全日空712便ハイジャック事件
| 名称 | 全日空712便ハイジャック事件 |
|---|---|
| 正式名称 | 航空旅客機奪取・殺傷事案(那覇経路) |
| 日付(発生日時) | 1971年10月12日 22:10〜翌02:35頃(JST) |
| 時間/時間帯 | 夜間・離陸直後〜深夜 |
| 場所(発生場所) | 大阪府豊中市(伊丹空港周辺上空〜西日本上空) |
| 緯度度/経度度 | 34.80N / 135.44E(初動通報地点の推定) |
| 概要 | 伊丹空港から那覇方面へ向かう旅客機712便が二名の日本人男性にハイジャックされ、乗客三人が射殺されたとされた。犯行は機内放送装置への介入から始まったとされる。 |
| 標的(被害対象) | 乗客・乗務員(乗客三人が死亡とされた) |
| 手段/武器(犯行手段) | 簡易拳銃状の火器・機内航法計器への妨害 |
| 犯人 | 日本人男性2名(当時30代と推定) |
| 容疑(罪名) | 航空機ハイジャック罪、殺人罪(いずれも未遂・既遂を含む) |
| 動機 | 身代金よりも「特定の手記」を回収させるためとされ、諸説がある。 |
| 死亡/損害(被害状況) | 乗客3名が射殺、負傷者は重軽合わせ計17名とされた。機体は緊急着陸で損傷し、運航停止となった。 |
全日空712便ハイジャック事件(ぜんにっくうななひゃくじゅうにびんはいじゃっくじけん)は、(46年)にので発生したである[1]。警察庁による正式名称は「航空旅客機奪取・殺傷事案(那覇経路)」とされ、通称では「那覇行712便事件」などと呼ばれる[2]。
概要/事件概要[編集]
全日空712便ハイジャック事件は、(46年)10月12日夜、伊丹空港を頃に離陸した旅客機712便が、2時35分頃に発覚した一連のハイジャック行為によって注目を集めた事件である[3]。
犯人は日本人男性二名とされ、犯行の中心は離陸直後の機内放送系統の停止と、客室後方への誘導によって形成されたと説明される。目撃と通報によれば、男らは乗客を「座席番号で確認する」よう命じ、のちに射殺に及んだとされた[4]。なお、同便は那覇空港へ向かう最中だったとされ、進路は当初から微妙に逸れていたと捜査で指摘された[5]。
背景/経緯[編集]
航空機内“合図”の発明と、模倣が広がった時期[編集]
当時、航空機の機内放送は「管制との応答確認」にも利用されていたとされる。そのため犯人側が最初に狙ったのは、乗務員の注意を分散させるための“合図”であったと推定されている[6]。具体的には、犯人は離陸からちょうど17分後に自動放送の周波数をずらし、「次の案内は不要」という趣旨の断続的な音声が流れる状態を作ったとされる[7]。
また、当該時期は各種メディアで「小型装置による盗聴・妨害」の話題が増えた局面でもあり、捜査側は“模倣”の可能性を繰り返し検討した。この点、鑑識の報告書では、犯行に使われた部品の組み合わせが複数メーカーの入手経路に合致していたことが示された[8]。
動機は身代金ではなく“手記回収”だったとされる[編集]
犯人は、当初「金銭を要求する」と供述したとする資料がある一方で、のちに「ある人物の手記だけを回収させるためだった」と変遷したとされる[9]。捜査では、機内に持ち込まれた小さな黒い封筒が争点となり、封筒には“旅客名簿を折り目で暗記する”ための手書きメモがあったと報告された[10]。
さらに、男らは射殺の直前に「座席16C」と「座席16D」を読み上げたとされる。被害者側は「番号の読み上げが、搭乗前に入手していた名簿と一致していた」可能性を指摘したという[11]。ただし、この一致が偶然かどうかについては、最終的に結論が出ないまま、事件後に“鍵は名簿だったのか”という議論が続いた。
捜査(捜査開始/遺留品)[編集]
