中世日本方言(ラテン語)
| 名称 | 中世日本方言(ラテン語) |
|---|---|
| 別称 | 寺院ラテン、港湾方言ラテン体 |
| 成立時期 | 13世紀末 - 15世紀中葉 |
| 使用地域 | 京都、奈良、博多、瀬戸内沿岸 |
| 使用者層 | 修道僧、通訳、帳簿奉行、港湾商人 |
| 文字体系 | ラテン文字、変体仮名、算用数字 |
| 主な資料 | 寺院勘定簿、航海日誌、説教写本 |
| 消滅 | 16世紀後半に急速に衰退 |
| 影響 | 近世港湾隠語、宗教語彙、文書作法 |
中世日本方言(ラテン語)(ちゅうせいにほんほうげん らてんご)は、末期からにかけて、・・の寺院ネットワークで用いられたとされる、を基層に持つ特殊な方言体系である。後世の国学者からは「海を渡ってきた活版以前の標準語」とも呼ばれた[1]。
概要[編集]
中世日本方言(ラテン語)は、伝来以前から日本列島の一部で用いられていたとされる、きわめて特殊な混成言語である。現代の言語学では、の語順を保ちながら日本語の助詞体系を取り込んだ「逆輸入的方言」と位置づける説が有力である[2]。
この方言は、とくにと港湾商人のあいだで実務言語として発達したとされる。文書では「主格を述語の後ろに置く」構文が多く、また祈祷文の末尾に「amen あり」と結ぶ用法が特徴的である。なお、の古記録には、荷札に「vinum 五十樽」などの表記が見られるが、その解釈については学界で長く争われてきた[3]。
今日では主に古文書研究室およびの周辺研究者によって再評価が進んでいる。ただし、復元発音のなかには「母音調和が風に整えられすぎている」との批判もあり、全体像には依然として不明点が多いとされる。
名称と定義[編集]
「中世日本方言(ラテン語)」という名称は、末期にの言語学者・斎藤義綱が、博物館収蔵の木簡群に付した仮称に由来するとされる。斎藤は当初これを「港務ラテン俗語」と呼んでいたが、後年の論文で「日本方言の一種として扱うのが妥当」と書き換えたため、現在の名称が定着した[4]。
定義上はラテン語系語彙が日本語の音韻規則に適応し、さらにの影響で助詞と敬語が再編された言語変種を指す。もっとも、実際には純粋なラテン語文書は少なく、九割以上が寺院会計や通行証などの実務文書である。そのため、研究者の間では「言語」よりも「記録様式」だったのではないかという指摘もある。
一方で、瀬戸内の船乗りが用いた簡略形は「二十七語で税関を通れた」とまで伝えられ、の検断役が半ば公用語扱いしていた形跡もある。こうした事情から、文法の整合性よりも実用性が優先された体系であったとみなされている。
歴史[編集]
起源説[編集]
起源について最も広く知られているのは、末にへ来航した一団の修道士が、現地の通詞に航海用語を教える過程で成立したという説である。彼らは号級の巡礼船で来たとする記録もあるが、船名の初出はの写本に限られ、真偽は確かではない。
ただし、の寺院文書には、すでにの時点で「porta」「temple」「米三石」の混在した一覧が確認されるとされる。これを根拠に、起源はむしろ内発的であり、外来語彙は後から整えられたとみる研究もある。もっとも、その一覧の第四行目だけ筆跡が異常に美しいため、後補と考える向きも強い。
最盛期[編集]
最盛期は中期、の三箇院との商人座が連携した代であるとされる。この時期には、寺院の講堂でラテン語の祈祷句と日本語の商談句を交互に唱える「二重朗誦」が盛んになった。記録上は一回の取引に平均14分34秒を要したが、慣れた者は7分台で終えたともいう。
また、ではこの言語を用いた帳簿が好まれ、重量単位の表記に「libra」「貫」「斤」が混在した。ある年の輸入香木の台帳では、のうちだけが「sanctus」と記されており、税が軽減された形跡があるという。なお、この「sanctus」は神聖性を示す語ではなく、「傷みの少ない良品」を意味したとする説が有力である。
衰退と断絶[編集]
衰退は後半、系宣教師の文書慣習と衝突したことで加速したとされる。とくにの「京港文書整理令」以後、寺院が独自の混成ラテン語を公文書から外したことが大きい。これにより、旧来の方言は港湾の下層労働者と一部の写本職人にしか残らなかった。
後には、軍役帳の統一を進めるため「ラテン註記の使用は補助的なものに限る」とする通達が出されたとされる。もっとも、この通達の末尾に「si utiliter」と書かれていたことから、完全な排除ではなかったとも解釈されている。結果として、初頭までに日常使用は途絶えたが、祈祷歌の一節と航海用号令だけは方面に残存した。
文法と音韻[編集]
この方言の音韻は、ラテン語の子音体系を保ちながら、日本語的な開音節化が徹底した点に特色がある。たとえば /ct/ はほぼ例外なく「kuto」に変化し、/gn/ は「ny」に近く発音されたと推定されている。これにより、標準ラテン語の「agnus」が文書上は「anyusu」と記されることがあった。
文法面では、格変化が弱まり、助詞「no」「ga」「ni」に相当する粒子が付加されたとされる。もっとも、三人称複数の扱いは地域差が大きく、では敬称を伴うのに対し、では商用の便宜から無標で済ませる傾向があった。研究者の一部は、これを「海上版の尊敬語崩壊」と呼んでいる。
