元住吉のバリーボンズ
| 読み | もとすみよしのばりーぼんず |
|---|---|
| 発生国 | 日本 |
| 発生年 | 1978年 |
| 創始者 | 宮内俊作 |
| 競技形式 | 6人制の都市球技 |
| 主要技術 | 反響投射、商店街カーブ、裏返し捕球 |
| オリンピック | 非正式種目(1988年デモンストレーション採用) |
元住吉のバリーボンズ(もとすみよしのバリーボンズ、英: Motosumiyoshi Barry Bonds)は、ので生まれた、壁面反響を利用して得点を競うのスポーツ競技である[1]。駅前商店街の周辺で発祥したとされ、のちにへの採用運動まで起こったことで知られている[2]。
概要[編集]
元住吉のバリーボンズは、ボールを直線的に投げるのではなく、や、あるいは可動式の商店街看板に当てて得点を狙う競技である。得点は最終的に「着弾地点」ではなく「反響回数」と「店先への残響角」で算定されるため、競技者には空間認識と地域商習慣への理解が求められる。
名称は、元住吉において1970年代末に球速の異常に高い少年が現れたことに由来するとされる。もっとも、当時の記録では「バリーボンズ」と呼ばれたのは一人ではなく、沿線の数名をまとめた隠語であったともいわれ、競技団体側でも統一見解は出ていない[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は、の旧体育館脇で行われた放課後の遊びにあるとされる。当初は紙球を用い、前の高架下に当てて戻ってくる回数を競うだけであったが、が商店街の金属シャッターの反響に着目したことで競技化が進んだ。
には、元住吉商店街振興組合の了解のもと、毎月第2日曜に「反響試験会」が開かれるようになった。参加者は当初17名であったが、記録上は21名とする名簿も残っており、初期史料の不一致がしばしば論争の種となっている[4]。
国際的普及[編集]
、川崎市の姉妹都市交流の一環として、のに競技が紹介され、雨天時のガラス反響が高く評価されたことから、北米での普及が始まった。続いてにはで「都市残響スポーツ会議」が開催され、東西双方の記録係が同じ得点表を読み違えた事件が、かえって競技の話題性を高めた。
にはでデモンストレーション競技として披露され、が臨時に設立された。なお、この際に提出された英語版競技規則の第4条には「The ball shall not become too sentimental.」という一文があり、後年まで要出典とされながらも削除されていない[5]。
ルール[編集]
試合場[編集]
試合場は、幅18〜24メートル、長さ32〜40メートルの長方形を基準とするが、実際には商店街の屋根形状に応じて微調整される。左右の壁面には反響係数の異なる3種類のパネルが設置され、中央には「ボンズ・ライン」と呼ばれる白線が引かれる。
屋内でも屋外でも行われるが、時は得点倍率が1.2倍になる「しっとり係数」が適用される。この係数は元住吉の梅雨明けが遅かった年に導入されたもので、の記録では1991年から正式採用とされている。
試合時間[編集]
標準試合は前後半各14分、計28分である。ただし、相手が連続して3回以上「空振り反響」を出した場合は、主審が「商店街休憩」を宣言し、最大90秒の沈黙が与えられる。延長戦は4分1セットで、先に2得点した側が勝利する。
1試合に平均して使用される球数は6.8個とされるが、これは回収不能球を含む推定値であり、年によっては11個以上が消えることもある。元住吉ではこれを「路地裏ロスト」と呼び、用具費の大半を占める。
勝敗[編集]
勝敗は、反響得点、店先通過点、そして最終的な「帰巣率」により決定される。帰巣率とは、打球後にボールが最初の投球者の半径2メートル以内に戻る割合であり、を超えると「善意の試合」として観客の拍手が大きくなる。
なお、規則上は完全同点の場合、両チームの代表が向かい合ってシャッターを1回ずつ軽く叩き、その音程差で勝敗を決めることになっている。もっとも、音程差の測定は審判の耳に依存するため、しばしば判定が翌朝に持ち越される。
技術体系[編集]
元住吉のバリーボンズにおける基本技術は、投球ではなく「送響」と呼ばれる。これは、球を壁面に向けて低角度で放ち、反射後の軌道を事前に読む技術であり、熟練者は3回先の反響まで予測できるとされる。
代表的な技として、商店街の看板裏を使う、反射音を頼りに位置をずらす、そして相手の守備を空振りさせるがある。特には、元住吉のパン屋前で発見された急カーブ投法で、の全国大会で一躍有名になった。
また、攻守の切り替え時に審判へ菓子パンを差し出す「補助礼」が慣例化しており、これは元住吉の食文化が競技に深く浸透した例としてしばしば挙げられる。ただし、過度な差し入れは賄賂とみなされるため、以降は包装のみ可とされている。
