作者はオマンコニハイッチャウと思ったシリーズ
| 分野 | インターネット文学・二次創作周辺文化 |
|---|---|
| 初出(とされる) | 頃 |
| 形式 | 短文連作(注釈・言い換え・誤変換を含む) |
| 主要な語り口 | “作者の意図”を装って読者の想像を固定する |
| 典型的なオチ | 直球の自己否定、または編集ミスが物語化する |
| 流通媒体 | 匿名掲示板の転載、ブログ要約、まとめサイト |
| 代表的論点 | 誤読誘導の是非と、読解実験としての評価 |
作者はオマンコニハイッチャウと思ったシリーズは、で広まったとされる、極端に自己言及的な“文章遊戯”形式の連作まとめである。作品内ではが読者の解釈を先回りして誘導することが特徴とされるが、その実態は編集工程も含めた「誤読の演出」に近いとする見方がある[1]。
概要[編集]
(以下、本シリーズ)は、作者の“意図”を名目にしながら読者の解釈を誘導し、最後にその誘導自体を裏切るよう設計された連作まとめとして知られている。とくに、本文中に見える曖昧な決め台詞や、直前で挿入される注意書きが、読者の脳内補完を“ズラす装置”になっているとされる[1]。
成立の経緯は、匿名の文章投稿文化が「うまい比喩」から「うまい誘導」へと価値観を更新していく過程に位置づけられることが多い。具体的には、の掲示板運用で発生した“文字化けを含む転載問題”が、意図的な演出として再利用された結果、本シリーズが“誤変換の文学”として立ち上がった、という筋立てが有力である[2]。なお、作者名が明示されることはほとんどなく、編集担当の“推測が先に来る”構造が、長く批評対象として維持されてきたとされる。
概要(構造と読みどころ)[編集]
本シリーズは、連作ごとに同一の文体テンプレートを共有しつつ、毎回わずかに条件を変える。例として、冒頭の一文にだけやが混入し、そこが“作者の本音”として解釈されるよう誘導される。一方で終盤では、読者が当然だと思った語の当て方が崩され、注釈が“別の意味で正しい”ことが示される仕掛けになっている[3]。
また、シリーズ名に含まれる極端な表現は、性的比喩の直接性というよりも、「意図の固定化」そのものを笑いの中心に据える装置として機能したとされる。つまり、内容の真偽ではなく、作者が“そう思ったに違いない”と断定してくる態度を、読者が逆再生することでオチが成立する。編集上は、句読点の位置を変えることで体感の速度が変わるため、各回で句読点が平均3.7文字ぶん前後したと記録されているという[4]。
本シリーズを代表する“読みどころ”は、読者が「これは嘘だろ」と思った瞬間に、本文がさらにそれを利用する点にある。たとえば「作者は〜と思った」が繰り返されるたびに、作者が本当に何かを“思っていたか”は問われず、読み手の“思い込みの確度”だけが採点されるよう設計されていると説明される。
歴史[編集]
誤変換が物語になるまで[編集]
本シリーズの誕生は、の一部書店で行われていた“匿名文芸交換会”に端を発するとする説がある。この説では、交換会の受付端末が旧式の変換辞書を用いており、特定の入力が平均で22分のタイムラグを伴って誤変換される仕様になっていたとされる。そこで参加者は誤変換された語をわざと採用し、「作者は誤ってしまった」を「作者は誤らせた」に読み替える読み方を確立したという[5]。
この過程で関与したとされるのが、(当時の社名)に所属していたとされる編集補助者である。田代は“誤変換の癖”をデータ化し、同じ癖が出る確率を「文字列長×気温×回線混雑」で推定する内規を作ったとされ、結果的に各回の文章が「同じ誤りの再現性」を持つようになった[6]。この規則により、本シリーズは“偶然”から“仕組み”へと転換したと語られる。
ただし、初期稿の一部は後年、地域コミュニティのアーカイブサーバが停止した際に消失したとも言われる。なお残った断片には、語尾のが平均0.14回分だけ欠けるパターンがあり、そこが「作者が意図して欠かした」という解釈の根拠として補強されたとされる[7]。
広まり方:上書き再利用の連鎖[編集]
本シリーズが注目を集めたのは、内で運用されていたまとめブログが、転載時の改行位置ズレを“テンポ”として扱うようになってからである。ブログ運営者は、転載原稿の段落数が一定になるよう機械的に整形していたが、整形の結果生じる不自然な段差が“作者の気配”として読まれ始めた。以後、本シリーズは「作者の意図が段落で漏れる」連作として説明されるようになった[8]。
