全日本情報通信労働組合
| 略称 | 全情通 |
|---|---|
| 設立 | (とされる) |
| 本部 | 一番町(現・組合記念館の所在地) |
| 性格 | 左派色が強い労働組合(全逓・国労類似と評される) |
| 専属弁護士制度 | 「全情通法務隊」として運用されていたとされる |
| 得意領域 | 保守系ストの組織化(保守を放棄するストが特徴) |
| 傘下の形態 | 事業所別支部+通信路線別委員会 |
全日本情報通信労働組合(ぜんにほんじょうほうつうしんろうどうくみあい、略称:全情通)は、の労働組合である。通信インフラの現場労働に根差しつつ、政治的には左派色が強い組織として知られている[1]。
概要[編集]
全日本情報通信労働組合(全情通)は、通信会社の保全・保守業務と、伝送路に関わる現業労働を中心に組織される労働組合である。とくに「保守スト」と称される交渉戦術が、業界内では代名詞となったとされる。
また、全情通は国会や自治体の労政窓口に対しても積極的に働きかけると同時に、現場の安全・技能の維持を交渉の軸に据えるとされる。ただし、その運動の語り口は強硬であるとして、しばしば「動労に準えて泣く子も黙る」といった比喩で記述された[2]。
記事の成立には、複数の元書記長による回想録と、当時の労働争議記録が混在しているとされる。結果として、細かな日時・通し番号の記述が多いという特徴があり、実務者からは「百科事典というより作戦記録に近い」と評された[3]。
成立と組織の成り立ち[編集]
「全情通」という名称の偶然と必然[編集]
全情通の名称は、の「電信電話現場討議会」で出た「情報通信は一本、争議も一本」というスローガンに由来すると説明されがちである。ただし、当時の組合準備委員会は同時期に3案を並行しており、最終的な決定は事務局のタイプライター用リボンが残り2本になった夜に下されたとする証言もある[4]。
そのため名称には、郵便・電報・通信路線を横断する「横串」性が込められたとされる一方、政治活動における「横断連携」の意味も持ったと解釈された。さらに、略称の語感が「せんじょう(戦場)」に近かったことから、若手が誤記したまま通り、結果として正式化されたという逸話もある[5]。
左派色が強化された契機[編集]
全情通が左派色を強めた背景には、の北港通信保全工区で起きたとされる「深夜復旧の長時間労働」問題があるとする説が有力である。工区では復旧要員の交代が週単位で崩れ、出勤簿の訂正が年間で回に及んだと記録されている[6]。
この数字は、のちに「訂正簿の摩擦係数」として運動内部の教育用資料に転載されたとされる。つまり、争議は賃金だけでなく、帳票の改ざん慣行や安全の言語化をめぐって組織化され、結果的に全情通は“現場の倫理”を掲げる左派型労働運動として認知された[7]。
専属弁護士「全情通法務隊」[編集]
全情通には、団体として専属弁護士を置く制度があり、これが「全情通法務隊」と呼ばれたとされる。隊は中央本部に常駐する体制ではなく、事業所別支部からの通報を受けて分以内に初動相談ができるよう、連絡網が整備されたと説明される。
さらに、法務隊は争議の場で「工学的説明」を重視し、保守作業の手順書や安全マニュアルを証拠化する技法を発達させたとされる。ある資料では、提出物は毎回「図面枚・手順通・事故報告系統」の合計点に統一されたと書かれている[8]。この“様式の勝利”が、強硬な交渉姿勢を制度側に寄せる働きをしたと推定されている。
運動戦術:保守ストとその威力[編集]
全情通を語るうえで欠かせないのが「保守スト」である。これは通常の労働争議が“働く”か“働かない”かに焦点を当てるのに対し、全情通では“保守の責任だけを残して、現場の更新を止める”という逆説的手法が採られたとされる。
この戦術の背景には、通信インフラが止まると社会的損失が巨大である一方、保守を止めても直ちに停止にはならず、しかし劣化が進むという性質があると説明された。つまり交渉側は、目に見える停止ではなく、将来の安全性の毀損として圧力をかけたとされる[9]。
実例としての「夜間路線点検縮減交渉」では、組合は点検回数を“ゼロ”ではなく“週あたり回へ固定”する要求を掲げたとされる。結果、会社側は「それなら稼働率は維持できる」と判断したが、組合側は“点検そのものを作業ではなく記録行為として定義する”方針で、工数算定を崩したとされる。なお、当時の新聞は見出しを「保守だけ止まる不思議」とした[10]。
社会的影響:国労・全逓に似て、しかし別種[編集]
全情通の影響は、争議の当事者にとどまらず、通信業界全体の“保全の設計思想”に及んだとされる。とくに「保全を人の努力として語るな」という主張が広まり、手順・記録・責任分界の整備が加速したという回顧が残っている[11]。
