世界線・〇〇八
| 名称 | 世界線・〇〇八 |
|---|---|
| 英語 | Worldline 008 |
| 分類 | 観測補助単位、仮想歴史記述 |
| 提唱時期 | 1987年頃 |
| 提唱者 | 渡会 恒一、マージョリー・L・ソーンら |
| 主な拠点 | 東京都千代田区、茨城県つくば市 |
| 関連機関 | 国立量子史料館、電波文化総合研究所 |
| 特徴 | 偶数番号の世界線を優先して記録する |
世界線・〇〇八(せかいせん・ぜろぜろはち、英: Worldline 008)は、に基づく観測補助単位の一つで、特に後期から初期にかけての研究者を中心に整備されたとされる概念である[1]。一般には「第八の安定世界線」として知られるが、実際にはの内部メモから広まった通称であるとされている[2]。
概要[編集]
世界線・〇〇八は、ある出来事群が特定の条件で分岐した際に、観測者が便宜上付与する番号体系の一つであるとされる。もっとも、この番号は自然発生的に生まれたものではなく、にの会議室で、当時の研究者たちが「扱いやすい世界線は奇数より偶数である」と決めたことに由来するといわれている[1]。
この概念は、のちにに移された記録整理班によって拡張され、八番目の安定系統として定式化された。なお、〇〇八が「ゼロゼロハチ」と読まれるのは、初期資料の和文タイプライタで丸数字の代用ができず、暫定的に「〇〇八」と打たれたことに起因するとされるが、異説も多い[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
最初期の記録は、の前身である資料室に残された『分岐試算票・第八版』に見られる。ここでは、が「七つの世界線では政策判断が不安定になる」として、試験的に八番目の枝番を導入したとされる[3]。
ただし、同時期のでは、同じ番号が無線周波数の整理表にも使われており、後世の編集者の間では「世界線番号と設備番号が混線したのではないか」と議論が続いている。実際、1985年の回覧では『008は南棟3階の予備棚を意味する可能性』と注記されており、要出典とされることが多い[4]。
制度化[編集]
には、が系の公開講義で「worldline numbering」の語を紹介し、日本側の資料班がこれを「世界線・〇〇八」と訳したとされる。翻訳の過程で「008」が保守的で無難な数字として採用され、以後、偶数世界線の代表格として扱われるようになった[5]。
この時期、の編集会議では、分岐点ごとに世界線へ記号を振るよりも、実務上は「関係者が怒らない番号」を付けるほうが効率的だという結論に至ったという。後年の回想録によれば、これは学術上の合理化ではなく、単に会議室のホワイトボードに最初から「008」と書かれていたためだとも伝えられている。
普及と逸脱[編集]
に入ると、世界線・〇〇八は系列の深夜特番や、雑誌『月刊量子と風俗』などを通じて一般にも知られるようになった。特に放送の『世界線は誰のものか』では、出演者が八つ目の世界線にだけ存在する「やけに静かな踏切」を取材し、視聴率7.8%を記録したという[6]。
一方で、研究者の一部は〇〇八が単なる「研究室の棚番号」に由来するという説を唱えたが、これに対し保存派は「棚番号が世界史に影響した例は他にない」と反論した。なお、には文化記録局が準公的文書として『世界線管理の手引き(第8仮定)』を配布したとされるが、現存確認は取れていない。
特徴[編集]
世界線・〇〇八の最大の特徴は、分岐後の出来事が妙に「整いすぎている」点にあると説明される。例えば、記録上では会議の開始時刻がに固定されやすく、駅の発車ベル、研究室の内線番号、配布資料のページ数まで8に収束する傾向があるとされる[7]。
また、〇〇八では観測者の記憶の擦れが少ない代わりに、なぜか文書の脚注だけが増殖しやすい。これをの研究者は「注記圧」と呼び、の報告書では、世界線・〇〇八に接続した資料は平均で通常の1.8倍の参考文献を要するとされた。ただし、この数値の算出方法はかなり怪しい。
社会的影響[編集]
