主主主
| 分野 | 日本のポップカルチャー用語 |
|---|---|
| 別名 | 主題歌過剰自己言及(通称) |
| 読み | しゅしゅしゅ |
| 性格 | 青春ラジメニア/投稿語 |
| 成立期 | 1990年代後半(とされる) |
| 主な場 | 深夜ラジオの投稿コーナー |
| 拡張先 | 楽曲レビュー、創作短文 |
| 関連語 | 主主/題題/歌歌 |
主主主(しゅしゅしゅ)は、「主題歌主題歌した主題歌」の略として扱われる青春ラジメニア用語である[1]。当初はラジオ番組の投稿文化で流行したが、やがて音楽評論や自己言及的な文章遊びへ拡張された[2]。
概要[編集]
は、青春ラジメニア用語として知られる略語であり、「主題歌主題歌した主題歌」の頭音を重ねたものと説明される[1]。
形式としては「“主題歌として主張している主題歌”を、さらに主題歌として語り直す」ための言い回しであるとされ、投稿者が“自分の感情を主題化した”ことを示す記号として機能したとされる[3]。そのため、単なる賛辞ではなく、主題歌を主題歌として語るというメタな熱量が特徴である。
一方で、発端がラジオのはがき投稿であったという伝承もあり、の「おたより紹介」欄で毎週同じ語が投げ込まれたことが、結果として辞書的な定着に結びついたと推定されている[4]。
当時の編集部は、意味を厳密に固定するよりも“現場の温度”を残すことを優先したため、表記揺れ(主主主/しゅしゅしゅ/SHUSHUSHU)が複数派生したと記録されている[2]。
語形成と背景[編集]
発明者は誰か(とされる)[編集]
語形成の中心人物として、放送作家のがしばしば言及される[5]。小笠原は系の助成プログラムに関わっていた“若手音韻設計者”として自称していたが、当時の会話メモには「主題歌を主題歌として“食べる”感じ」としか残っておらず、決定打は別の誰かの口癖だった可能性が指摘されている[6]。
ただし、別系統の証言として、深夜番組『窓の向こうで主題歌が泣く』の投稿採用率が極端に高いリスナー群が先行していたともされる[4]。その中にの学生サークル「第三文芸委員会」が関与していたという噂があり、実際に委員会の通信には「主主主は“合唱の予告”である」という短文が掲載されている[7]。
さらに、語の“主”が三つ揃う点について、当時のラジオ投稿が平均文字数を守る必要があり、最短で熱量を表せるために「主×3」が最適化された、とする計算論的な見解もある[8]。もっともこの計算は、通信の余白(行間)を含めた“体裁”まで考慮したと書かれており、真偽は別として物語としては説得力がある。
なぜ「主題歌主題歌した主題歌」だったのか[編集]
略語の元フレーズ「主題歌主題歌した主題歌」は、番組が扱っていたテーマ(青春、喪失、再起)が“主題歌によって語られる”形式をとっていたことに対応していると説明される[9]。
当時、放送ではキャッチーな曲紹介のあとに、リスナーの体験談が3段階(導入→発作→回収)で整理されており、その最終回収パートで「結局この主題歌、主題歌してたね」という定型が使われていたとされる[10]。
その定型が、さらに翌週には「主題歌が主題歌した主題歌だった」と変形し、最終的に“語りの語り”を固定するための略語「主主主」が生まれた、という筋書きが最も知られている[1]。
なお、架空の一次資料としての倉庫から見つかったとされる「放送作法の手引き(仮)」には、主主主の用法が“毎分2.3回、息を整えるタイミングに相当する”とまで書かれている[11]。この数字は現実の呼吸速度とも整合しないが、当時の編集者が「比喩を比喩として管理した」可能性を示す逸話として語り継がれている。
歴史[編集]
第一期:投稿コーナーの熱量記号(1997〜1999年)[編集]
が最初に広まったのは、のローカル局が運用していた“リスナー採用枠”が、週あたり固定 1,120通という目標を持っていた時期であるとされる[12]。
1997年の番組報告では、採用枠のうち“同一語反復で温度が測れる投稿”が全体の 14.8%を占めた、と記録されている[13]。ここでいう同一語反復の中心語が主主主であり、番組スタッフは「熱量の再現性」を高く評価したとされる[14]。
この時期の面白いエピソードとして、投稿が採用されると「主主主バッジ」が送られたが、バッジの台紙が毎回同じ詩的短文(『主題歌は背中を押すのではなく、押された背中を売り物にする』)だったため、リスナーが“背中の転売”を揶揄するスレッドを立てたとされる[15]。結果として語が増殖し、主主主は“褒め言葉”から“語り方の癖”へ移行した。
第二期:音楽評論への侵入(2000〜2004年)[編集]
2000年ごろ、音楽誌の編集に携わっていたが、ライブレポートの欄で主主主を「感想の整形規格」として導入したとされる[16]。同氏は、主語を曖昧にしつつ熱だけ残る語法が、読者の自己投影を誘発すると考えたという[17]。
この段階では、主主主が用いられる条件が“曲のサビでサビ以外が鳴る瞬間”に限定されていったと説明される[18]。たとえば、コーラスが入る小節番号が 32小節目の作品は「主主主圏」と分類された、とする資料が出回った[19]。
さらに、の関連会議で「若年層の音声文化の読み解き」議題が立ち、用語が統計の補助変数として扱われた、という噂がある[20]。実際に議事録要旨は存在したとされるが、添付の円グラフに“主主主”だけが三色で塗られていたため、会議関係者の間で「それは指標というよりファッションだ」と笑われた、とも伝えられている[21]。
第三期:自己言及的な青春文体(2005年以降)[編集]
2005年以降、主主主は放送の外へ出て、個人ブログや匿名掲示板の創作短文で多用されるようになった[22]。特に、青春の感情を“曲紹介の文体”へ変換する作法として、短文の末尾に「主主主」と添える形式が流行したとされる[23]。
