児ポ
| 名称 | 児ポ |
|---|---|
| 読み | じぽ |
| 英名 | Jipo |
| 成立 | 1978年ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、佐伯ミナ子ほか |
| 主な管轄 | 厚生省青少年資料整理室 |
| 対象 | 児童向け紙媒体、玩具、掲示物の一部 |
| 通称 | 児ポ札、白箱運動 |
| 関連法令 | 青少年印刷物整序要綱 |
児ポ(じぽ、英: Jipo)は、の後期に成立したとされる青少年保護のための通報・区分・回収制度である。もとは内の児童書店で使われた略号であったが、のちに行政用語として拡張されたとされる[1]。
概要[編集]
児ポは、児童向けの図書・雑誌・カード類に付された管理記号、ならびにそれを基準に流通を整える一連の制度を指すとされる。一般にはとの折衷案として知られているが、実際にはの古書店街で起きた在庫混乱が発端であったという説が有力である[2]。
制度の中心は「ポケット化」と呼ばれる再分類方式で、危険と判断された冊子を白い箱に収め、棚から外す運用であった。この箱が「児ポ箱」と略され、のちに制度全体を指す語へ転化したとされる。一方で、の旧目録カードに類似語が見られるとの指摘もあり、起源については今なお研究者の間で意見が分かれている。
歴史[編集]
成立以前の前史[編集]
1960年代後半、周辺では児童書の乱丁・再版・輸送遅延が重なり、店舗ごとに独自の識別札が用いられていた。とくに「J-17」「P-4」といった手書き札が混在し、これを見たが「児童向けの整理は、内容より先に棚の秩序を守るべきだ」と発言したことが、後年の児ポ制度につながったとされる[3]。
にはの外郭研究会で「青少年印刷物整序要綱」の草案が作成され、そこでは対象を三段階に区分する予定であった。しかし印刷所側が「区分A」「区分B」よりも短い符号を求めたため、最終的に二文字の略号が採用されたという。会議録には、佐伯ミナ子が「子ども向けの保管票は、長すぎると現場で必ず失われる」と述べた記録が残る。
制度化と普及[編集]
、が実施した試験運用により、の公共図書館12館と、都内の児童書店31店で児ポ運用が始まった。初年度の回収箱は合計468箱、うち破損率は7.4%であったとされるが、この数値は配布先ごとの箱サイズが異なっていたため、統計としてはかなり不安定である[4]。
制度の周知には、当時の人気教育番組『おはよう子ども資料館』が大きく寄与した。番組内では、白い箱を押し入れに見立てて「しまうことで守る」という比喩が繰り返され、視聴者の間で児ポは「しまい方の学問」として受け止められた。なお、番組第14回で用いられた模型箱はの倉庫に保管されていたが、のちに誤って学術展の展示品として貸し出されたため、現在も所在が曖昧である。
拡張と衰退[編集]
後半になると、児ポは紙媒体に限らず、玩具の台紙、校内掲示の模造紙、さらには地域祭の景品袋にまで適用されるようになった。とくにの港湾倉庫で行われた「白箱一斉点検」では、対象外の折り紙まで回収されたため、現場では反発も強かった。
の改訂では「児ポ」は正式には略号扱いとなり、行政文書では「児童保護表示制度」と書くことが推奨された。しかし現場では簡便さから児ポの呼称が残り、逆にこれが独立概念のような神話性を帯びる結果となった。研究者の中には、この頃を「略号が制度を乗っ取った瞬間」と呼ぶ者もいる。
制度の運用[編集]
児ポ運用の最大の特徴は、対象の是非よりも「保管導線」を重視した点にある。指定された冊子は、まず背表紙に薄青の鉛筆で印を付け、次に白箱へ入れ、最後に月末集計票へ転記された。現場職員の証言では、転記作業のために毎月平均2.8時間が失われたが、そのぶん棚卸しの精度は向上したという。
また、制度には「逆児ポ」と呼ばれる例外措置が存在した。これは学術研究や保存修復の目的で、通常は回収対象となる紙面をあえて閲覧可能にする運用である。のでの試行では、逆児ポの申請38件のうち実際に承認されたのは9件に過ぎず、残りは「保管スペースの不足」を理由に却下された。
社会的影響[編集]
児ポの導入により、児童書店の棚割りは全国的に整い、地方自治体の図書目録には色分けの文化が定着したとされる。とりわけの一部自治体では、白・青・黄の三色分類が学校図書館へ波及し、子どもたちが自発的に「今日の白箱」を探す遊びを始めたという。
一方で、制度は表現の自由ではなく「表示の自由」を奪ったとして批判も受けた。批判派の中心人物であったは晩年、「児ポは守るための仕組みだったが、いつの間にか棚の顔色をうかがう文化を生んだ」と述懐したと伝えられる。ただし、この発言は回想録の第2刷でのみ確認でき、初版には存在しないため、研究者の間では要出典とされている。
批判と論争[編集]
児ポをめぐる最大の論争は、制度名に「児」の字が含まれるにもかかわらず、実際には大人向けの事務効率化に強く依存していた点である。現場の多くは子どもを守るという理念より、箱の数と帳簿の整合を優先しており、制度設計と実務の乖離がしばしば問題化した。
また、にで報告された「児ポは本当に子どもを守ったか」という研究は、会場で賛否が真っ二つに割れたことで知られる。報告者のは、児ポの普及率が高い地区ほど棚の空白率も高いと指摘したが、空白率の定義が曖昧だったため、翌年の『図書館と空白の経済学』では半分ジョークとして扱われた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『児ポ制度の成立と棚秩序』日本図書行政研究会, 1982.
- ^ 佐伯ミナ子『白箱と青少年保護: 児ポ運用の実際』文化資料出版, 1985.
- ^ 河合俊明「児ポの初期運用における箱破損率」『図書館工学紀要』Vol. 14, No. 2, pp. 33-49, 1980.
- ^ Mason, Andrew C. “A Note on Jipo and Shelf Void Ratios” Journal of East Asian Archival Studies, Vol. 9, No. 1, pp. 101-118, 1988.
- ^ 藤原里香『青少年印刷物整序要綱の文体史』港湾社, 1992.
- ^ 小松原修「表示と保管の境界: 児ポをめぐる行政語彙」『行政記録』第7巻第4号, pp. 211-230, 1991.
- ^ Harrison, Elaine J. “Child Protection Labels in Postwar Japan” The Bulletin of Comparative Ephemera, Vol. 5, No. 3, pp. 55-74, 1990.
- ^ 『図書館と空白の経済学』第2版, 日本棚史学会編, 東都書林, 1989.
- ^ 高橋正隆『児童書店街の戦後史』神田出版会, 1979.
- ^ 岡本紘一「逆児ポ試行の記録」『京都市文化調査報告』第21号, pp. 7-19, 1995.
外部リンク
- 日本棚秩序学会アーカイブ
- 白箱資料センター
- 児ポ史料室
- 東亜表示行政研究所
- 神保町紙面分類博物館