世界線・〇〇八は、学術用語としてよりも、むしろ行政文書や大衆文化に与えた影響で知られている。たとえばの一部車両で、検査記号の「008」を見た乗客が「別世界行きではないか」と苦情を申し立てた事例があり、駅員研修に世界線概論が導入されたという逸話が残る[8]。
さらに、中期には企業の新製品番号にも「008」を好んで付ける風潮が生まれ、炭酸飲料、工具箱、さらにはカーテンの型番にまで波及した。とりわけの家電メーカーが発売した『WL-008』は、実際には普通の加湿器であったにもかかわらず、店頭POPに「世界線対応」と書かれたために一部で即日完売したとされる。
批判と論争[編集]
批判の多くは、世界線・〇〇八が科学概念であるように見せながら、実際には記録整理の都合を神秘化したにすぎないという点に向けられてきた。の架空史研究者・は、1980年代の会議録を精査した結果、「八番目という数字に意味はなく、会議出席者の弁当の個数が偶然8個だっただけではないか」と指摘している[9]。
一方で擁護派は、概念の価値は起源の純粋さではなく、後年どれだけ人々の会話を可能にしたかにあると主張する。なお、の公開討論会では、司会者が「では本日は現実世界線・〇〇八から始めます」と発言した直後に会場の時計が止まったと記録されているが、これを信じる者は少ない。
年表[編集]
1984年 - 1987年[編集]
に資料室で第八版の分岐試算票が作成され、に「Worldline 008」が初めて対外的に示されたとされる。この時点ではまだ呼称が安定しておらず、「系8」「枝番8」「八重系」など表記揺れが激しかった。
1990年 - 2000年[編集]
にはテレビと雑誌を通じて大衆化し、には児童向け図鑑『ふしぎな世界線をさがせ』にも掲載された。図鑑版では、なぜか〇〇八だけが「やさしい世界線」と説明されており、編集部の独断とみられている。
2001年以降[編集]
以降はインターネット上で再解釈が進み、掲示板文化の中で「自分の人生は〇〇八寄りである」といった用法が定着した。現在では、研究用語・比喩表現・自己責任回避の婉曲句として混在している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会 恒一『世界線整理と番号体系の実務』国立量子史料館紀要, Vol. 12, 第3号, 1988, pp. 41-67.
- ^ Marjorie L. Thorne, "On Stable Branch Indexes in Late-Stage Worldline Studies", Journal of Comparative Chronology, Vol. 7, No. 2, 1989, pp. 118-139.
- ^ 西園寺 正彦『分岐試算票の政治学』東京史料出版, 1994.
- ^ 電波文化総合研究所 編『周波数表と世界線表の偶然的一致』内部資料, 1986.
- ^ 佐久間 玲子「八番目の仮定と会議室の白板」『現代記録学』第5巻第1号, 1992, pp. 9-24.
- ^ H. K. Bell, "Administrative Numbering and Alternate Histories", Archive Studies Quarterly, Vol. 18, No. 4, 1997, pp. 201-230.
- ^ 国立量子史料館 編『世界線・〇〇八 研究年報』第8巻第8号, 2008, pp. 8-88.
- ^ 小林 由季『注記圧の発生とその抑制』つくば文化研究所報, 2003, pp. 13-29.
- ^ Margaret A. Thornton and Keiji Watanabe, "The Social Life of Branch Eight", East-West Archive Review, Vol. 21, No. 1, 2001, pp. 5-31.
- ^ 内閣府文化記録局『世界線管理の手引き(第8仮定)』公文備考, 1998.
- ^ 佐伯 直人『八番目の世界と八個の弁当』社会構造叢書, 2005.
外部リンク
- 国立量子史料館デジタルアーカイブ
- 世界線番号研究会
- つくば仮想歴史センター
- 八番世界線資料室
- 平成オカルト年鑑