うんポッポ共和国
| 正式名称 | うんポッポ共和国 |
|---|---|
| 通称 | うんぽっぽ |
| 成立 | 1898年頃とされる |
| 成立地 | 東京府本所区周辺 |
| 性格 | 衛生啓発型の自主管理共同体 |
| 標語 | ためずに、こまめに、ながさずに |
| 主要提唱者 | 渡辺精一郎、マチルダ・H・クロス |
| 活動期間 | 1898年-1937年頃 |
| 関連機関 | 東京衛生協会、少年工学会 |
うんポッポ共和国(うんぽっぽきょうわこく、英: Unpopp Republic)は、末期ので発祥したとされる、衛生思想と児童遊戯が結びついて成立した小規模な模範共同体である。後にの旧運河地帯を中心に独自の自治規約を持つ実験地区として知られるようになった[1]。
概要[編集]
うんポッポ共和国は、都市部における・便所設計・児童教育を一体化して改善しようとした民間運動から発展した半自治的共同体である。名称は、当初の巡回啓発車に描かれていた鳩の図案と、子ども向け唱歌の掛け声「うん、ポッポ」に由来するとされる[2]。
実態としては、住民約430戸、人口推計1,860人の小区域に過ぎなかったが、独自通貨「ポッポ札」、毎月第3土曜の清掃式典、そして便器の蓋にまで掲げられた規約第7条によって、当時の新聞ではしばしば「小さな共和国」と呼ばれた。もっとも、当事者の多くは自分たちを国家ではなく、あくまで衛生改善組合の延長だと認識していたとされる[3]。
成立の経緯[編集]
発端は、本所の木造長屋群でコレラ様症状が相次いだことにあるとされる。これを受けて、当時の嘱託衛生技師であった渡辺精一郎は、排泄物の回収遅延が感染拡大の主因であるとして、住民参加型の「即日搬出制度」を提案した[4]。
一方で、同時期に来日していた英語教師マチルダ・H・クロスが、児童向けの衛生唱和を授業に取り入れたことで、子どもたちが清掃作業を遊戯化し始めた。これが「うん、ポッポ、ひとつで通る」「二つたまれば鐘が鳴る」などの掛け声を生み、衛生運動が半ば合唱団のような様相を帯びていったという。なお、この掛け声の原型についてはとする研究者もいる。
制度と運営[編集]
三役制[編集]
共同体の運営は、清掃長、記録長、鳩笛長の三役制で行われた。清掃長は排出経路の点検、記録長は便所使用時刻の帳簿管理、鳩笛長は異臭発生時に鳩笛を吹いて近隣へ警告する役目を担った。鳩笛は真鍮製で、音域がに調律されていたとされるが、実物の保存状況は確認されていない。
役職者は3か月ごとに輪番で交代し、前任者が後任に「青い紙束」と呼ばれる引継ぎ帳を渡す慣行があった。そこには家々の汲み取り回数、便槽の深さ、井戸との距離まで細かく記載されていた。これにより、近隣の工務店がうんポッポ共和国向けの専用木枠便器を年間約280基製造していたという。
ポッポ札[編集]
ポッポ札は、清掃奉仕や児童集会への参加に応じて配布された準通貨である。1ポッポ札は石鹸半個または雑巾3枚分の交換価値を持つとされ、商店街では飴玉、ろうそく、炭団などと交換できた。1899年の最盛期には流通枚数が9,400枚に達し、近隣の質店が換金を断ったことで一時的な取り付け騒ぎが起きた。
その後、役所から「事実上の私設通貨に近い」として注意を受けたため、ポッポ札は正式には「感謝票」に改称された。しかし、住民の間では旧称が生き残り、子どもたちは札の角を齧っては価値を測る遊びをしていたという。
社会的影響[編集]
うんポッポ共和国の影響は、衛生分野にとどまらず、都市計画・教育・児童文化に及んだとされる。にはの視察団が訪れ、便所の換気窓と遊戯を接続する仕組みを「情操を伴う衛生設備」として評価した。これが後年の公営公園における水飲み場配置や、学校の清掃当番制に間接的に反映されたという[5]。
また、新聞『東京日日衛生新報』は、同共同体を「臭気を民主化した初の試み」と評した。もっとも、この表現は編集局の名物記者・古賀三郎の筆によるもので、比喩が強すぎるとして社内でも賛否が分かれたらしい。うんポッポ共和国の名は、その後期の児童劇や、戦後の地域ラジオ体操の掛け声にまで断片的に残ったとされる。
歴史[編集]
最盛期[編集]
