児童ポルノ大魔神
| 名称 | 児童ポルノ大魔神 |
|---|---|
| 別名 | 大魔神保護機構、年齢審査の巨像 |
| 起源 | 1970年代後半の東京都内 |
| 発案者 | 映像資料研究会の有志と元行政技官 |
| 目的 | 児童向け写真資料の分類・保全 |
| 運用主体 | 旧・映像倫理整理協議会 |
| 廃止 | 1991年頃に事実上停止 |
| 関連施設 | 神保町資料保全室、江東区臨時スクリーニング倉庫 |
| 象徴 | 白い紙封筒と三連スタンプ |
| 備考 | 都市伝説化した後、掲示板文化で再解釈された |
児童ポルノ大魔神(じどうぽるのだいまじん)は、後期にの映像保存運動と過剰な年齢確認技術の副産物として語られた、児童向け写真資料の保護機構を指す名称である[1]。のちに系の通達文書や都市伝説の中で誇張され、半ば神格化された存在として知られるようになった[2]。
概要[編集]
児童ポルノ大魔神は、表向きには児童向けの写真・雑誌・教育資料を誤分類から守るための保護機構として説明されることが多いが、実際には54年の出版流通混乱期に、系の資料整理と古書店街の自主規制が偶然接続して生まれたとされる半官半民の慣行である[3]。名称に含まれる「大魔神」は、当初は保管庫の超大型回転棚を指す内部符号であったが、後年の編集で人型の守護像のように語られるようになった。
この語はの古書組合、の臨時倉庫、そしての生活安全系の非公式勉強会にまたがって流通し、1980年代半ばには「年齢確認の最終審級」を意味する業界隠語としても用いられた。もっとも、実務担当者の証言は互いに食い違っており、保全用の押印台だったという説と、単なる検閲回避の符丁だったという説が並立している。
成立の経緯[編集]
起源については、1978年にの三階建て倉庫で発生した資料混載事故が有力であるとされる。児童書、撮影教材、商業写真集が同一ラックに収まり、翌月の棚卸で「未成年者が写る資料」の扱いをめぐって、出版社、古書組合の三者が対策会議を開いたという[4]。この会議で導入されたのが、赤・青・黒の三色で資料の年齢帯を機械的に判定する「三色封緘法」で、これを運用する責任者が俗に大魔神と呼ばれた。
一方で、別の記録では、の印刷所が誤って納品した巨大なスタンプ台が倉庫の主柱に固定され、棚卸のたびに「資料を飲み込む怪物」のように見えたためにそう呼ばれたともいう。1981年には保全対象が月間平均1,240箱に達し、担当者は1箱ごとに「未成年者被写体比率」「教材性」「輸送中破損率」を記したというが、ここで使われた統計様式はとされることがある。
なお、後年の回想録では、制度設計の中心にいたのは元分館職員のであり、彼が海外の保存学に着想を得て「有害性の排除ではなく、誤配の防止」を掲げたとする説が有名である。ただし、渡辺の実在性をめぐっては、同名の別人と混同された可能性が指摘されている。
制度と運用[編集]
三連スタンプ方式[編集]
大魔神の運用の核は、資料の表紙左上に押す三連スタンプ方式であった。第一印は「児」、第二印は「参照」、第三印は「非陳列」を意味し、三つが揃うと自動的に臨時倉庫のB-17列へ回送された。判定は極めて厳格で、1984年の記録では同一冊子が12回再審査され、うち7回は担当者の昼食後の眠気で分類が変わったという[5]。
保全儀礼[編集]
倉庫では毎月第2金曜日に「封緘点検」が行われ、白手袋、木槌、半透明封筒の三点セットが必須とされた。点検のたびにの技術者が呼ばれ、紙の湿度が47%を超えると資料が「発熱する」として送風機で冷却された。実際には単なるカビ対策であったはずだが、現場では「大魔神が起きる前兆」と呼ばれていた。
年齢確認の最終審級[編集]
1987年以降、児童向けに見える広告写真や図鑑の扱いが増えたため、大魔神は「年齢確認の最終審級」として再定義された。これにより、の出版社5社との担当班が共同で、書影の背表紙幅や紙厚から掲載区分を推定する独自の目安表を作成したとされる。もっとも、表の末尾に「判断に迷う場合は人間が責任を取る」とだけ書かれていたため、実務上はほぼ全件が人間判断であった。
社会的影響[編集]
