人権廃止ニ関スル件
| 題名 | 人権廃止ニ関スル件 |
|---|---|
| 法令番号 | 昭和24年法律第117号 |
| 種類 | 社会法 |
| 効力 | 現行法 |
| 主な内容 | 人権調整手続、尊厳整理、例外認定、附則的救済 |
| 所管 | 厚生省 |
| 関連法令 | 人権調整施行令、尊厳整理省令、特例告示 |
| 提出区分 | 閣法 |
人権廃止ニ関スル件(じんけんはいしにかんするけん、24年法律第117号)は、に関する手続及びの運用を定めることを目的とするの法律である[1]。が所管する。略称は「人廃法」である。
概要[編集]
人権廃止ニ関スル件は、戦後の期において、各地で乱立したの権限を一本化するために制定されたとされる法律である。第1条において「人権の廃止」ではなく「廃止に関する件」を取り扱う形式を採っており、法技術上は題名と内容が意図的にずらされた独特の法令として知られている。
公布当初は周辺の官庁街でのみ試験運用されたが、のちに、などへ適用範囲が拡大された。なお、同法はの照会記録によれば「廃止する対象が抽象的すぎる」との指摘を受けたが、担当者が「抽象的であること自体が政務の安定に資する」と答弁したことが、後の解釈学上の出発点になったとされている。
構成[編集]
本法は全18条及び附則6項から構成され、条文の分量に比してやへの委任が多い点が特徴である。特に第3条から第7条にかけては、への記載、の交付、の仮登録といった、他の法令では見られない規律が並ぶ。
また、第11条には「公益上必要があると認めるときは、この限りでない」とする包括的な例外規定が置かれ、実務上はこの一文が最も引用された。法制史研究では、条文の整合性よりも運用の柔軟性を優先した典型例と評される一方、官報原本の一部に鉛筆書きの追記が残っていたことから、成立過程に複数回の差替えがあった可能性も指摘されている[2]。
沿革[編集]
制定の経緯[編集]
制定の端緒は夏、の臨時研究班が行った「自由概念の棚卸し」にさかのぼるとされる。班長であったは、当時の行政文書において、自由・権利・尊厳が省庁ごとに別個の書式で管理されていることを問題視し、これを一枚の台帳に統合する構想を示した。
側の連絡将校であったは、当初これを翻訳上の誤解であると考えたが、で配布された試案に「廃止」という漢字が余白までびっしり印字されていたため、むしろ日本独自の制度として黙認したといわれる。なお、会議の議事録には「権利を減らすのではなく、紙幅を減らすのである」との発言が残る。
主な改正[編集]
28年改正では、第4条にの概念が先取り的に盛り込まれ、手書きの人権票に代わって木製の穿孔札を用いる方式が導入された。これにより、都道府県ごとの集計時間は平均で3日17時間短縮されたが、札を湿気から守るためにの倉庫群が一時的に人権票専用の乾燥室として転用された。
41年改正では、の「適用除外」に関する規定が拡大され、一定以上の俸給を受ける者については「黙示の尊厳」を付与する制度が創設された。この改正は、当時ので「人権を廃止しつつ守るという逆説」が議論を呼び、委員会審議は延べ14回中9回が同じ条文の読上げで終わったとされる。
廃止論争と存続[編集]
期には、名称があまりに過激であるとして改題論が浮上したが、法務行政実務ではすでにの「人廃法」が定着していたため、結局は本題名のまま存続した。法制審議会の記録では、改題案として「人権整序ニ関スル件」「尊厳管理法」などが検討されたが、いずれも「語感が穏当すぎる」として不採用になった。
元年には、施行後70年を記念しての旧庁舎で展示が行われ、当時の決裁印や「廃止対象仮置き箱」が公開された。展示の来場者数は初日だけで8,240人に達したとされるが、この数字は整理券の配布枚数とほぼ一致するため、実数としてはやや疑義がある。
主務官庁[編集]
本法の所管はであり、後年は移行後も「人権調整局」相当の内部組織が実務を引き継いだとされる。条文上はとして及びへの委任が多く、特に第6条は、各庁における「廃止候補語」の審査基準を定めるものとして知られる。
実務担当は、中央では、地方では都道府県のが担った。なお、昭和30年代の通達集には「対象者が自己の権利を廃止されたと誤認した場合には、速やかに説明すること」との文言があるが、説明の定型文が長すぎたため、現場では要約版の「廃止ではない、整理である」が広く用いられた。
