亜睡眠時間
| 分野 | 睡眠学、時間生理学、民俗心理学 |
|---|---|
| 提唱 | 北里臨床睡眠研究会 |
| 初出 | 1934年ごろ |
| 主な研究地 | 東京都文京区、神奈川県鎌倉市、長野県諏訪郡 |
| 関連装置 | 位相紙式微眠計 |
| 代表的指標 | 亜睡眠率、夢前遅延、覚醒残響 |
| 通称 | アスイ時間 |
| 社会的用途 | 労務管理、航海当直、試験前の自己申告 |
| 批判 | 測定不能性と再現性の低さが指摘されている |
| 備考 | 一部の記録では「眠っていないのに夢を見た時間」を含む |
亜睡眠時間(あすいみんじかん、英: Subsleep Interval)は、睡眠に入る直前から夢の像が定着するまでのあいだに観測される、きわめて短い準覚醒状態の総称である。主に前半ので定義が整えられ、のちにとの境界領域として扱われるようになった[1]。
概要[編集]
亜睡眠時間とは、完全な睡眠にも完全な覚醒にも属さない、境界的な時間帯を指す概念である。研究者の間では、に相当するほど短い場合もあれば、以上つづくとされる例もあり、測定条件によって値が大きく変動するとされている[2]。
この概念は、当初はの小児科病棟で観察された「寝つきの前に妙に長く見える数分」を説明するために導入されたとされる。その後、の療養施設や周辺の旅館での聞き取りが加わり、民間療法の語彙と学術語が混ざった独特の定義へと発展した。
なお、亜睡眠時間は一見するとの前段階に近いが、初期の研究ではむしろ「起きたまま布団の中で過去の記憶を整理する時間」と説明されていた。このため、睡眠学の外縁にある半分実務、半分迷信の領域として扱われてきた。
定義と測定[編集]
亜睡眠時間の定義は、時代によって大きく異なる。1930年代の北里臨床睡眠研究会では、「就床後、眼球運動が消失し、主観的な時間感覚が著しく伸長するまでの区間」とされたが、1952年の改訂では「外部刺激に対して返答は可能だが、返答の内容が前夜の夢に引きずられる区間」に変更された[3]。
測定にはが用いられたとされる。これは、枕元に置いた感圧紙と、時計文字盤を模した回転円盤を連動させる装置で、被験者が寝返りを打つたびに「睡眠前兆線」が記録される仕組みである。もっとも、紙の湿気で誤差が生じやすく、ある調査では同一人物でもからまでの差が出たという[4]。
一方で、農村部では「夢が入ってくる隙間」と呼ばれ、時計ではなく茶碗の欠けや蚊帳の揺れで判定された。こうした地方差の存在は、亜睡眠時間が純粋な生理現象ではなく、生活文化に依存した時間概念でもあったことを示しているとされる。
歴史[編集]
起源[編集]
亜睡眠時間の原型は、末期にの周辺で流行した「微睡(まどろみ)観測会」に求められるとされる。中心人物は内科医ので、彼は患者が眠りに落ちる瞬間にだけ見せる手の震えを、時間の層が一枚はがれる現象として記述した。
1934年、山岡はの臨床記録に「亜睡眠時間」という語を仮記載したとされるが、原本は戦災で焼失し、現存するのは書簡の写しのみである。そこには「眠気は測るべきであり、しかも測られたがる」と書かれていたと伝えられる[5]。
普及と制度化[編集]
20年代に入ると、亜睡眠時間は労務管理の現場に輸入された。特にの夜勤監督官たちが、船員の「返事は速いが顔だけ遅い」状態を説明するために用いたことで知られる。1957年にはの非公開通達において、夜間従事者の自己申告欄に「亜睡眠時間の有無」を設ける案が出されたという。
この制度化に関わったのが、労働心理学者のと、統計官僚のである。ソーンはの睡眠研究会から招かれた交換研究員で、亜睡眠時間を「産業化されたまどろみ」と呼んだ。高橋は逆に、これを「残業の詩学」と表現し、委員会で奇妙に高く評価されたという。
民間への浸透[編集]
1960年代後半になると、亜睡眠時間は受験産業と温泉旅館業界に広がった。予備校では「亜睡眠時間を3分以内に圧縮せよ」という標語が掲げられ、一部の講師は入眠直前の暗記を推奨した。これにより、学生がノートを枕として使用する事例が相次いだ。
また、の諏訪地方では、旅館が「亜睡眠時間が長い客ほど朝食の味噌汁をよく褒める」という経験則を販促に利用した。1978年には、ある老舗旅館が宿泊客1,204人を対象に独自調査を行い、亜睡眠時間が12分を超えた客の満足度が平均18.6%高いと発表したが、同時に「測定は女将の勘による」と注記されていた[6]。
研究と応用[編集]
1970年代から1980年代にかけて、亜睡眠時間はの周辺概念として再評価された。とくにの私設研究室で行われた「階段入眠試験」では、被験者が10段の階段を降りるあいだに発生する微小な意識遷移が、夜間の亜睡眠時間と相関する可能性が示唆された。