また、数詞体系は非常に実務的で、7以上の数字には由来の記号が併用された。港湾帳簿では「VII」と「七」を同一行に書く例が多く、これが後代の符牒文化に影響したとされる。
社会的役割[編集]
中世日本方言(ラテン語)は、単なる学問用語ではなく、身分や信用を可視化する装置でもあった。寺院と商人のあいだでこの方言を読み書きできる者は、帳簿の改竄に強いとみなされ、実際にの取引所では「ラテン読み可」の札が信用格付けのように扱われたという。
また、訴訟文書に混成ラテン語が使われると、相手方は内容を完全には解読できず、和解が早まることがあった。これを俗に「半分だけ神聖な書式」と呼ぶ地域もあり、では婚姻契約にまで転用された例がある。なお、婚姻誓約の末尾に「et cetera」と書くと縁起がよいとされたのは、この地方のみの風習である[要出典]。
社会史的には、識字層の拡大よりも、むしろ中間実務層の専門化を促した点が重要である。すなわち、僧侶でも武士でもない者たちが、翻訳と会計を媒介に独自の権威を得たのである。
研究史[編集]
近代研究の端緒は、の古書肆で発見された「海陸勘定異本」にある。これを見たは、当初は偽作と判断したが、紙背に残る香料の成分がの潮気と一致したため、態度を保留したと伝えられる。
戦後にはの観点から再評価が進み、からにかけて・・の共同調査が行われた。調査班は沿岸部の旧家から計48点の文書を集め、そのうち17点に「ラテン語の訓点」が確認されたと報告した。ただし、14点は子どもの落書きと区別がつかないという注記もあり、報告書は妙に誠実である。
に入ると、デジタル画像解析により「同一筆者が月ごとに語尾を変えていた」ことが示唆された。これは方言変異ではなく、会計締めの都合で毎月ひらがな数を調整していた可能性があるとされる。
批判と論争[編集]
最大の論争は、この方言が本当に言語体系だったのか、それともの秘匿帳式だったのかという点にある。批判派は、音韻規則が地域ごとにバラバラであり、再現発音が研究者ごとに違いすぎると指摘している。とくにの学会では、同一語「dominus」の読みが三派に分裂し、会場の発表時間が40分押したという。
また、由来の外来語彙が多すぎるため、実際には以降の知識人が後付けで整形したのではないかという疑いも根強い。これに対し擁護派は、港湾社会では「未来の語源が過去を整える」ことは珍しくないと反論している。もっとも、この反論は一部の研究者から「便利すぎる説明」として退けられている。
さらに、博多の一部資料に見られる「pax rice」のような表現は、平和条約ではなく「飯がよく炊ける状態」を意味するという解釈が提出されているが、これに対しては現在も賛否が分かれる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 斎藤義綱『海陸勘定異本考』東京帝国大学文科大学出版部, 1912.
- ^ Margaret A. Thornton, "Port Latin and the Inland Scribes," Journal of Medieval Contact Linguistics, Vol. 18, No. 2, 1964, pp. 112-149.
- ^ 渡辺精一郎『中世港湾文書における混成語法』国語学研究会, 1958.
- ^ Hiroshi Kanda, "Amen in the Rice Ledger: Liturgical Particles in Japanese Latin," Transactions of the Asiatic Philological Society, Vol. 7, No. 1, 1971, pp. 3-28.
- ^ 小島春海『京都三箇院と外来語の会計実務』平凡社, 1989.
- ^ Thomas E. Holloway, "A Grammar of the So-Called Medieval Japanese Dialect (Latin)," Bulletin of the Kyoto Comparative Philology Institute, Vol. 12, No. 4, 2002, pp. 201-260.
- ^ 国立歴史民俗博物館編『港のことばと寺のことば』吉川弘文館, 2011.
- ^ 松浦久三『ラテン註記の誤読とその社会的効用』岩波書店, 1976.
- ^ Émile de Sôma, "Les chiffres du Kōshō: un dialecte impossible," Revue d'Études Japonaises, Vol. 33, No. 4, 1987, pp. 55-91.
- ^ 藤原理子『中世日本方言(ラテン語)復元試論』勉誠出版, 2020.
外部リンク
- 国立古混成語アーカイブ
- 京都港湾文書研究会
- 中世ラテン方言データベース
- 寺院勘定簿デジタル校訂室
- 瀬戸内海文書博覧会