一方で、社会への影響は即時的だった。具体的には、大学の日本語表現ゼミで本シリーズが教材として取り上げられ、「意図の推定は暴力か」という議論を呼んだとされる。学生のレポート提出率は平均で第1回が63.2%、第2回が68.9%と増加した一方、設問の半数が“作者の気持ちを当てる”形式だったため、メタ認知の訓練としては不十分ではないか、という批判も発生したという[9]。
また、出版社側では、過激な連想を誘う語が広告審査で引っかかりやすかったため、表紙の表現をマスクした特別版が検討された。しかし実際には、マスクした結果さらに「隠している=意図がある」と受け取られる風潮が強まり、商業化より先に“匿名のままの方が面白い”という評価が固まったとする見立てがある[10]。
批判と論争[編集]
本シリーズは、性的・下品な連想を読者の思考に押し込む点が、表現の自由と受け手の選択の問題を曖昧にする、と批判されてきた。特に、シリーズ名自体が強い断定を含むため、「作者がそう思ったのだから仕方ない」という心理が誘導される危険性がある、という指摘がある[11]。
他方で擁護側は、本シリーズが実際には“意図”ではなく“読解のクセ”を観察する実験であると主張する。たとえば、解釈にばらつきが出る語について、編集者が敢えて同義語を置換せず、読者側の誤読をオチに変える構成になっている点が根拠とされる。ただしこの論法は、読者が自分の誤読を笑いに変えられる場合に限り成立するため、当事者性を伴う読者にとっては不快になりうる、という反論も記録されている[12]。
なお、論争の“決着”は学術的にまとめられたわけではなく、しばしばプラットフォームの規約改定で終わったとされる。ある時期、のコミュニティ掲示板では、本シリーズの話題投稿が「不適切表現」に分類されることが増え、投稿回数が月あたり140件から月あたり41件へ急落したという報告がある。一方で、話題が別名に分岐しただけで内容が変わっていないため、検閲効果は限定的だったとの指摘が出た[13]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 井上 朔哉「誤読を設計する文章:匿名連作の段落機構」『日本ネット文芸学会紀要』第18巻第2号, pp. 41-63, 2011.
- ^ 田代 ルミナ「文字化けの再現性とテンポの測定(試案)」『情報変換研究』Vol.9 No.1, pp. 11-29, 2010.
- ^ Sato, Totomaru「On the Reader’s Guessing Work in Self-Referential Miniatures」『Journal of Web Narrative Studies』Vol.4 No.3, pp. 77-98, 2012.
- ^ 金子 みのり「“作者は〜と思った”型の誘導表現と受容」『言語行動研究』第22巻第4号, pp. 305-328, 2014.
- ^ メタ文書工房編集部「転載整形における段落ズレの統計」『編集技術年報』第6巻第1号, pp. 1-18, 2013.
- ^ 佐藤 兎丸「マスク表現はなぜ強化されるのか」『出版流通評論』Vol.17 No.2, pp. 203-219, 2015.
- ^ 山本 梓「意図の推定は暴力か:極端な比喩が引き起こす感情同定」『社会言語学ワークショップ論集』pp. 55-72, 2016.
- ^ Nakamura, Riku「Platform Moderation and Renaming Practices in Japanese Microfiction」『Digital Culture Review』Vol.12 No.1, pp. 33-52, 2017.
- ^ 藤堂 瑠衣「誤変換が文学になる瞬間:回線混雑モデルによる推定」『計算言語学(架空)』第3巻第1号, pp. 99-121, 2018.
- ^ (書名が微妙に不整合)『作者はオマンコニハイッチャウと思ったシリーズ完全ガイド』編, 読書編集局, 2010.
外部リンク
- 段落テンポ研究会
- 匿名文芸アーカイブ(仮)
- メタ文書工房 変換辞書倉庫
- 日本ネット文芸学会 検証ログ
- 転載改行ズレ資料室