全日本妖怪選手権
| 行事名 | 全日本妖怪選手権 |
|---|---|
| 開催地 | 栃木県宇都宮市・大谷稲荷神社 競技場(通称「黒塚グラウンド」) |
| 開催時期 | 毎年 10月第2土曜〜日曜(前夜祭は金曜) |
| 種類 | 架空競技型の年中行事(妖怪スポーツ・技芸大会) |
| 由来 | 夜闇を「採点」し、里の秩序を取り戻すという儀礼に由来するとされる |
全日本妖怪選手権(ぜんにほんようかいせんしゅけん)は、のの祭礼[1]。11年より続くのの風物詩である。
概要[編集]
は、妖怪が競技者として集い、各地の“得意技”を披露し合う大会型の祭礼である。表向きは地域の活性化を目的とする行事として整理されているが、神社側の説明では「夜の出来事を数え、鎮めること」が本義とされている。
運営はの祭祀委員会が中心となり、審査は「目撃度」「驚かせ技術」「被害抑制率」などの独自指標で行われる。観客は“呪符券”と呼ばれる紙片を購入し、各演技ごとに投票する仕組みになっているとして知られている[1]。
なお、選手名には通り名や尻尾の本数、時折は人間の出生地まで記されるため、出場者が妖怪であることを知っていても、記録だけは妙に実務的であると語られる。
名称[編集]
名称は「全国」を冠しているが、実際には当初から完全な全国予選というより、を“中心地”として回遊する方式が採られてきたとされる。昭和期の記録では、予選通過条件が「霧の発生回数が月平均7回以上」といった、天候と妖怪の習性を結びつけた基準として残されている。
「全日本」が強調されたのは、祭礼のスポンサーがの商工会連盟ではなく、当時新設されたであったためだという説もある。商人たちは“怖さ”を広域に流通させれば利益になると考え、妖怪側には“売れ残りの不穏”を整理する役目が与えられたと説明されることが多い。
他方で、近年は観光案内のパンフレットに合わせ「スポーツ・妖怪エンターテインメント」という言い換えも行われているが、古参の参加者からは「採点の都合で意味が薄れた」との指摘が出ている。
由来/歴史[編集]
成立の前史:黒塚帳(くろづかちょう)[編集]
の起源として語られるのが、江戸末期に書き継がれた「黒塚帳」である。これは夜間に起きた出来事を、里の役人が“件数”として記録するための帳面であったとされる。
ところが、安政6年(1859年)ごろに発生した連続の火の用心事案で、役人が恐怖に耐えきれず、帳面の最後のページだけ文字が滲んだという逸話が残されている。その滲みを「犯人の吐息」と解釈したのが、のちにの新嘗祭(にいなめさい)運用に関わったとされるだと記されている[2]。
精一郎は、ただ鎮めるのではなく「妖怪が発する威圧の強度を、里にとって都合のよい数字に変換する」必要があると主張し、夜の出来事を技として扱う“採点型の儀礼”が提案された。ここから選手権の考え方が段階的に生まれたとされている。
昭和の再編と、審査指標の誕生[編集]
11年、神社の祭礼運営が災害対策の名目で再編され、妖怪側の協力を得るための交渉会が設けられた。交渉役として名が挙がるのが、栃木県の出納担当を務めたである。
この会で採用された指標が、現在の「被害抑制率」や「驚かせ技術」の原型とされる。記録によれば、最初の試算では被害抑制率は「人間の眠りが中断された回数」を分母に取り、分子を「その中断を笑いに変えた成功回数」と定義したという。かなり無理のある算出であるが、現場では“数えることで恐怖が薄まる”と信じられたらしい。
なお、同年の広報紙には「採点は必ず神前で行う」と明記されており、競技後に残る札が翌朝の天気占いに転用されたとも記される。
日程[編集]
開催はを中心に二日間で行われる。前夜祭は金曜日の夜に実施され、境内の脇に並べられた“小さな審判台”へ観客が静かに列を作る形式になっている。
土曜日は「予選・型(かた)披露」が中心で、妖怪ごとに持ち込む道具の数が申告制とされている。参加登録時に必要となる“道具申告票”は合計48項目から構成され、記入漏れがあると自動的に減点されるとされる[3]。
日曜日は決勝と授与式が行われる。決勝の最終課題は「夜の空白」を埋める演技で、観客席に設けられた灯籠が13分間に何回明滅するかで加点が決まるとされている。なお、この明滅は妖怪が意図したものではなく、神社の古い配線が原因ではないかとする指摘も、内輪では“毒のある冗談”として語られている。
各種行事[編集]
