中里大学4番館306号室
| 名称 | 中里大学4番館306号室 |
|---|---|
| 別名 | 306号室、三〇六研究区画、四番館306 |
| 所在地 | 東京都中野区中里一丁目 |
| 所属 | 中里大学学務局特殊室管理課 |
| 用途 | 研究・実験・合宿・学内調整 |
| 完成 | 1968年 |
| 重要人物 | 大槻玲二、三浦みさ子、ハロルド・J・ケイン |
| 床面積 | 約18.4平方メートル |
| 保存状況 | 現存、ただし2021年以降は予約制 |
中里大学4番館306号室(なかざとだいがくよんばんかんさんびゃくろくごうしつ)は、の私立4番館3階に設けられた特殊研究室、またはその管理区画を指す呼称である。20世紀後半に成立した「部屋単位研究」の中心地として知られ、特にとの境界領域に大きな影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
中里大学4番館306号室は、4番館の3階西端にある小部屋で、大学史上もっとも多機能な空間の一つとされる。通常はゼミ室として扱われるが、時期によってはの臨時事務局、学内放送の副調整室、あるいは古典的な研究の試験区画として使われた。
この部屋が注目された理由は、部屋そのものの狭さではなく、同じ18.4平方メートルの中で年間平均12.7件の制度実験が行われた点にある。とくに1960年代末から1980年代初頭にかけて、廊下側の窓に貼られた方眼紙を用いた「壁面座標管理法」が話題となり、後のにおける教室運用モデルへ影響を与えたとされる[2]。
名称の由来[編集]
「306号室」という呼称は単なる部屋番号ではなく、元来はの建物配置計画で用いられた仮符号「3-06」が転用されたものであるとされる。当初は3階6番目の区画を示すだけの記号であったが、1969年に学内報『中里学報』が誤って「306研究室」と表記したことから、部屋全体が研究施設として半ば独立した存在になった。
なお、4番館は正式名称ではなく、設計担当者が第4案として提出したことに由来する通称である。後年の聞き取りでは、当時の建築主任・が「第4案は最初から採用するつもりだった」と述べたとされるが、設計図の余白には明らかに鉛筆で『第4案、最終的に採用の見込み薄し』と書かれており、真偽は不明である[3]。
歴史[編集]
設置以前の経緯[編集]
前史として、1950年代後半の一帯では、急増する学生数に対し教室が不足し、物置を改装した「臨時学習区画」が多数存在した。306号室の前身は、もともと理事会資料を保管する倉庫であったが、倉庫内の温湿度が安定していたため、ゼミが冬季のみ使用を開始したとされる。
この運用の過程で、机を壁に寄せると音響が改善することが偶然発見され、1966年には「角部屋の教育効果に関する予備観測」が実施された。参加者34名のうち29名が「狭い方が集中できる」と回答したが、同時に11名が「窓の外の銀杏がうるさい」と述べており、学術的には非常に中途半端な結果であった。
黄金期[編集]
1968年から1977年にかけて、306号室は中里大学内で事実上の小規模研究所として機能した。この時期の主任はで、彼は黒板を三分割し、左を理論、中央を反省、右を雑談と定義したことで知られる。これにより会議が妙に長引く一方、参加者の発言満足度は非常に高かったという。
1972年には、同室で開発された「回転机配置法」が学内に普及し、翌年だけで14の教室が同方式に改装された。もっとも、机を回転させすぎた結果、1年に2回ほど出入り口の向きが逆転した教室が発生し、学生課から注意文書が出されたこともある。
制度化と衰退[編集]
1980年代に入ると、306号室は研究室というより学内調整のための準公的空間として扱われるようになった。特にが導入した「予約二重帳簿制」は、表向きの会議予定と実際の集会の両方を管理する仕組みで、混乱防止に役立った反面、来室者の52%が「どこに来たのかわからない」と回答したという。
一方で、1984年の校舎改修時に空調工事が遅れたため、306号室は3週間にわたり仮設の毛布管理体制で運用された。このとき、学内史上唯一とされる「毛布による部屋格付け委員会」が開かれ、部屋の格は当初B+、最終的にA-に引き上げられた。なお、この格付けは現在も内部資料として保管されているが、誰も読み方を覚えていない。
構造と運用[編集]