応用分野として最も大きかったのは航海である。船舶会社では、当直者が「亜睡眠率」を申告し、一定値を超えると自動でに送られる仕組みが試験導入された。もっとも、導入初週に3名が仮眠室ではなく貨物倉へ行ってしまい、翌日の報告書には「移送先の誤認は亜睡眠時間の副作用として扱う」と記されたという[7]。
さらに、1980年代末には教育心理の領域で「試験前亜睡眠訓練法」が提案された。これは、眠る直前に単語帳を3回だけ読むことで夢への定着率を高めるという方法で、の研究会で一度だけ紹介されたが、実施校からは「生徒が全員、教科書を抱いたまま寝るようになった」との報告があり、以後は静かに消えた。
社会的影響[編集]
亜睡眠時間は、単なる学術概念にとどまらず、生活規範の指標としても機能した。新聞の健康欄では「良質な亜睡眠時間を確保するため、就床30分前には電話を切るべきである」といった記事が繰り返し掲載され、一般家庭でも「今日は亜睡眠が長かった」という表現が使われるようになった。
一方で、企業の人事評価にまで流入したことがある。1983年、首都圏の印刷会社で、深夜勤務者の「亜睡眠自己申告票」が昇給査定に反映される事件があり、従業員組合が「眠気の私物化」であるとして抗議した。これを受け、は「亜睡眠時間は労務管理の補助指標にすぎない」とする見解を出したが、現場ではその後も半ば慣習的に使われた。
また、民俗学の側からは、枕元に塩を置く、時計を裏返す、脱いだ靴下をそろえるといった行為が亜睡眠時間を安定させるとの俗信が記録されている。これらは学術的根拠が薄いものの、地方誌では今も「入眠の礼法」として紹介されることがある。
批判と論争[編集]
亜睡眠時間に対する最大の批判は、その測定不能性にある。測定器具や聞き取り法が統一されておらず、研究者によっては同じ現象を「前睡眠」「半夢」「眠前残響」と呼び分けていたため、比較可能なデータが極端に少ないとされる[8]。
また、1989年に発表されたの論文では、被験者の自己申告と観測者の記録が一致した例は全体のにすぎず、残りは「話している途中で寝た」「寝たのに返事が具体的すぎた」などの理由で除外された。これにより、亜睡眠時間研究は一時「再現できる迷信」とも呼ばれた。
ただし、支持者はこれを欠点ではなく「現象そのものが恥ずかしがり屋であるため」と説明する。実際、ある研究会の議事録には「亜睡眠時間は観測されると短くなるため、記録が少ないのはむしろ健全である」とあり、反対派の学者を激怒させたという。この一文は現在でも引用されることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山岡精之助『亜睡眠時間の臨床的諸相』北里臨床叢書, 1936.
- ^ 高橋善太郎『夜勤労働と亜睡眠率』運輸経済研究会, 1958.
- ^ Margaret L. Thorne, 'Subsleep Interval and Industrial Fatigue', Journal of Temporal Physiology, Vol. 12, No. 3, pp. 44-71, 1961.
- ^ 北里臨床睡眠研究会編『位相紙式微眠計の設計と運用』内報第4号, 1964.
- ^ 佐久間透『夢前遅延の統計学』東都睡眠年報, 第8巻第2号, pp. 113-129, 1974.
- ^ Eleanor W. Pike, 'The Subsleep Interview Method: A Field Note from Kamakura', Sleep Culture Review, Vol. 7, No. 1, pp. 9-22, 1979.
- ^ 諏訪地方旅館組合『宿泊満足度における亜睡眠時間の影響』観光実務資料, 1980.
- ^ 日本労働衛生協会編『深夜作業における自己申告制度の限界』技術資料第18号, 1984.
- ^ 中村由紀『半夢現象の比較民俗学』民俗と時間, 第3巻第5号, pp. 201-216, 1991.
- ^ Robert J. Halloway, 'On the Ethics of Measuring Drowsiness', The Quarterly Review of Sleep and Shame, Vol. 2, No. 4, pp. 1-19, 1993.
外部リンク
- 北里臨床睡眠研究会アーカイブ
- 東都睡眠年報デジタル版
- 諏訪民間時間学資料室
- 日本亜睡眠時間協議会
- 時間生理学市民講座ライブラリ