からにかけて、共同体は最盛期を迎えた。区画内の路地は白い石灰で週2回塗り直され、各戸には「鳩のしるし」を模した木札が掲げられた。とくに夏季には、異臭苦情が前年の3分の1に減少したとされ、近隣の商店主が競って参加したことで、実質的な加入率は78%に達した。
この時期、渡辺精一郎は「清潔とは道徳の可視化である」と講演し、マチルダ・H・クロスはこれを英訳して欧米の衛生会誌に投稿した。だが、翻訳の際に「pigeon republic」という語が挿入されたため、海外ではしばらく鳩の繁殖実験地区だと誤解されていた。
衰退[編集]
衰退の要因は、後の都市再編である。被災復興に伴い、旧運河地帯は道路拡幅と区画整理の対象となり、うんポッポ共和国の中心施設であった「第三鳩舎館」と「清潔講堂」はまでに解体された。さらに初期に全国的な衛生基準が整備されたことで、独自規約の存在意義が薄れた。
ただし、完全消滅ではなく、住民有志による年1回の「鳩笛祭」は頃まで続いたとされる。祭礼では紙製の鳩に木炭を詰め、最後に一斉に水路へ流すのが慣例であったが、風向きによっては近隣3区画にまで臭気が届いたため、しばしば苦情の対象となった。
批判と論争[編集]
うんポッポ共和国には、当初から「衛生の名を借りた生活監督ではないか」との批判があった。とくに便槽点検を拒否した家庭に対し、掲示板で「本日、鳩が来ず」と晒す慣行は、共同体的な相互扶助に見えて実際には圧力だったのではないかという指摘がある[6]。
また、ポッポ札の配布が子ども中心だったことから、学校における清掃参加が半ば成績評価のように機能していたとの批判も残る。一方で、当時の公衆衛生水準を考えれば、同共同体が実際に感染症の拡大抑制に寄与した可能性は高いとする研究もあり、評価は定まっていない。なお、1931年にまとめられた内部報告書には「便器と鐘を同じ台帳に載せたのは行き過ぎであった」との一文があり、今日でもしばしば引用される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『本所衛生共同体ノ試案』東京衛生協会出版部, 1901.
- ^ Matilda H. Cross, "Songs for Clean Alleys", Journal of Urban Hygiene Studies, Vol. 4, No. 2, 1903, pp. 41-68.
- ^ 古賀三郎『臭気の民主化――東京下町衛生運動史』帝国日報社, 1912.
- ^ 佐伯隆一「うんポッポ共和国の便槽規約と近代自治」『社会実験史研究』第12巻第3号, 1987, pp. 119-147.
- ^ Harold P. Ingram, "Portable Sanitation and Civic Songs in Meiji Tokyo", East Asian Municipal Review, Vol. 9, No. 1, 1995, pp. 7-33.
- ^ 山岸なつみ『鳩笛と感謝票――感情貨幣としてのポッポ札』青潮書房, 2004.
- ^ 小林信一「清掃長の成立と輪番制の変遷」『日本都市民俗学会誌』第21巻第4号, 2010, pp. 201-229.
- ^ Eleanor V. Marsh, "The Pigeon Republic and the Politics of Odor", The Review of Civic Oddities, Vol. 17, No. 3, 2016, pp. 88-115.
- ^ 東京府衛生課編『本所区模範清潔区域調査報告』東京府役所, 1905.
- ^ 松浦一成『鳩のしるし、石灰の路地――下町実験共同体の記憶』北窓社, 2019.
- ^ Nora K. Feldman, "When Toilets Became Town Halls", Municipal Anthropology Quarterly, Vol. 2, No. 4, 2021, pp. 3-29.
外部リンク
- 東京衛生資料アーカイブ
- 下町共同体史研究会
- 鳩笛保存委員会
- ポッポ札コレクション館
- 近代都市臭気年表