また、全情通は政治的な連携で国会議員への陳情も行ったとされる。ここでの象徴的な出来事として、にで開催された「伝送路の労働安全に関する公開協議」の議事録が、後に“安全条文の文体”として他労組にも模倣されたと指摘される[12]。
ただし、影響の大きさゆえ反発も生んだ。ある市民団体の声明では、全情通の戦術が「社会の安心を交渉材料にする」と批判され、団体の名称が“安心の所有権”を連想させるとして揶揄されたとされる。もっとも、組合側は「安心は所有ではなく共有である」と反論したとも記録されている[13]。
批判と論争[編集]
“鬼の全情通”という呼称の根拠[編集]
全情通は、強硬な交渉スタイルにより「鬼の全情通」と呼ばれたとされる。呼称の由来は、争議の初動で組合員が“泣く子を置いて帰るほど”無慈悲だった、という民間の冗談に近い話から始まったとされるが、のちに業界紙が“比喩としての脅し”を抑え込めなかったため、定着したという説明がある[14]。
さらに、組合の内部会議は「泣かないための訓練」と称して、争議中の感情表現を定量化する試みがあったと記述される。具体的には、会議で発言者が視線を落とした回数を“項目A”として点、声量が落ちた回数を“項目B”として点のように換算したとする証言がある[15]。真偽は不明とされるが、こうした“数え方の怖さ”が伝説化したと考えられている。
保守ストの是非と安全保障への波及[編集]
保守ストは“社会インフラの扱い”として倫理的な議論を招いた。批判側は、劣化が進行してから被害が顕在化するため、責任の所在が曖昧になる点を問題視したとされる。一方で全情通は、劣化リスクを科学的に説明し、危険が顕在化する前に交渉を収束させる設計であると主張した。
しかしの一件では、組合が危険ラインを「降雨時の温度差」としていたのに対し、会社側は「温度差でも段差歪みが発生する」として反論し、数字の争いになったとされる。結果として、第三者委員会の中立性をめぐって長期化し、全情通法務隊が“測定器の較正履歴”まで争点化したため、裁定が難航したという[16]。
歴史(編集合戦の産物としての年表)[編集]
全情通の歴史は、年表が複数の流派に分岐して語られていることで知られている。最も多いのは「結成説」で、に準備委員会が発足し、翌に最初の大規模支部会議が開かれたとする筋書きである[17]。
一方、他の資料は「本格活動説」を採り、の霞が関陳情を“実質的創立”とみなす。理由として、当時の陳情が“保守の定義”をめぐる条文化を引き出し、それが以後の運動方針を決定したためとされる。さらに少数派の回想では、名称そのものが先にできて支部が後から育ったため、結成という語が適切ではないとする意見もある[18]。
このような分岐が生じた背景には、編集者同士の証言選好があったと推測される。たとえば旧記録を重視する編集者は“日付の出典”を厳密に扱うが、現場の雰囲気を重視する編集者は“通し番号の面白さ”を優先したという。結果として、同じ年であっても会議の形式が微妙に揺れ、読者は「どれが正しいのか」を自分で確かめることを余儀なくされる[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯和也『労働組合とインフラの交渉術』東京労政研究所, 1987.
- ^ Margaret A. Thornton『Collective Action in Utility Networks』Oxford Press, 1994.
- ^ 鈴木正敏『帳票が燃える夜—全情通法務隊の記録』労働図書出版, 1999.
- ^ 本田啓介『保守を止める理屈:保守ストの理論化』日本通信政策学会叢書, 第12巻第2号, 2002.
- ^ Claire Dubois『Industrial Safety and Tactical Walkouts』Cambridge Journal of Labour Studies, Vol. 18, No. 3, pp. 211-247, 2006.
- ^ 田村慎一『“鬼の”呼称はどこから来たか』現場史料編纂会報, pp. 33-58, 2010.
- ^ 労働争議資料編集委員会『全国争議年表(通信編)』国政出版社, 2013.
- ^ 北川真琴『測定器の較正履歴と裁定の遅延』法社会学研究, 第7巻第1号, pp. 77-101, 2017.
- ^ 吉川玲子『安全の所有権幻想』都市生活政策叢書, 2020.
- ^ (書名の一部が不正確とされる)窪田成一『電信電話の労政と倫理』総合通信社, 1965.
外部リンク
- 全情通資料アーカイブ
- 保守スト研究会
- 伝送路安全条文データベース
- 労政年表(通信編)
- 法務隊の様式研究サイト