伊れない病
| 分類 | 社会病理・準医学的症候群 |
|---|---|
| 提唱者 | 近藤 兼治郎 |
| 初出 | 1929年ごろ |
| 発生地 | 東京府下の下宿街 |
| 主な症状 | 共同体への加入失敗、紹介状の反復紛失、儀礼への過剰適応 |
| 診断法 | 伊入り測定票 |
| 関連機関 | 帝都生活衛生研究会 |
| 異名 | いり損ない症 |
| 社会的評価 | 都市化研究の補助概念として受容 |
伊れない病(いれないびょう、英: Irenai Syndrome)は、およびの境界領域で用いられる概念で、特定の共同体や制度に「うまく伊れない」状態が慢性的に持続する症候群を指すとされる[1]。もともとは末期ので観察された役所内の通報慣行に由来するとされ、のちに期の都市雑居問題と結びついて広く語られるようになった[2]。
概要[編集]
伊れない病は、組織・地域社会・家族的共同体などに「入ろうとしても、なぜか最後の一歩で伊れない」状態を説明するために作られた概念である。一般には、転居、就職、入会、寄宿、町内会加入などの局面で、本人の能力とは無関係に排除と自己崩壊が反復される現象を指す。
この語は、当初は下の下宿人たちの間で俗語として用いられていたが、後半にの研究員であったが「門をくぐる前に心身が先に拒絶される病態」として整理したことで、半ば学術語のように扱われるようになった。もっとも、後年の調査では近藤自身が三度にわたり同研究会への正式加入を失敗しており、この逸話が概念の権威をかえって高めたとされる[3]。
歴史[編集]
下宿街での発生[編集]
伊れない病の原型は、からにかけて・・周辺で増加した簡易下宿のトラブル記録に見いだされる。住民名簿には載っているのに大家の顔を覚えてもらえない、町内会費だけ集められて会合では椅子が一脚も用意されない、といった出来事が相次ぎ、の生活課が「加入不全の一種」として内部メモに記したことが残っている[4]。
この時期の資料には、ある書生が寄宿契約書に「歓迎」と書かれた欄を自筆で十七回なぞった結果、逆に不信感を招いて退去処分になった例もある。後の研究では、こうした過剰な丁寧さが症状を悪化させるとされ、のちの伊入り測定票にも反映された。
学術化と行政利用[編集]
、近藤 兼治郎は『伊れない症候群ノ社会的分布』を刊行し、伊れない病を「本人が属したいと望むほど、所属先の規範を先回りして破壊してしまう反応」と定義した。これに対しの一部では、都市の新住民教育に応用できるとして注目が集まり、実際にとで試験的な相談窓口が設けられた。
ただし、相談票の回収率はで2.8%、で3.1%にとどまり、担当者のほとんどが「相談に来た時点で概ね症状は重い」と記している。なお、この統計の母数には、たまたま窓口の場所が遠すぎて来なかった者が多く含まれたため、後世の研究者からはやや疑義が呈されている。
戦後の再解釈[編集]
になると、伊れない病は生活や企業内組合の文脈で再解釈され、単なる対人不器用ではなく「制度に対する身体的なズレ」として論じられるようになった。にはの某区で、自治会加入案内を配るたびに同じ住民が毎回別の棟へ引っ越してしまう事例が報告され、新聞が「現代的孤立の典型」として大きく取り上げた。
一方で、のコミュニティ心理学では、伊れない病はむしろ「過度に協調的な人が、場の空気を読みすぎることで結果的にどこにも定着できない現象」として位置づけられた。この定義変更により、従来の「排除される側」から「自ら伊れなくなる側」へと焦点が移り、研究史のなかでも最も混乱した時期とされる。
症状と分類[編集]
伊れない病には、主に三つの型があるとされる。第一は「玄関前型」で、入室の瞬間に靴を脱ぐべきか履いたままかを考えすぎて沈黙が生じ、結果として招かれたはずの席に着けない。第二は「紹介状反復紛失型」で、を受け取るたびに封筒だけが妙に立派になり、肝心の本文が消える。第三は「儀礼過剰適応型」で、挨拶や礼状を完璧に整えすぎて、かえって相手に「この人は入ってはいけない人では」と誤認される[5]。
診断上は、同じ会合に三回以上呼ばれているのに毎回「初めまして」と言われる、名札があるのに裏返しで配られる、あるいは会費を払った直後に会の規約が改訂される、といった反復的失敗が重視される。近藤はこれらを「社会的なドアノブへの慢性的不耐性」と説明したが、のちに精神科医のは「本人より建物のほうに問題がある場合も多い」と反論している。
診断と治療[編集]
伊入り測定票[編集]
に作成された伊入り測定票は、14項目からなる簡易評価尺度である。質問例には「会合の開始時刻よりも早く着くと、なぜか自分だけ準備係にされるか」「自己紹介の最後に余計な一言を付けてしまうか」などがあり、合計点が31点を超えると中等度、46点以上で重度と判定された。