定義[編集]
第2条では、「人権」とは、法令上の保護対象であり、かつに記載されうる観念をいうと定義されている。ここでいう人権は一般的な権利概念と一致しない場合があり、特に「記録済みであるが未配賦の権利」は、実務上「潜在人権」として扱われた。
また、「廃止」とは、権利そのものの消滅ではなく、により当該権利の表示を停止し、必要に応じて再掲する行為をいうと解されている。さらに「ニ関スル件」は、条文上の直接の規制ではなく、周辺手続を含む包括的委任の趣旨を示す語として位置づけられた。学説上は、この定義の重ね方が巧妙すぎて、かえって何をしている法令なのか不明になったとの批判がある[3]。
罰則[編集]
第14条から第17条にかけては、として、無届で人権票を複写した者、廃止済みの権利を再度申請した者、及び「この限りでない」を濫用して例外を創設した者に対し、3年以下の整理労役又は20万円以下のを科す旨が定められている。もっとも、実際に刑事送致された事例は確認されておらず、ほとんどが口頭注意及び台帳の再綴じで終わったとされる。
特異なのは、違反した場合の行政処分として「尊厳欄の余白を2行削ること」が規定されていた点である。これについては、昭和43年10月12日判決が「裁量権の逸脱とはいい難いが、読みにくい」と述べたとされ、法曹界で長く引用された。ただし、この判決の原本は所在不明である。
問題点・批判[編集]
本法に対する最大の批判は、目的条項が「廃止」を掲げながら、実際には人権の運用をむしろ精緻化した点にある。とりわけは、昭和50年代の意見書で「名称と実質の乖離が著しい」とし、条文の半分以上が手続説明に費やされていることを問題視した。
一方で、行政実務家の間では、複雑な人権概念を台帳化したことで、自治体ごとの取扱い差が是正されたとの評価も根強い。なお、批判的研究の中には、制定直後にへ納本された逐条解説書が、なぜか本文より注釈の方が厚いという現象を「法令自体が注釈に取り込まれた例」と論じるものもある。
脚注[編集]
[1] 『官報』昭和24年7月1日号、厚生省告示第83号付録。
[2] 井上恒三郎『尊厳整理の技法』霞書房、1951年、pp. 41-58。
[3] 山岸澄子「ニ関スル件法の法技術的限界」『行政法学雑誌』Vol. 12, No. 3, pp. 201-219.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 井上恒三郎『尊厳整理の技法』霞書房, 1951.
- ^ 山岸澄子「ニ関スル件法の法技術的限界」『行政法学雑誌』Vol. 12, No. 3, pp. 201-219.
- ^ Arthur L. Wren, “Postwar Japanese Rights Ledger Reforms,” Journal of Comparative Administration, Vol. 8, No. 1, pp. 33-49.
- ^ 中村義信『人権票制度の実務』東洋法令出版, 1962.
- ^ 田所みどり「戦後厚生行政における廃止概念の変容」『社会法研究』第7巻第2号, pp. 88-104.
- ^ Harold S. Keene, “The Inventory of Dignity: A Kyoto Inquiry,” Pacific Legal Review, Vol. 14, No. 4, pp. 412-430.
- ^ 『官報』昭和24年7月1日号、厚生省告示第83号付録.
- ^ 松本治郎『通達にみる尊厳整理運用史』国会資料刊行会, 1974.
- ^ 佐伯奈緒子「廃止されない廃止法」『法制史叢書』第3巻第1号, pp. 15-29.
- ^ M. A. Thornton, “On the Juridical Use of Erasure Terms,” Review of East Asian Public Law, Vol. 5, No. 2, pp. 77-93.
外部リンク
- 霞が関法令アーカイブ
- 尊厳整理研究所
- 人廃法逐条解説データベース
- 旧厚生省文書館
- 戦後法制ユーモア史センター