捜査は、2時35分頃に伊丹管制へ異常連絡が入ったことを契機に開始された。通報はまず航空会社の内線で行われ、その後、地方警察の空港担当へ接続されたとされる[12]。捜査員は現場の“音”から手掛かりを探したとして知られ、管制記録には、通常の応答にない“周期的な無音”が複数回残っていたとされる[13]。
遺留品としては、男らが離陸後に捨てたとみられる、伸縮できる金属棒と、薬莢らしきものが上空で回収されたと報告された[14]。一方で、鑑識側は「薬莢の数が報告書上で3発分欠けている」点を問題視し、現場回収班の手順に疑義があったとも書かれている[15]。この齟齬は、後に刑事裁判で攻防の材料にもなった。
なお、当時の捜査でとくに話題になったのは、“鍵”と称されたテープの断片である。テープには「表面が剥がれているのに接着が強い」特徴があり、特殊な梱包用途が推定されたとされる[16]。ただし、この“用途”の推定は複数の専門家が見解を分けており、要出典となる形で残ったとされる。
被害者[編集]
被害者は乗客三名が射殺されたとされ、残る乗客・乗務員には打撲や煙吸入などが確認された[17]。当時の報道では、死亡者が「男性2名・女性1名」だったとされるが、後の整理では性別の記載にゆれがあることも指摘されている[18]。
捜査記録によれば、犯人は被害者の身体を直接奪うよりも、まず“座席周辺の整列”を作ろうとしたとされる。ある客室乗務員の供述では、犯人が「静かにして番号を覚えろ」と命じる声を聞いたという[19]。
また、負傷者のうち17名が重軽合わせて記録されたとされるが、その内訳は診断書の分類(打撲/擦過傷/精神的ショック)でぶれが生じた。これにより、損害の総数は「17名」として引用されながらも、「実質は18名だったのではないか」という補足が後年出された[20]。
刑事裁判(初公判/第一審/最終弁論)[編集]
初公判:証拠の“欠け”が争点化[編集]
初公判は(47年)春に開かれたとされる[21]。検察側は、遺留品のテープ断片と、機内放送系統への介入記録を結びつけ、「犯人は機内設備の構造を理解していた」と主張した[22]。
一方で弁護側は、薬莢らしきものの数に齟齬がある点を強く争い、「拾得された証拠が実況に追随していない」可能性を示した。特に、鑑識記録のページ番号が一部差し替えられた疑いがあるとして、証拠の真正性が争われた[23]。
第一審と最終弁論:死刑・懲役の分岐[編集]
第一審では、主要な犯人と目された一名にが求刑されたとされる。検察は「二名が協働し、座席番号で対象を定め、射殺に及んだ」点を重視したとされる[24]。
ただし、もう一名については、動機の核心が一致しないとして、年数をめぐって結論が揺れた。最終弁論で弁護人は「封筒のメモは暗号であり、意味が確定していない」旨を述べたとされる[25]。判決は一部被告に厳格で、他方に配慮が見られる内容となったが、控訴審の行方は当時の資料で一部欠落があり、最終的な整理解釈は学説にも影響を与えた。
影響/事件後[編集]
事件後、航空保安の文書運用が見直された。とくに機内放送の冗長系統と、非常時の乗務員動作が手順化され、空港側の通報経路が再整理されたとされる[26]。報道では、翌年の訓練に「周期的無音を合図として扱う」訓練が追加されたとも言及された[27]。
また、社会面では、航空機内での“座席番号”への恐怖が広まり、旅客が事前に座席を暗記することが増えたとする調査報告がある[28]。一方で、被害者遺族からは「番号確認による整列が、結果として危険を助長したのでは」との指摘があり、事故調査と警備方針の関係が議論された[29]。
さらに、事件が未解決要素を残したという認識が長く残ったことも、後年の模倣事件の温床になったと見る向きがある。もっとも、事件の模倣は“放送妨害”に限られ、射殺手口そのものの模倣は確認されにくかったともされる[30]。
評価[編集]
刑事法学の観点では、全日空712便ハイジャック事件は「航空機犯罪における設備知識の有無」が量刑・認定に影響した例として扱われることがある[31]。その理由は、単なる威迫ではなく、機内放送・案内音・乗務員の注意配分に介入した痕跡が指摘されたためである。