競技の大枠は「威圧芸」「接近技」「退散儀」「復帰リハビリ」の四部構成とされる。威圧芸では、妖怪が自らの気配を半径9メートル以内に収めることで加点される仕組みになっており、やりすぎると減点されるとされる。
接近技では、観客に背中を向けて移動するルールがある。理由は「真正面からの驚きは短く、背面からの驚きは長く続くため」と説明されることが多いが、実際のところは“審判が妖怪の顔を見ないための配慮”だと語る参加者もいる。
退散儀は、勝敗と無関係に「被害の痕跡を3分以内に消す」ことを課すセクションである。消し方は火ではなく塩や紙札が中心とされ、失敗すると“翌年の出場順が後ろに回る”という罰則があるという。なお、復帰リハビリでは、人間の子どもが“安全な笑い方”を指導される体験が組み込まれ、町の体感治安を測る試みとされている。
そのほか、の本殿前では「妖怪のまな板奉納」が行われる。これは妖怪が料理を作るのではなく、妖怪が振るう“音の刃”をまな板に見立てて鳴らす演出であるとされるが、なぜまな板なのかについては、審査員の間で意見が割れている[4]。
地域別[編集]
出場者は各地から“代表妖怪”として招かれるとされ、地域ごとに得意分野の傾向が異なる。たとえばの出場組は、冷気を使った“足止め型”の威圧芸を得意とし、審判が体感する寒さ指数は毎年0.7ポイント前後で推移していると報告されている。
では、接近技が「物陰からのささやき」で構成されることが多い。これは“声の到達距離”を競うためとされるが、実際には宿の枕元でこっそり起きる怪談が増える傾向と結びつけて語られてきた。一方で、では復帰リハビリが重視され、演技の後に観客へ手書きの謝罪札を渡す慣習があるとされる。
からは、退散儀の完成度が高い妖怪が集まりやすいという。伝承では、山間部の通行止めが多い季節に“退く訓練”が進んだことに由来すると説明されることがある。ただし、移動の都合で練習回数が足りない年には、札の字が乱れると指摘されるなど、実務的なばらつきも語られている。
は復帰リハビリの笑いの作法が洗練されているとされ、笑いのタイミングを1秒単位で揃える“拍手隊”が出現すると言われる。なお、この隊がどこから来るのかは記録が曖昧で、見物客が「行事の観光協会枠」だと考えた結果、笑いの質が上がったという皮肉も伝わっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『黒塚帳註釈(増補版)』栃木地方文庫, 1936年. (pp. 12-39.)
- ^ 秋元昌信『夜の出来事を数える方法』【鬼灯学院出版部】, 1942年. (pp. 51-67.)
- ^ 佐々木理恵『妖怪スポーツ審査論:被害と笑いの換算』第3巻第1号, 民間祭礼学会誌, 1978年. (Vol. 3, No. 1, pp. 3-26.)
- ^ 山形慎吾『全日本妖怪選手権の運営史』宇都宮古記録館, 1989年. (pp. 88-109.)
- ^ Department of Folk Performances『Yokai Scoring Systems in Rural Shrine Festivals』Vol. 12, Issue 2, Journal of Spectral Studies, 2004. (pp. 201-233.)
- ^ Katherine M. Halloway『Laughing at the Dark: Ritual Metrics and Community Safety』Cambridge Lantern Press, 2011. (pp. 77-99.)
- ^ 松田涼介『祭礼の“道具申告”制度と統計』祭礼行政研究会, 1997年. (pp. 140-165.)
- ^ 田中由紀『闇市が支えた全国化:スポンサーシップの系譜』商工民俗叢書, 2002年. (第4巻第2号, pp. 10-34.)
- ^ Hiroshi Tanaka『The Origins of “All-Japan” Yokai Tournaments』Tokyo: Lantern University Press, 2016.(本書の一部では「昭和9年起源」とする誤記があるとされる[要出典]。)
外部リンク
- 大谷稲荷神社 祭祀アーカイブ
- 妖怪選手権 審査指標データベース
- 宇都宮市 観光妖怪課(仮)
- 闇市取引改善協同組合 公式記録館
- 黒塚帳 翻刻プロジェクト