代々木公園男女集団露出事件
| 名称 | 代々木公園男女集団露出事件 |
|---|---|
| 発生日時 | 1987年6月14日 15時40分ごろ |
| 発生場所 | 東京都渋谷区・代々木公園南側芝生広場 |
| 関係者 | 即興身体表現集団「白昼輪舞会」ほか |
| 分類 | 公然わいせつ・パフォーマンス芸術・都市社会事件 |
| 影響 | 公園利用規則改定、都市芸術論争の激化 |
| 通称 | 代々木の午後事件 |
| 推定参加人数 | 32人 |
| 主要出典 | 1988年版『都市余白論』 |
男女集団露出事件(よよぎこうえんだんじょしゅうだんろしゅつじけん)は、の都市公園で発生したとされる、男女混成の即興露出パフォーマンス事件である。後年の史において、公共空間と身体表現の境界をめぐる転換点として語られることがある[1]。
概要[編集]
代々木公園男女集団露出事件は、にで起きたとされる一連の集団行為を指す。参加者は年齢・性別・職業の異なる前後で構成され、昼下がりの芝生広場において衣服を段階的に脱ぎ、数分間の静止と回転を繰り返したとされる。
事件の異名は当初、近隣の新聞配達所が使った「午後の裸の人たち」という便宜的表現に由来するとされるが、実際にはの文化担当者が後年、都市芸術の文脈へ回収するために再命名したという説がある。なお、参加者のうち6人は当日まで互いに面識がなかったとされ、この点が後の研究で「偶発性の高い群体表現」と呼ばれる要因になった[2]。
発生の背景[編集]
事件の背景には、1980年代後半の周辺で進行していた「余白空間運動」があるとされる。これは、駅前再開発で居場所を失った演劇人、写真家、学生運動の残余参加者らが、公園や河川敷を使って即興的な身体表現を試みたもので、の周辺サークルとも緩く接続していた。
中心人物とされるのは、批評家のと舞踊家のである。篠原は「服を脱ぐことは否定ではなく、都市との契約更新である」と述べたと伝えられ、三枝は秋に開催された小規模催し「無題・第七芝生」から露出を儀礼化する手法を導入した。もっとも、当時の記録は参加者の手書きメモが中心であり、発言の一部には誇張があるとの指摘もある。
事件の経過[編集]
初動[編集]
当日ごろ、裏手から南側芝生広場へ向けて、参加者が2列縦隊で移動した。先頭の4人が白い布を掲げ、後方の参加者が拍子木の代わりに金属製の弁当箱を鳴らしたため、周辺の散歩客は最初、撮影隊のロケハンと誤認したという。
露出行為[編集]
露出は一斉ではなく、上着、靴、腰布、下着の順に約かけて段階的に行われたとされる。全裸になったのは推定19人で、そのうち3人は帽子を外さなかったことから、後に「完全露出ではなく準完全露出である」と編集合戦になった。芝生上ではの円陣が3回形成され、参加者はの盆踊りとバレエの中間のような動きをしたと記録されている。
収束[編集]
現場にはから私服係を含む6人が到着したが、集団の一部が配布していた「身体の所有権に関する暫定宣言」を読み上げるあいだ、介入が約9分遅れたとされる。最終的に参加者は任意同行ではなく、公園管理事務所の冷たい麦茶を飲みながら順次解散したとする証言が残る。
白昼輪舞会[編集]
白昼輪舞会は、この事件を主催したとされる非公式集団で、正式な会員名簿は存在しない。会の規約は「1. 服を脱ぐ前に一礼する。2. 他者の露出を笑わない。3. 終了後はゴミを持ち帰る」の3条だけで、都市型の前衛団体としては妙に実務的であった。
集団はにの喫茶店「コーヒー・マロニエ」で結成されたとされるが、初期メンバーのうち少なくとも5人は、2人は、1人はだった。彼らは当初、観客を伴わない「無観客露出」を志向していたが、代々木公園では偶然通りかかった親子連れや外国人旅行者が約70人集まり、結果として公開性が強まった。
社会的反響[編集]
事件後、夕刊文化面は「都市の皮膚をめぐる誤配」と題する論評を掲載し、は一方で「公園利用の秩序を問う」として行政対応の遅れを批判した。もっとも、記事中の写真がすべて植え込み越しの後頭部であったため、読者アンケートでは事件の実態がかえって不明になったとされる。
また、は翌月、公園内での「複数人による同時脱衣」に対する注意喚起ポスターを32種類作成し、ベンチごとに異なる文言を採用した。これが逆に話題を呼び、1987年夏には「注意喚起を見に来る観光客」が平日で1日平均140人に達したという記録がある[3]。
解釈と論争[編集]
事件をめぐっては、これをとみなす立場と、単なる公然わいせつ事件とみなす立場が対立した。社会学研究室のは、露出の順序が観客の視線を誘導していた点を重視し、「裸になったのではなく、視線の倫理を脱いだのである」と論じた。
一方で、当時の公園清掃員への聞き取りでは「風で帽子が飛ばないか心配だった」との証言が多く、芸術的意図は現場ではほとんど共有されていなかった可能性が高い。また、参加者名簿に勤務の人物が3人含まれていたことから、後年「健康ブームに便乗した集団体操ではないか」とする珍説も流布した。
後年の影響[編集]
事件は以降、都市研究と身体芸術の交差点に位置づけられるようになった。特にの前史を論じる一部の研究者は、この事件を「日本における群体的脱衣表現の最初期の成功例」と呼んでいる。
また、にはの市民講座で再演企画が試みられたが、会場が体育館だったため、主催側が「露出」より「ストレッチ」に話を寄せざるを得ず、結果としてほぼラジオ体操になったとされる。これが逆に評価され、現在では「失敗した再演として成功した事例」として語られることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 篠原要一『都市余白論――公園における群体的身体表現の研究』青灯社, 1988年.
- ^ 三枝ミドリ『白昼の輪舞――脱衣と共同性のあいだ』新潮社, 1991年.
- ^ 長谷川怜「視線の脱衣化と公共空間」『都市文化研究』Vol. 12, No. 3, 1994, pp. 44-68.
- ^ K. Watanabe, “Collective Exposure and Civic Space in Late Showa Tokyo,” Journal of Urban Performance Studies, Vol. 5, No. 2, 1997, pp. 101-129.
- ^ 『渋谷区公園利用年報 昭和62年度版』渋谷区公園緑地課, 1988年.
- ^ 大橋晴彦『前衛と条例――1980年代東京の身体政治』みすず書房, 2003年.
- ^ Margaret A. Thornton, Nakedness as Protocol: Civic Rituals in East Asian Metropolises, Routledge, 2008.
- ^ 佐伯智子「芝生広場における偶発的観客の形成」『社会行動論集』第18巻第1号, 2011, pp. 77-95.
- ^ 『都市芸術の歩き方 1980-1990』日本都市文化協会, 2015年.
- ^ 田所真一『露出の公共圏――代々木公園事件再考』平凡社, 2020年.
外部リンク
- 日本都市余白学会
- 白昼輪舞会アーカイブ
- 渋谷公園文化資料室
- 前衛身体表現研究センター
- 都市芸術年表データベース