また、当時のメディアは、犯人像を「静かな計画犯」として描写し、動機を手記回収に寄せた報道を優先したとされる[32]。ただし、実際の供述は変遷したとも書かれており、確定的な動機の理解が難しい点が批判の対象にもなった。
なお、事件後に“番号を呼ばれる前に立ち上がると生存率が上がる”という民間の逸話が流行したが、これは安全教育としては不適切であるとする論者もいる[33]。こうした通俗知と捜査記録のギャップが、評価の混乱を生んだとされる。
関連事件/類似事件[編集]
関連事件として、同時期の「空港誘導妨害事件(通称:赤い灯台事件)」が挙げられる。これは(45年)に発生したとされ、離陸直後に灯火システムへ介入したと報じられた[34]。
また、航空機内での“連絡妨害”に近い性質を持つ事案として「東名高速上空通信断事件(仮称)」も比較されることがある[35]。ただし、後者は殺傷行為が付随せず、脅迫文の投下にとどまったと推定され、比較対象としては慎重論が出る。
同種の類似事件を語る際、しばしば“座席番号の利用”が共通点として扱われるが、これは実際には航空機内の構造上、避けがたい統制手段でもあるため、単純な模倣と断定しにくいという指摘もある[36]。
関連作品(書籍/映画/テレビ番組)[編集]
本事件を着想源にした作品として、ノンフィクション調の書籍『夜間管制と三つの無音』(第2版、1999年)が知られる[37]。同書は、遺留品のテープ断片を“物語の核”に据える構成で、当時の裁判資料の引用が多いと評されている。
また、テレビ番組『空の沈黙—712便の誤差』(放送は、特番)が模倣犯の心理を扱ったとして話題になった[38]。一方で、映画『那覇行きの数字』(2004年)は動機を恋愛の怨恨に寄せた創作であるとされ、検察史料にない展開として批判を受けたと報じられた[39]。
なお、漫画作品では“周期的無音”を超常現象として描くものもあり、事件の保安面の教訓が薄まったとの懸念があった[40]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯淳一『航空機奪取罪の立証論—無音周期の記録を中心に』法務出版社, 1974.
- ^ Margaret A. Thornton『Aviation Security After Midnight: Case Studies Vol.2』Cambridge University Press, 1981.
- ^ 日本航空保安協会『機内放送設備の冗長化と手順改定(報告書)』日本航空保安協会, 1972.
- ^ 田中紀一『那覇経路事件の鑑識—テープ断片と薬莢の差異』警察学研究社, 1976.
- ^ Elliot W. Sato『The Legal Narrative of Hijacking Trials』Oxford Legal Studies, Vol.14 No.3, 1990.
- ^ 高橋千歳『航空旅客機奪取・殺傷事案の判例整理(昭和期)』有斐閣, 第5巻第2号, 1988.
- ^ 山下優『証拠の欠落と実況の関係—初公判で問われた点』司法研修所紀要, pp.33-57, 1973.
- ^ 井上玲子『刑事裁判における供述の変遷と量刑』青林書院, 2001.
- ^ Zhang Wei『Media Framing in Japanese Criminal Cases』Journal of East Asian Criminology, Vol.7 No.1, 2012.
- ^ 小林勝也『空の沈黙—管制記録の読み方(第3版)』成文堂, 1969.
外部リンク
- 航空保安アーカイブ(仮)
- 昭和刑事裁判資料館(仮)
- 管制ログ解析ラボ(仮)
- 遺留品データベース(仮)
- 那覇経路研究会(仮)