用具[編集]
使用球は直径72ミリ前後のゴム球で、内部に微量の鉄粉を含むことが多い。鉄粉の量は地域によって異なり、型は反響重視、型は飛距離重視、型は装飾重視とされる。
バットに相当する用具は「ボンド」と呼ばれる短棒で、木製のものが主流であるが、商店街協定により金属製は原則禁止される。靴は滑り止めを重視した薄底が好まれ、靴底に小石を3粒仕込むとカーブ時の安定が増すという経験則がある[6]。
また、主審は拡声器ではなく「反響笛」を用いる。これは吹く方向で音が変わる特殊な笛で、元住吉の音響研究会がに考案したものとされる。
主な大会[編集]
最も権威があるのは、毎年8月に開催されるである。優勝チームには銀色の買い物かごと、翌年1年間の「シャッター優先権」が与えられる。この優先権は、練習時に特定の商店の前で先に打席に立てる権利であり、地元では非常に重く扱われている。
国際大会としては、、、がある。とくにの世界大会では、決勝戦がの地下街で行われ、空調の風向きが審判団を混乱させた結果、両チームが同時優勝となった。
学生大会ではが知られ、内の3校しか参加しない年もあるが、記録上は「全国」と称される。これは初期の広告文言がそのまま大会名になったためである。
競技団体[編集]
統括団体は(JMBA)で、本部はの元住吉駅西口近くに置かれている。協会は審判員の養成、商店街との使用交渉、ならびに反響パネルの規格統一を担う。
国際組織としては(IMBRF)があり、のに事務局を持つとされる。ただし実際の事務処理はほぼオンライン会議で行われ、会議名も「第44回定例調整会議(録音の部)」のように妙に長い。
には、オリンピック正式競技化を求める署名が12万4,381筆集まったと発表されたが、同年の参加者数が延べ8,900人だったため、1人あたり平均13.9筆の署名が行われた計算になる。この数字は当時の地元紙でも取り上げられたが、集計方法の詳細は公表されていない。
脚注[編集]
[1] 『元住吉都市球技概論』における定義に基づく。
[2] 川崎市民文化年報では1988年のソウル公開競技を初の国際転機としている。
[3] 初期名称の揺れについては『元住吉スポーツ口承史』第3巻に詳しい。
[4] 元住吉商店街振興組合の名簿と学校側の参加記録は一致しない。
[5] 第4条の文言は英訳委員会議事録にのみ残るが、一次史料の所在は確認されていない。
[6] 靴底の小石に関する記述は競技者の証言に基づくが、再現実験は成功率が低い。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 宮内俊作『元住吉都市球技の成立と反響空間』川崎地域文化研究所, 1992年, pp. 14-67.
- ^ 佐伯真由美『商店街における球技の社会史』地方スポーツ史学会誌 Vol.12, 第2号, 1998年, pp. 101-118.
- ^ Harold W. Finch, “Echo-Based Ball Games in Post-Industrial Japan,” Journal of Urban Athletics, Vol.7, No.3, 2005, pp. 44-59.
- ^ 高瀬一郎『ブレーメン通りの反響と競技化』中原出版, 2001年, pp. 203-229.
- ^ Marta L. Sanz, “Shutter Resonance as a Competitive Metric,” International Review of Street Sports, Vol.19, No.1, 2011, pp. 7-26.
- ^ 川崎市体育協会編『地域競技規則集 1987-1994』川崎市体育協会, 1995年, pp. 88-109.
- ^ 内田恵介『元住吉バリーボンズ用具史』神奈川スポーツ資料館紀要 第8号, 2009年, pp. 55-73.
- ^ “Minutes of the 3rd World Resonance Championship Planning Committee,” IMBRF Archives, 1996, pp. 1-18.
- ^ 藤堂和彦『都市球技の国際化とオリンピック化運動』日本競技社会学会, 2017年, pp. 31-96.
- ^ Eleanor P. Webb, “On the Emotional Behavior of Competitive Balls,” Proceedings of the Symposium on Sentient Equipment, Vol.4, No.2, 1989, pp. 77-80.
外部リンク
- 日本元住吉バリーボンズ協会
- 国際都市球技連盟
- 元住吉スポーツアーカイブ
- 川崎反響文化研究センター
- 世界反響競技資料室