測定票の運用は附属の成人教育講座でも試みられたが、受講者の多くが「点数を取ること自体が既に伊れない」と感じて途中退席したため、最終的に判定票そのものが治療対象になったという。
治療法としての同席訓練[編集]
もっとも知られる治療法は、と呼ばれるものである。これは患者をあえて少人数の茶話会に入れ、沈黙、笑い、名刺交換の三段階を繰り返し体験させる方法で、にの臨床社会研究室で考案されたとされる。
ただし成功率は極めて低く、記録上の改善例は年間およそ17件にとどまる。そのうち5件は、訓練終了後に患者が「もう伊れなくていい」と悟っただけで、共同体への復帰は確認されていない。
社会的影響[編集]
伊れない病は、中期の企業文化に奇妙な影響を与えた。とりわけ人事部門では、新入社員の定着率を説明する便利な言葉として使われ、ある電機メーカーでは「配属先に伊れない者は、机の向きを北に変えると改善する」といった独自の運用まで行われた。
また、やの世界では、伊れない病の概念が「無理に参加を求めない」ための口実として機能した一方、逆に「伊れないなら改善すべき」とする圧力にも転用された。これにより、症状のある者よりも周囲の運営能力の低さが露呈する場合があり、社会学者のあいだでは「病名が共同体の欠陥を可視化した」と評価されている。
なお、の調査では、首都圏の会社員のうち約12.4%が「年度末の歓送迎会で一度は伊れない感覚を覚えた」と回答したが、質問紙の文言がやや煽情的であったため、現在では参考値扱いである。
批判と論争[編集]
伊れない病は、発表当初から「便宜的な比喩にすぎない」とする批判を受けてきた。特にの社会衛生学派は、これを医学用語として扱うことに強く反対し、「集団適応の失敗を病理化するのは行政の責任逃れである」と述べた[6]。
一方で支持者は、病名を与えることで当事者が「自分だけの失敗ではなかった」と理解できると主張した。もっとも、は晩年の講演で「病名は慰めになるが、会議室の椅子が足りない問題は別途解決されるべきである」と語っており、この発言は伊れない病研究の象徴的な引用としてしばしば用いられる。
さらに、の『都市生活と不可入性』をめぐっては、掲載された症例のうち4例が同じ人物の日記の焼き直しであったことが後に判明し、学会で小さな騒動となった。もっとも、その人物が本当に伊れなかったのか、それとも編集者が伊れなかったのかは、いまなお議論が続いている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 近藤兼治郎『伊れない症候群ノ社会的分布』帝都生活衛生研究会出版部, 1931年.
- ^ 黒田静子『同席の不安と加入不全』日本臨床社会学会誌 第12巻第3号, 1959年, pp. 44-61.
- ^ W. H. Farnsworth, "Membership Failure and Urban Rituals," Journal of Civic Pathologies, Vol. 8, No. 2, 1967, pp. 113-129.
- ^ 田所義一『団地生活と不可入性』新潮都市叢書, 1962年.
- ^ M. A. Thornton, "The Doorway Effect in Collective Behavior," Proceedings of the Royal Institute of Social Medicine, Vol. 21, No. 4, 1974, pp. 201-218.
- ^ 佐伯澄子『伊入り測定票の再検討』東京衛生学会紀要 第27巻第1号, 1988年, pp. 7-22.
- ^ R. D. Ellison, "Syndromes of Social Entry Anxiety," American Review of Applied Sociology, Vol. 15, No. 1, 1981, pp. 9-34.
- ^ 大橋和彦『町内会に入れない人々』岩波地域研究, 1975年.
- ^ 高橋ミドリ『伊れない病の臨床像と誤診例』日本行動医学雑誌 第19巻第2号, 1994年, pp. 88-104.
- ^ Theobald K. Niven, "On the Uninhabitability of Welcome," Cambridge Papers in Social Adaptation, Vol. 3, No. 1, 1961, pp. 1-17.
外部リンク
- 帝都生活衛生研究会デジタル文庫
- 昭和都市病理アーカイブ
- 日本不可入症候群学会
- 下宿文化資料室
- 東京社会適応史オンライン