一部では、主主主を「歌の感想に見せかけた、当人の告白コード」と捉える見方も現れた[24]。この解釈が広がった背景には、2008年頃に系の特集番組が“主題歌が人を追いかける仕掛け”を取り上げたことが影響したとされる[25]。
ただし批判側は、主主主が“青春を商品っぽくする”と反発していた。実際に「主主主」という語が入った文章を任意サンプル 500件集計したところ、本文中の“私”が 6.2%減り、かわりに“主題歌”が 9.7%増えた、という趣味の統計が引用されることがある[26]。この数値は厳密性に欠けるが、当時の編集者が「変化が見えないなら、見えるように見せる」と言っていたため、むしろ信憑性が増したという逆転の事情がある[27]。
用法と特徴[編集]
主主主は、文章内で単独でも機能するが、多くの場合は文末または括弧の中で用いられるとされる[28]。たとえば「泣いた。主主主」という極短文から、「主題歌の良さが、主題歌を良くした主主主」まで、自己言及の濃度で使い分けられると記述される[29]。
語法の特徴として、(1)主語を曖昧にして主観の熱量だけを残す、(2)“主題歌”という語を再帰的に増やす、(3)最後に「主主主」で着地させて読者に合図を送る、という三点が挙げられる[30]。
また、ラジオ文化では“採用されやすい投稿は一度だけ主題歌に触れ、もう一度だけ自分に触れる”という回し方があったため、その型に合わせた用法が発展したともされる[31]。このため、主主主は感想ではなく“投稿の呼吸”として扱われることがある。
さらに、例外的な逸話として、の古書店で販売された「青春ラジメニア手帖 第3版」には、主主主を使う位置が“右端から13文字以内”と書かれていた[32]。数学的に読むと破綻するが、体裁への執着が当時の共有感覚だったことを示す資料として引用されている。
社会的影響と受容[編集]
は、音楽を聴く行為そのものよりも、“語る形式”に影響した用語であったと評価されている[33]。すなわち、作品理解の速さではなく、感情の整形を早める方向に作用したとされる。
その結果、青春ラジメニア周辺では「感想の正しさ」よりも「感情の配置」が重視されるようになったという指摘がある[34]。たとえば、作品が良いかどうかではなく、どのタイミングで言葉が跳ねたかが評価され、主主主はその判定語として機能したとされる[35]。
一方で、教育現場でも“メタ言語としての表現”が話題になった。特定の授業では、生徒に「主題歌主題歌した主題歌」を自作させ、言語の再帰構造を体感させたという架空の実践報告が、後年にまとめられている[36]。報告書はの名義で出たとされるが、実際の公印が見当たらないため、出どころは議論の対象となった[37]。
それでも、語が持つ“青春の過剰な自己要約”が共感を呼び、後の若年層のネット文体(末尾の合図、定型の反復)にも影響したとする見解がある[38]。
批判と論争[編集]
主主主には、称賛と同等かそれ以上の批判も存在した。批判者は、主主主が“作品を語る代わりに、語る自分を強調する”ため、鑑賞の視野が狭まると主張したとされる[39]。
また、主題歌を三重に自己増殖させるため、歌詞の具体性が削られるのではないかという懸念が指摘されている[40]。実例として、ある集計では主主主を含むレビューの平均語数が 220語で、含まない場合の 315語より短かったとされる[41]。ただしこの集計は匿名ブログ横断の手作業であり、方法論の妥当性は「現場の勢い」として扱われることが多い[42]。
さらに、倫理面の論争として「主主主は告白の偽装である」という見方が流行したことがある[43]。この見方は一部で誇張されたが、主語をぼかす癖が誤読を誘発するという反省につながったと説明される[44]。
そして最終的に、用語の“過剰抽象化”が進んだ結果、若年層が主主主を逆に使わなくなる周期が訪れたともされる[45]。この循環を説明する最も皮肉な俗説として、「主主主を言い切った瞬間、人は次の季節に逃げる」とする投稿が残っている[46]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯マヤ『青春ラジメニア用語集』誠文堂新光社, 2001.
- ^ 小笠原純一郎『主題歌を三重に折りたたむ方法』音韻研究所, 2003.
- ^ 山根眞樹『感想の整形規格—主主主から始まる文章設計』講談社, 2006.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton “Recursive Fandom Phrases in Japanese Late-Night Radio” Journal of Pop Lexicon, Vol.12 No.4, pp.51-78, 2008.
- ^ 田中灯里『深夜放送の“熱量指標”と投稿採用』日本放送文化学会紀要, 第7巻第2号, pp.33-60, 2010.
- ^ Catherine V. Rios “On the Triple-Headed Compliment Structure” International Review of Music Discourse, Vol.9, pp.201-219, 2012.
- ^ 『放送作法の手引き(仮)』私家版編集室, 1998.
- ^ 楠本瑛里『用語は季節を持つ—主主主の周期性』青灯社, 2015.
- ^ —『青春ラジメニア統計資料 第3号』文化庁特別報告, 2017.
- ^ 高橋慎二『言葉が合図になるまで:末尾定型の進化』中央音声出版, 2020.
外部リンク
- 主主主アーカイブ
- ラジメニア投稿図書館
- メタ感想研究所
- 主題歌定型辞典
- 夜更けの音韻ベンチ