306号室の室内は、一般的なゼミ室よりやや細長く、南側に幅1.8メートルの窓がある。机は最大で7台、椅子は常設で16脚、臨時で22脚まで増設可能とされた。壁面には消耗の激しい掲示板が2面あり、片方は正式議題、もう片方は「後で考える事項」に充てられていた。
運用上の特徴として、入室時にの簡易スタンプを押す慣例があった。スタンプの印影が薄い回は議論が長引く、濃い回は結論が早いという奇妙な相関が報告され、1975年の内部文書では「印圧と合意形成の相関係数0.81」と記されているが、計算式は現存しない[4]。
社会的影響[編集]
306号室の影響は学内にとどまらず、近隣の文化にも波及した。周辺の喫茶店では「306席」と称して四人掛けの机を一人で使わせる制度が流行し、1980年ごろには『306方式』という言葉が「狭いが妙に落ち着く」という意味で若者言葉として使用されたとされる。
また、の分野では、空間の広さよりも会議の設計が成果を左右するという「室内制度主義」の議論が活発化した。これに対して一部の建築学者は「それは単に換気が悪いだけである」と批判したが、306号室支持派は「換気もまた制度である」と応酬し、論争は8年続いた。
批判と論争[編集]
もっとも、306号室をめぐっては批判も多い。第一に、同室に関する記録の多くが学内新聞と回想録に依存しており、実証性に乏しいと指摘されている。第二に、1970年代後半に作成された「306号室実験年表」には、存在しないはずの2月30日が2回記載されており、後世の研究者を悩ませてきた。
さらに、1987年の公開討論会では、当時の副学長が「306号室は教育史上の革新ではなく、単なる掃除当番の成功例に過ぎない」と発言し、会場が静まり返ったという。この発言は議事録に残るが、翌日の風の学内号外では、なぜか「掃除当番こそ教育の核心」と要約されており、解釈はなお分かれている。
現状[編集]
現在の306号室は、の管理下にあり、平日は予約制で一般公開されている。内部には当時の机、黒板、スタンプ台のほか、なぜか1980年代の加湿器が1台だけ稼働している。資料館の説明板では、同室を「大学が空間を制度へ変換した稀有な事例」と位置づけている。
一方で、夜間になると廊下側の蛍光灯が必ず3回だけ点滅することから、学生の間では「まだ会議を終えていないのではないか」と語られることがある。これについて管理側は「電圧の問題」であるとしているが、毎年11月の文化祭前夜だけは来館者の通過率が異常に低いという報告もあり、俗説は根強い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大槻玲二『306号室と合意形成の技法』中里大学出版会, 1978年.
- ^ 三浦みさ子「予約二重帳簿制の運用実態」『教育空間研究』Vol.12, No.3, pp.44-61, 1985年.
- ^ Harold J. Kane, "The Spatial Politics of Room 306," Journal of Campus Sociology, Vol.8, No.2, pp.101-129, 1979.
- ^ 小宮山善一『第四案の建築学』北関東建築叢書, 1971年.
- ^ 佐伯和雄「角部屋の集中効果に関する予備観測」『中里大学紀要』第23巻第1号, pp.7-19, 1967年.
- ^ Margaret L. Finnegan, "Chalkboards and Bureaucracy in Postwar Japan," Studies in Educational Environments, Vol.5, No.4, pp.201-224, 1988.
- ^ 中里大学学務局特殊室管理課『四番館306号室管理年報1968-1992』内部資料, 1993年.
- ^ 山本啓一『毛布による部屋格付け委員会の記録』中里文化研究社, 1986年.
- ^ 田中美砂「印圧と合意形成の相関」『学内行政レビュー』第7巻第2号, pp.33-40, 1976年.
- ^ Robert P. Ellery, "When a Closet Becomes a Seminar Room," Comparative Higher Education Review, Vol.19, No.1, pp.55-73, 1991.
外部リンク
- 中里大学附属資料館デジタルアーカイブ
- 四番館306号室保存会
- 学内空間史研究フォーラム
- 室内制度主義研究ネットワーク
- 中里学報電子版