史的には海図と貨幣台帳のあいだで用語が固まり、近世以降は国家の統治技術と結び付いて拡張されたとされる[1]。
概要[編集]
世界は、比喩的にも学術的にも「全体」を指す語として理解されるが、実務では「どこまでを同じルールで数えられるか」を問題にするための語でもある。特に早期近代以降、港湾間の航海記録と税の申告様式が統一されるにつれ、同じ言葉で『範囲』と『帳尻』を扱う必要が生じたとされる。
この文脈で世界は、境界(観測できる範囲)と尺度(測り方)と記録(残す方法)の三点セットとして整備された。議論の中心は「世界の広さ」ではなく「世界の可算性」であり、どの都市がどの帳簿に登場するかが、結果として社会の力学を規定したとされる[1]。
なお、用語の細かい運用は時代と地域で揺れがあった。たとえばでは海図を基準に定義が行われ、では造幣と度量衡が基準とされた。一方で、同じ『世界』という語でも意味がずれると、関税の計算が丸ごと変わるため、言葉の統一が事実上の政策目標となったと指摘されている[2]。
歴史[編集]
海図・台帳・「世界の縁」[編集]
起源については複数の説があるが、有力なものでは航路の混乱を受け、交易都市が“境界を紙で固定する”仕組みとして世界概念を整えたとされる。具体的にはの交易組合が、航海日誌の欠損を補うために「未観測の区間」を仮の欄として設け、その欄をまとめて『世界の縁(edge of the world)』と呼んだことが、のちの制度語につながったと推定されている[3]。
この運用は測量学とも相互作用した。メートル法が一般化する以前から、都市ごとに距離の換算が異なるため、観測結果を『同じ世界』に換算する作業が必要になった。そこでの(当時の呼称:王立長さ換算委員会)が「世界は、換算表の数だけ存在する」とする内部文書を作成し、各港湾に『換算表の帯(banded conversion)』を配布したとされる[4]。
さらに社会制度の側でも、台帳が『世界』を決めた。たとえばの会計書式では、取引が一度でも記載された地域を『世界内』とみなし、未記載地域を『世界外』として扱う規定があったとされる。結果として、実際に存在するかどうかより、記録されるかどうかが『世界』の輪郭を作るようになったとされる[5]。
世界記録局と「一桁違い」の統治[編集]
18世紀末、欧州各国は海上統制と税の徴収を同時に進める必要に迫られた。そこでで開催された「全港簿記統一会議」(通称:十進簿記サミット)では、世界を定義するために“十進で数えた範囲”を採用する案が出たとされる[6]。この会議を契機に、各国の台帳に共通する符号体系が整備され、後年のの前身となった。
世界記録局は、観測される範囲そのものではなく、観測の報告様式を管理する機関として設置された。局の規程によれば、ある港が『世界内の港』と認定されるには、過去以内に最低、かつ同一船名での出入港が確認されねばならないとされた[7]。この「3回ルール」が形式化したことで、記録が整わない新興港は、実勢があっても政策上は“未世界”扱いになったという。
この制度は細かいがゆえに、笑えないほどの混乱を生んだ。たとえばの監査で、港湾Aは誤って世界内コードを『索引の第2桁』だけ読み替えられたため、関税区分が一律で反転し、同月の税収がオランダ・ギルダー相当となったと会計報告に記されている[8]。もちろん計算上は“マイナスは存在しない”ため、翌月には帳簿の訂正により世界の範囲が実質的に改定されたとされる。
大学の世界と、学問の境界事故[編集]
19世紀には、世界は地図だけでなく学問の分類にも入り込むようになった。たとえばのは、世界を「大学のカリキュラムに登場する対象の集合」とみなす教育方針を採用したとされる[9]。講義ノートでは『世界とは、受講者の期末答案に現れる語彙の密度である』と大胆に書かれており、学生が新しい地域名を答案に出すと、講座の推薦図書リストが増える仕組みになっていたという。
この運用は一部で“学問の成長が世界の広がりを作る”という逆転現象を生んだ。たとえばの統計家(仮名)は、講義の改訂から後に、図書館の閲覧統計が跳ね上がり、その結果「世界内の研究対象」が増えたように見えたと報告したとされる[10]。ここで『増えた』のは対象そのものではなく、世界という枠の定義に入るための“言及”であった。
一方で、こうした分類の事故も起きた。世界記録局の符号と大学の索引規格が食い違い、ある年に『世界の縁』として扱われるべき語が『世界中核』に分類され、研究費の配分が数か月だけ逆流したという指摘がある[11]。このように世界は、制度・教育・記録の相互作用によって形作られたとされる。
批判と論争[編集]
世界概念が記録と制度に左右されることへの批判は早くから現れた。特に(架空の先行組織とされる)では、「世界は測れるが、測れないものがある」という主張が繰り返された。ただし反論として、測れないものを測れないまま放置すると統治が破綻するため、世界は“測れる範囲を測る技術”として運用されるべきだとする見解も根強かった[12]。
また、世界の境界を“帳簿に出現した回数”で決める方式は、現実の地理とずれる可能性を常に抱えた。実際、ある国際監査では「世界内の人口」として登録される人数が、現場の戸籍より平均で過大計上されていたとする報告書が回覧された[13]。過大の理由として、同じ家族を別名で記入する“世界内最適化”が疑われたが、公式には否定されたとされる。
さらに言葉の意味が硬直化することへの論争もあった。世界記録局の運用が普及した結果、各国の官僚は“正しい世界”の定義を暗記し、現象の説明よりも定義の整合を優先するようになったと指摘される。その結果として、災害や流行のような突発事象が起きた際に、世界が追いつかず、行政対応が遅れるケースがあったとされる[14]。この批判は、のちに「世界は固定ではなく、更新されるログである」という新しい運用思想へつながったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アンヌ・ド・ラメール『帳簿が作る世界の輪郭』アカデミア出版, 1998.
- ^ ジョナサン・ハドソン『Conversion Tables and the Politics of Visibility』Oxford Register Press, 2005.
- ^ 渡辺精一郎『王立長さ換算委員会の史料学的研究』明治学術叢書, 1912.
- ^ マルコ・ベネッリ『講義統計と世界分類—26週間の観測』ベルリン大学出版局, 1879.
- ^ Hiroshi Tanaka『The Ten-Progress Ledger: Decimal Bookkeeping in Port Cities』Cambridge Harbor Studies, 2011.
- ^ Catherine J. Merriweather『Edge of the World in Lisbon Accounting Practices』London Historical Review, Vol.12 No.3, 1974.
- ^ 小林礼次『索引規格の食い違いが生んだ行政の逆流』国立行政史研究所, 第8巻第2号, 1983.
- ^ 世界記録局 編『世界内コード審査規程(試行版)』World Register Office, 1810.
- ^ S. R. Al-Mansur『Numbering the Unknown: A Study of “Three-Call Rule” Port Eligibility』Journal of Nautical Administration, Vol.4 No.1, pp.31-58, 1992.
- ^ 片倉一里『世界は測れるか—ただし“更新されるログである”』東京・政策工房, 2002.
外部リンク
- 世界記録局アーカイブ
- 十進簿記サミット記念サイト
- 王立度量衡院デジタル史料室
- 港湾台帳学会ポータル
- 換算表の帯コレクション