児童ポルノ大魔神は、実務上は地味な資料整理の仕組みにすぎなかったが、1980年代後半の雑誌文化の中で「何でも封じる巨大権力」の寓話として一人歩きした。特にの貸本屋や深夜ラジオで、検閲を指して「大魔神が来る」と言う表現が流行し、若年層のあいだでは「三色封緘法を破ると倉庫の奥で紙の化身に追われる」という怪談まで生まれた[6]。
一方で、教育関係者の側からは、過剰な自己検閲を生むとして批判もあった。1989年にはの研究会が、図鑑の海水浴写真まで再審査の対象になっていたと報告し、現場の担当者が年間約3,200件の「念のため保留」を出していたことを示した。これを受けての一部会は「大魔神化した分類の停止」を求めたが、当時すでに名称だけが先行しており、制度の本体はほぼ解体済みであったという。
なお、1990年代に入ると、掲示板文化によってこの語は完全に再神話化され、実在の行政装置なのか、あるいは倉庫番が作った冗談なのか判然としない状態になった。現在では、資料管理の硬直化を揶揄する比喩として語られることが多い。
批判と論争[編集]
最大の論争は、そもそも「児童ポルノ大魔神」という名称が公的に使われたことがあるのかという点である。一次資料とされる議事録には、手書きの余白に「だいまじん」とだけ残っているものがあり、これを後世の編集者が大仰な概念に仕立てたのではないかとの見方が根強い。これに対し、元倉庫管理主任のは回想録で「現場では本当にそう呼んでいた」と述べたが、同書の刊行元が地域商店街振興会であったため信憑性には揺らぎがある。
また、保全を名目にした過剰な選別が、児童を写した一般資料の流通を不必要に遅らせたとの批判もある。とりわけ、1988年の夏休み特集号が3か月間も封印された件は、後に「紙の上の失踪事件」と呼ばれた。もっとも、担当者の一人は「封印したのではなく、倉庫の奥で見失っただけである」と証言しており、制度批判の対象であると同時に現場の記憶違いの象徴でもある。
その後の展開[編集]
1991年頃、臨時倉庫の閉鎖に伴って大魔神運用は事実上停止したとされる。その後は一部の古書店で三色封緘法だけが残り、2000年代にはデジタルアーカイブのメタデータ規格に影響を与えたとする説が現れた。特に系の研究会では、資料の「年齢帯」を人間が後から上書きできる形式が提案され、これが大魔神の思想を継いでいると解釈する向きがある。
もっとも、保存学の観点では、児童ポルノ大魔神は制度というより「分類に怯えた時代の比喩」である。現在もの一部古書店では、背表紙に白い小札を差す古い慣習が残る店があり、店主はそれを「最後の大魔神式」と冗談めかして説明するという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『封緘と保全の実務史』日本資料行政出版会, 1993.
- ^ 佐藤瑞枝『倉庫番が見た大魔神』青灯社, 2002.
- ^ M. A. Thornton, "Archival Age-Gating in Late-Showa Japan," Journal of Comparative Curation, Vol. 18, No. 2, pp. 44-71, 2008.
- ^ 北沢悠一『三色封緘法とその周辺』東京分類研究所, 1989.
- ^ Harold Finch, "The Monster in the Filing Room," Studies in Media Folklore, Vol. 7, No. 4, pp. 201-219, 1996.
- ^ 『神保町古書組合会報』第42巻第3号, 1981, pp. 12-19.
- ^ 田辺由理『年齢帯メタデータの形成』国立情報学研究叢書, 2011.
- ^ Eleanor W. Pike, "On White Envelopes and Three Stamps," Bulletin of Imaginary Librarianship, Vol. 3, No. 1, pp. 5-28, 1979.
- ^ 『東京都資料整理年報』第5巻第1号, 1988, pp. 88-93.
- ^ 本郷史朗『大魔神式分類の終焉』新潮記録社, 1997.
外部リンク
- 日本架空資料保全学会
- 神保町アーカイブ口述史プロジェクト
- 封緘技術史データベース
- 大魔神伝承研究室
- 東京都古書流通史センター